陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(67)自衛隊砲兵史(13) 107ミリ重迫撃砲(3)

□ご挨拶

いよいよ梅雨入りです。それにしても例年から比べると10日も、あるいは2週間も遅くなっているとか。線状降水帯の警報もあり何かと心配になります。

 陸自発足時には特科(砲兵)部隊に迫撃砲も供与されました。普通科(歩兵)小銃部隊にも60ミリ、81ミリのアメリカ製迫撃砲が装備されます。また口径107ミリの重迫撃砲も普通科連隊の中の重迫撃砲中隊がもつようになりました。

 60ミリは威力不足ということから廃止され、普通科連隊小銃中隊に81ミリ迫撃砲が標準装備になります。陸自のOBたちに聞いてみると、防衛大の12期卒業生の方が、60迫小隊長だったことがあったとか。60年ほど前になるのでしょう。

 そうして107ミリ重迫撃砲は現在の120ミリ迫撃砲に代わっています。また、先般から新しい60ミリ迫撃砲が装備されるようになりました。普通科(歩兵)の装備は興味深いです。この迫撃砲はオーストリアのヒルテンベルガー社製で、口径は60ミリ、砲身長は82.5センチメートルしかなく、重量も6.2キログラム、1人で運搬や射撃ができます。しかも発射速度は30発/分といわれます。陸自普通科部隊の重要な火力です。

▼60ミリ・81ミリ迫撃砲

 この60ミリ迫撃砲M1は時代考証が正確なアメリカ映画には必ず登場します。「プライベート・ライアン」では市街地での戦闘で接近するドイツ兵に手で投げていたのが印象的でした。同じ監督による「ザ・パシフィック」でも海兵隊が、あるいは「バンド・オブ・ブラザース」でも空挺兵たちが直接支援火器として使っています。

 自衛隊に供与されたのは60ミリ迫撃砲M1でした。1人で運搬、射撃できる最軽量の火砲でした。砲身長は830ミリ、発射速度は40発/分、最大射程は1800メートルにもなり、最小射程は200メートルでした。砲身の仰角は40~85度、榴弾、演習弾、訓練弾など6種を撃てました。

 81ミリ迫撃砲も普通科小銃中隊の迫撃砲小隊で使われました。砲身長は1278ミリと60迫とは大きさも異なります。重量は61.5キログラム、最大射程は3000メートルでした。これの改良型がM29です。

 M29をもとに豊和工業が開発し、国産化したものが64式81ミリ迫撃砲でした。国産化にあたって口径も威力もM1と大差ありませんが、何よりも軽量化されたことが特徴です。また、床板も円形にして、全周射界をもてるようにしました。

 砲身長は1294ミリ、重量は52キログラム、砲口装填で固定撃針(こていげきしん)です。射程は俯仰角と装薬の数で調整します。

▼107ミリ迫撃砲M2

 口径の大きさから重迫(じゅうはく)といわれ、普通科連隊の重迫撃砲中隊の装備でした。普通科連隊は本部管理中隊(情報・補給・偵察・通信・衛生等各小隊)とナンバー中隊といわれる複数個の小銃中隊と重迫撃砲中隊で構成されます。中隊長が直に指揮できる有力な火砲がこの107ミリ迫撃砲でした。また、空挺部隊である第1空挺団には特科大隊はありますが、その装備は空中投下できるこの重迫です。

 操作員は6名、砲身長は1285ミリ、重量は160キログラム、発射速度は20発/分、持続は5発/分となります。最大射程は4000メートル、射界は左右7度、仰角は60度であり、弾薬は榴弾、黄燐発煙弾、焼夷弾、噴進弾(ロケット)の4種です。

▼120ミリ迫撃砲RT

 諸外国の趨勢が120ミリ迫撃砲となってきた情勢から陸自も口径107ミリに代わって口径120ミリの迫撃砲を装備します。フランスTBA社製のMO120RTが重迫撃砲中隊に配備されました。旧来の野砲並の射程8100メートルを実現し、RAP(ロケット補助推進)弾を使えば1万3000メートルにも達します。

 また、これまでの滑腔の迫撃砲と異なり、砲腔内には施条されているのが特徴です。砲弾の装填は砲口から落としますが、より正確な射撃をするために火砲のような拉縄(りゅうじょう)射撃も行います。拉縄というのは特別な読みをする火砲用語です。簡単にいえば撃発装置で、縄を引くようにして発火させます。

 1992年に国産化されて導入されました。特徴は車輪付きのために機動力に優れ、ほぼ同時に装備され始めた高機動車によって牽引されます。高機動車につなぐには砲口にあるカバーと連結します。射撃準備にはその連結を外すだけで独立するので、陣地進入も射撃後の陣地変換も簡単に行なえます。

▼高機動車

 アメリカ軍の採用したハンヴィーに追随して開発されたといっていいでしょうか。ジープ(73式小型トラック)と73式中型トラック(2トン)の両方を1車種で兼ねようという計画です。

 プレス・フレームに鋼板のボディ、グラスファイバー製のボンネットが付けられ、乗車定員は10人、普通科1個班というところです。後部のキャビンにはキャンバス製の覆いがあり、いわゆるソフトトップでベンチシートがあります。

 全長は4.91メートル、全幅2.15メートル、全高2.09メートル、重量は2.44トン、積載量は1.5トンです。エンジンは排気量3900ccのインタークーラー・ターボチャージド・ディーゼルエンジンで150馬力を発揮します。

 4輪駆動で、4輪操舵、旋回半径は6メートルと小回りの良さが光ります。タイヤはランフラット・タイヤで被弾時が配慮され、空気圧も車内からボタン一つで変えられます。通常の道路では高圧で、不整地ではグリップ力を高めるために低圧です。

(つづく)

荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。自衛隊家族会副会長。著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか-安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『東日本大震災と自衛隊—自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器で戦った』『自衛隊警務隊逮捕術』(並木書房)がある。