陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(69) 自衛隊砲兵史(15) 70年代の装備(1)
□ソ連崩壊後に登場した装備の数々
話があちこち飛んで恐縮ですが、今日は陸自の自走榴弾砲について語っておきましょう。それは、先日耳にしたのですが、ある駐屯地の記念日で「戦車だ。戦車だ」という声が観客からあがったといいます。 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(67)自衛隊砲兵史(13) 107ミリ重迫撃砲(3)
□ご挨拶
いよいよ梅雨入りです。それにしても例年から比べると10日も、あるいは2週間も遅くなっているとか。線状降水帯の警報もあり何かと心配になります。
陸自発足時には特科(砲兵)部隊に迫撃砲も供与されました。 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(56)自衛隊砲兵史(2)
□新たな「軍隊」への眼差し
予備隊への応募者は日を追うごとに増えました。採用試験も順調で、身体検査と面接のみで学科試験はなかったと体験者の話が残っています。応募者の総数は38万2000人、採用予定は7万5000人、そうし ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(47)世界大戦後の火砲の進歩
□はじめに
火砲はより大型化します。射程の増大をねらったのです。大型化と同時に自動車牽引も考えられますが、10センチ榴弾砲以下の師団野砲では輓馬牽引が依然として主流でした。その重量は前車(弾薬車)も含んで最大2トンという ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(45) 第1次世界大戦の教訓
▼世界大戦を体験しなかったからという誤解
これはよく言われることです。日本陸軍は第1次世界大戦をきちんと学ばなかったから、陸軍は新しい考えを取り入れなかった。たとえば、大正初めから装備化が進んだ38式歩兵銃の全長は短くな ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(39)重砲の威力と戦車の登場
□はじめに
第1次世界大戦と問われて、どのようなイメージを持たれているでしょうか。第2次世界大戦ならすぐに、原子爆弾、特別攻撃隊、真珠湾攻撃、ミッドウェイ、フィリッピンの戦い、硫黄島、沖縄などという太平洋方面、あるいは中 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(36)砲兵火力より肉弾
▼欧州軍隊が日露戦争から学んだこと
まず、堅固な要塞を攻めるには大口径の榴弾砲が有効だったことです。ドイツはさっそく大口径の攻城重砲を整備します。しかし、同時に日本陸軍が行なった白兵突撃を欧州諸国ではたいへん高く評価しま ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(31) 日露戦争の総決算
□はじめに
日露戦争は「歩兵の戦い」でした。大陸などへ海を渡った野戦軍に属した人は約94万人、うち半数強(55%)が歩兵科の将校・下士・兵卒です。戦闘中の即死、あるいは負傷を理由として亡くなった方(戦闘死者とする)は全体 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(29)日露両軍の戦い
□陸軍は麦飯を支給した
UYさま、お問い合わせありがとうございました。実はわたしも1976(昭和51)年に『日露戦争の軍事史的研究』(大江志乃夫・岩波書店)を読むまでは、陸軍は森鴎外軍医の主導の下、頑固に麦飯を支給せず、 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(25)日清戦争・砲兵の戦い(1)
□はじめに
今年はとにかく猛暑です。しかも台風の影響、線状降水帯といった自然災害がありました。各地で大雨を降らせ、あるいはゲリラ雷雨といわれるような豪雨があります。それなのに、わたしの知る限り新潟県は水不足のようでした。 ...