陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(69) 自衛隊砲兵史(15) 70年代の装備(1)

□ソ連崩壊後に登場した装備の数々

 話があちこち飛んで恐縮ですが、今日は陸自の自走榴弾砲について語っておきましょう。それは、先日耳にしたのですが、ある駐屯地の記念日で「戦車だ。戦車だ」という声が観客からあがったといいます。詳しい方ならお分かりでしょうが、いま戦車は削減される一方であり、なかなか見ることがかないません。

 

 轟々とクローラー(キャタピラ)の音を響かせながら観衆の前に現われたのは99式自走榴弾砲でした。車長と砲手は砲塔の上から上半身をのぞかせ、操縦手はドライバー席から首から上を見せています。戦闘服の襟からは鮮やかな「山吹色」のマフラーがこぼれています。そうです。野戦特科の職種カラーは日本陸軍伝統のその色です。

 クローラーで動き、大きな砲塔は左右に旋回し、砲身も高さを変えます。まさに戦車と同じです。しかし、戦車乗員のマフラーの色はオレンジ。陸自機甲科の職種カラーです。口の悪い人は火砲の黄色と歩兵の赤を混ぜた色だなどといいます。

うまいことを言いますね、砲力は山吹(黄色)、侵襲して地点を確保する歩兵(緋色・赤)を併せ持つ・・・なるほど。でも、たしか機甲科は「機械化装甲」の略称とも聞きました。また、騎兵科(萌黄・薄緑)の後身でもあり、その突進力は歩兵とは異なるだろうとも思います。

戦車は、その装甲、火力、機動力を重視し、自走榴弾砲は遠距離射程と機動力を戦力の中心とします。

▼70年代の北海道の自走砲

 74式自走105ミリ榴弾砲という、少ない数しか調達されなかった自走砲がありました。73式装甲車の試作車と共通のコンポーネンツを持ったアルミ車体に、戦後初の国産化火砲である105ミリ榴弾砲を載せたものです。北海道の第1特科団の記念展示場に並ぶ兄貴分の75式155ミリ自走砲より、2回りほど小さく感じます。

 

1975年度から78年度までの4年間に20輌が調達されました。しかし、当時でも105ミリ榴弾砲は軽砲といわれた小型、小威力の火砲です。射程も15キロにしか過ぎなかったそうです。そうなると、第2次世界大戦ごろではまだまだ「ジュウリュウ」という響きが頼もしかったという話が思い出されます。それは野砲の標準口径が75ミリだった時代でした。

74式HSp(自走榴弾砲)はスクリーンを展張することで浮航能力(水上を進める)があり、現場での評判は悪くなかったといわれます。配備されたのは北部方面隊直轄の第117特科大隊だけでした。そうして平成11(1999)年度には全車がリタイヤします。より強力な75式155ミリHSpが北海道の部隊には配備されました。

▼米軍もM44からM109に

 陸上自衛隊史に戻ります。陸自では1962(昭和37)年度予算でM44自走155ミリ榴弾砲が10輌、M52自走105ミリ榴弾砲が30輌、米軍から有償貸与されました。これらは65(昭和40)年から、第7特科連隊に配備が始まります。第7特科連隊はナンバーが示すように第7師団の部隊です。

 M44は1953(昭和28)年に米軍では制式化されました。高機動性で評判が高かったM41軽戦車(76ミリ砲)の車体の前後を逆にして、155ミリ砲を載せています。55(昭和30)年に米軍で制式化されたM52もM41の車体を使いましたが、105ミリ砲を限定旋回の密閉式砲塔に装備しました。

 これらの後継火砲としてM52の代わりにM108、M44の代わりにM109が開発されました。しかし、M108は生産が少数で終わり、M109に米軍の自走砲は統一されることになります。つまり、野戦砲の主力は155ミリになったのです。

 砲兵の活動は味方部隊の直接支援(ダイレクト・サポート、DS)と師団全体を支援する全般支援(ゼネラル・サポート、GS)に分かれます。これまでDSは軽砲(105ミリ)が行い、GSは中砲(155ミリ)の担当でしたが、命中精度は変わらず、弾丸威力が大きい中砲が良いとなりました。しかも、自走砲自体の重量が1.3トンしか違わないとなるとM109に軍配があがるのも当然でしょう。

▼75式自走榴弾砲

 1975(昭和50)年度から調達が始まったのが、75式155ミリ榴弾砲です。74式とはまた異なるアルミ製の車体です。最大射程は19キロとなりました。200輌強が北部方面隊の各師団特科連隊に配備されました。北海道の師団のすべての特科連隊が機甲化・装甲化されたということです。

 車体は三菱重工の生産、74式戦車や73式装甲車と技術的な共通点が見られます。エンジンはZFといわれる空冷ディーゼルで、シリンダーを共通化していました。75式HSpでは6ZFといい、V型6気筒で500馬力を発揮します。

 車体の前部左側にエンジンを置き、操縦席は右側でした。後半部を戦闘室としたもので、起動輪は前になりました。乗用車でいえば、FF(前輪駆動)です。クローラーを支える転輪は片側6個になり、最後部のそれは誘導輪を兼ねていました。

 車体はアルミ合金の溶接構造で、砲塔は日本製鋼が製作したやはりアルミ合金です。車体重量は25.3トンで、74式戦車の38トンと比べるとずいぶん軽いです。155ミリ砲は30口径もあり、ハウィツァーではありますが、昔の加農(カノン)のようでもあり、評論される方の中には、ガン(カノンの米式呼称)・ハウィツァーであるという方もいました。

▼画期的な給弾機構

 特徴は給弾機構でした。まるでリボルバー拳銃の弾倉のように回転式のものです。砲尾の左右には9発ずつの弾薬を納める回転式のドラム弾倉があります。薬莢式(一体型)の弾薬の場合には、ドラムから1発ずつ装填トレイに落ち込み、油圧のラマー(装填棒)で薬室に押し込まれました。ただし、薬嚢(装薬をいれた袋)を使う場合には、弾だけが自動装填されます。

 最大発射速度は毎分6発なので、カタログ上では3分間でドラム弾倉の弾は撃ち尽くされます。その後は人力装填になりますから、当然、発射速度は落ちました。しかし、実際の戦場では、そうしたことはめったに起きず、長時間の持続射撃が強いられ、毎分1発程度の射撃になったでしょう。

 射撃統制システム(FCS)も当時としては優れたものでした。砲塔上には特徴的なパノラマ照準器があり、直接照準器、電気高低照準器、コリメーターを装備していました。車体全長は5.68メートル、全幅2.98メートル、全高2.55メートル、最低地上高は0.4メートル、最高速度47キロメートル毎時でした。

 次回は70年代に開発され、ソ連崩壊後に登場する装備品をお話します。(つづく)

 

荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。自衛隊家族会副会長。著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか-安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『東日本大震災と自衛隊—自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器で戦った』『自衛隊警務隊逮捕術』(並木書房)がある。

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Posted by arakih