陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(60)自衛隊砲兵史(6)2次防から3次防へ
▼「昔は駄目だった」への反発
1962(昭和37)年といえば、東京オリンピックの開催、東海道新幹線の建設などが軌道に乗っていた頃です。社会の様子もすっかり現在の様子の原型ができあがってきました。
前年には私立大 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(59) 自衛隊砲兵史(5)管区隊から師団へ
▼管区隊と混成団
陸上自衛隊の発足に合わせて北海道に第5管区隊(総監部・帯広)と第6管区隊(総監部・福島県福島から宮城県多賀城、続いて山形県神町に移転)が生まれます。北海道の北部方面隊は第2、第5の2個管区隊となり、東北6 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(58)自衛隊砲兵史(4)防衛庁・自衛隊の発足
▼「防衛2法」国会で成立
防衛庁が発足します。1954(昭和29)年6月、防衛庁設置法と自衛隊法、いわゆる「防衛2法」が国会で可決成立しました。7月1日には防衛庁と陸・海・空の3自衛隊の新体制がスタートします。
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(57) 自衛隊砲兵史(3)保安隊から自衛隊へ
▼講和条約と保安隊
1951(昭和26)年9月、サンフランシスコ講和条約が締結されました。同時に、日米安全保障条約が結ばれ、その発効は翌52年4月になります。それに合わせて8月には海上警備隊と統合されて警察予備隊は保安隊 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(56)自衛隊砲兵史(2)
□新たな「軍隊」への眼差し
予備隊への応募者は日を追うごとに増えました。採用試験も順調で、身体検査と面接のみで学科試験はなかったと体験者の話が残っています。応募者の総数は38万2000人、採用予定は7万5000人、そうし ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(55)自衛隊砲兵史(1)
□はじめに
たまたまテレビでTBSの長寿番組「サンデーモーニング」の司会者が引退するといった内容が流れています。36年半という長い期間の放送だったそうで、キャスターの関口宏さんは多くの方々から惜しまれながら身を退くという ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(54)最後の量産された火砲
□はじめに
陸自の西方への備えは着々と進んでいます。第7地対艦ミサイル連隊が編成完結を迎えました。装備する12式地対艦ミサイルは、1991(平成3)年から保有された88式地対艦ミサイルの後継です。射程は「百数十キロメート ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(53)軍馬のお話
□季節のご挨拶
一気に春めいて参りました。わが家の近所のお宅の白木蓮が満開で、そろそろ花が散りそうです。いつも道に落ちてしまい、おうちの方がよく掃いておられます。菜の花も開いて、チューリップの芽も出てきました。
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(52) 96式15糎榴弾砲
▼陸軍最後の野戦重砲
96式15糎榴弾砲は陸軍最後の野戦重砲です。1926(大正15)年1月から欧州大戦の研究を通して、技術会議では単一砲車自動車牽引式の15糎榴弾砲の研究が始まります。すでに欧州各国ではトラクターによる牽 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(51)4年式15糎榴弾砲
▼大正時代の野戦重砲
陸軍の15糎榴弾砲は、日露戦争後に到着したクルップ社に発注した38式15榴から歴史が始まります。いわゆる「サンパチ式火砲群」の一つです。しかし、いくつかの設計上の失敗があり、陸軍は大正時代に4年式15 ...