陸軍工兵から施設科へ(69) 日本刀神話と論争

はじめに

 あなたの語ることは多くの人の支持は受けないよ・・・と笑われたことがありました。それは映画から始まり、テレビのドラマでも毎日くり返されるチャンバラに関する話です。日本刀は斬れないというわたしの経験談でした。もちろん、素晴らしい神技のような刀を操る名人、達人はおられます。その妙技を目の当たりにしても、とてもそれは一般人(ちょっと鍛錬した人も含めて)に出来ることではないと確信していたのです。
 まず、鉄を斬ることはできません。だから戦国時代の戦闘描写で鎧を着た武者がバッタバッタと斬り倒される・・・ありえません。わが家に伝わった鎧兜は、鎖帷子(くさりかたびら)も合わせて重量約20キログラム。そんな物をなぜ、身に着けたか。刀で斬られることもないし、鑓で突かれても通らないからです。
 では役に立たないか。そんなことはありません。普通に置かれた肉や、据え付けられた巻き藁(わら)や、鎧に守られない素肌にはとても威力があります。豚の骨付き肉なども斬りましたが、よく「脂がついて斬れなくなる」というのは納得いかない話です。どうも大正時代のチャンバラ小説を書いた作家が言いだしたことと聞いたことがあります。脂は斬れないかというと斬れる。だって、包丁でロース肉の脂身も斬れますし、なにより高速の円運動で刀は撃ち込まれますし、引き斬るのも普通です。
 ところが、何より初心者に毛が生えたような私たちが一番困惑したのが日本刀の構造的脆弱さでした。それはすぐに鐔元(つばもと)から曲がってしまうのです。真っ向から斬る時は多くが無事でしたが、いわゆる袈裟(けさ)がけが難しい。竹や巻き藁は斜めに斬り下げたり、斬り上げたりしますが、握る柄と刀身を支えるのは、わずか一か所。目釘(めくぎ)です。これが多くは竹でできています。これがすぐ折れてしまう。当時は、学生食堂で使い回しの箸をもらってきて、先端を切って長さを整え使っていました。
 もちろん強いのは鉄でできたものでした。実戦で使われたものには頑丈な鉄製があります。ただ、問題は木製の柄と刀身の茎(なかご)をつなぐのがそこだけであり、鐔元にどうしても無理がかかります。素人の私たちはたいていそこを曲げてしまいました。もちろん、直す方法はあります。古い畳の間にはさんで、上で何度も飛び跳ねる。まずまず直りました。刀は曲がってしまっては、正しい間合い(相手との距離)が正しく取れなくなるからです。
 ただし、刃こぼれだけは直りません。砥石で専門家が摺り上げることしかないのです。

「南京大虐殺のまぼろし」

 本多勝一氏が中国で「取材した」、数々の日本軍の悪行が明るみに出ました。ところが、これに果敢に挑んだジャーナリストがおりました。1973年に刊行された『南京大虐殺のまぼろし』です。鈴木明氏(ペンネームです。1925~2003年)は丹念な取材をもとに「南京大虐殺」を描こうとします。その著作の中で、南京の事件を大々的に報道したのは米国人で国民党政府の顧問だったハロルド・ティンベーリだったことを明らかにもしました。
 『南京大虐殺のまぼろし』は大宅壮一ノンフィクション賞を受けて、大きな評判を呼びました。わたしもすぐに読んで感動した1人です。ただ調べれば調べるほど検証不可能なことが増えていって、「まぼろし」ではないかと主張した誠実な本でした。「あったか、なかったか」、実態解明すら明確には分からない、まるで「まぼろし」を実証するようなものだという著者の思いが十分に伝わってきました。
 ところが、この本に「問題のすり替えだ」、「中国人のいうことを疑うのか」と学者や文化人が猛反発します。発刊した当座は「素晴らしい」と評した人も手のひら返しで攻撃を始めます。
 陸軍将校たちの親睦・研究団体を継承した「偕行社」の中にも波紋が広がります。その頃の「あった、なかった」の両派による言論の争いには驚かされました。「なかったのではないか」、あるいは「陸軍の恥部を声高に語るな」という人たちに「目を覚ませ、反省するのだ」と大きな声をあげている方がいました。実名は挙げませんが、近代陸軍史に誠実に挑まれた方のその主張には、いささか「老いの一徹」という匂いも感じ、しかもマスコミ界で成功された方でもありました。ちょっと偕行会には近づかないでおこうと当時のわたしは思いました。

日本刀百人斬りレース

 当時の写真入りで本多氏の記事に載った「2人の日本人将校による100人斬り競争」が大きな話題になりました。そこに山本七平氏による疑問提示が加わります。よくご存じない方もいると思いますが、南京に進撃した部隊の2人の少尉が中国人を100人斬り倒すというレースを始めたという記事です。早く100人になったほうが勝者でという話です。
お二人とも戦後の中国による戦争犯罪裁判で死刑になったという悲劇でした。その検察側証拠になったのが当時の毎日新聞の記事です。それを書いた記者は、最後までねつ造を認めず、事実かどうかについては「歴史と人民大衆が決めることだ」と意味深な言葉を残しています。
 わたしは山本七平氏の主張を読んで、この人はほんとうに戦場に軍刀こしらえの日本刀を持ちこんだのだと確信しました。構造的な欠陥があることは言うに及ばず、曲がること、錆びやすいこと、案外斬れないということなどの記述がわたしの経験からも納得できたのです。
しかも、当時、わたしが古書店で見つけて購入した昭和15(1940)年の『戦ふ日本刀』(成瀬関次・実業之日本社)をふんだんに引用されています。
 成瀬氏は武道家であり、刀剣師であり、刀の補修業務などに軍属として戦場に立ちました。そこにはわたしが思った通りのことが書かれていました。鉄条網を斬ろうとして刃がノコギリのようになったこと、大きく曲がり修理不可能になった刀のこと、そうした刀剣の弱点を多くの将兵が理解していなかったことなどが実例を挙げて載っています。
 次回は本多氏と山本七平氏の議論を紹介します。
(つづく)
(あらき・はじめ)
(令和五年(2023年)2月8日配信)