陸軍工兵から施設科へ(44) 建設事務所に蓆旗(むしろばた)

コロナの蔓延

 皆さま、猛暑の中、いかがお過ごしでしょうか? こちら関東では、むこう1週間、毎日が晴れという予報が出ています。コロナの感染者の方々も日々増えて、医療体制もひっ迫との報道に不安がつのります。
 友人の感染対策の専門家によれば、過去3年間の統計をみれば、感染拡大のピークはお盆休暇のあたりとのことです。ワクチン接種については、いろいろな意見もありましょうが、要は換気をよくし、会話ではマスクをするという対処が最良とのこと。あわせて、ウィズ・コロナというべきか、経済活動、人との交流も並行していきたいものです。
 ウクライナ情勢については、いつもの通り「飽き」がきているのか、あまり報道もされなくなってきています。一方で防衛費の増加の方針についても、やれ財源がとか、社会保障費との兼ね合いがとか、ストップをかけようとする方々が出てきました。とりわけ、政権与党の地位にある政党が慎重な意見を持ち出してきています。
 「平和が一番」というその政党の主張の裏には、もう「戦争の被害者になるのはご免だ」という熱心な支持者の意見が透けて見えます。ところが、そのコアな支持者の方々が高齢化し、前回の選挙でも大幅に得票を減らしています。応援してくれる宗教団体の勢力が落ちてきているのでしょう。どのように舵とりをされていくのか興味が湧いています。
 電力のひっ迫についても、それに関わる原子力発電について議論も低調です。中国とロシアの艦隊は協力して東北地方や北海道の海で演習を繰り返しています。危険は少しも減らないどころか、かえって緊張の度を増しているようです。どうか、国民の負託を受けた方々にはそこを真剣に考えてもらいたいものです。

池に水は溜まらなかった

 1929(昭和4)年になりました。不況は深刻化しています。田中義一内閣は景気を刺激するために、膨脹する経費に公債の発行と国庫の余剰金をあてました。ますますインフレの気配は高まります。その一方で、社会主義に対しては弾圧を加えました。
 貯水池の建設は進んでいました。しかし、1924(大正13)年から盆地の水は減るばかりでした。水のない不自由な暮らし、田んぼも減り、ワサビ田もなくなって5年目にもなりました。とうとう人々は怒りに燃えて立ち上がります。
 4月下旬には池が完成し水も溜まり始めました。鉄道省では盆地の5地区に2万5000円あまりの見舞金を出し、田から畑への地目変換費として2万7500円、干上がったワサビ田の山林への変換費に1万8200円を支払いました。地目の変換は課税の苦しみを少しでも減らすためでした。
 熱海口の坑内では、やはり水との戦いが続いていました。慎重に、人命第一だと現場は努力しています。粘土層にセメントを入れて固めてから掘削という方法を取りました。確実に、安全にと工事は進められていたのです。
 しかし、頼みにした貯水池の水は計画通りには溜まりませんでした。流れ込んだ水はどんどん地中にしみ込んでいってしまったのです。大きな期待をかけていた住民たちは、ひどく失望しました。
 地区の中でも、丹那区はこれまでひどい被害はありませんでした。それがこの1929年のこと、急に状況は悪化しました。25戸の家の井戸はすべて涸れ、鉄道省の工事で引かれた鉄管の水に頼ることになりました。
貯水池からの水はほとんどなく、前年までの被害面積が2町4反1畝2歩だったのに、この年は18町3反2歩にも広がります。およそ2.4ヘクタールから同18.3ヘクタールに増えたわけです。およそ8倍です。被害の総合計は20町7反強であり、うち10町にはまったく水が入らず、稲は少しも育ちませんでした。
被害はそれだけでは済みません。地区内にはところどころに陥没するところまで現われました。丹那区ばかりではなく、他の地区でも陥没は起きたのです。

熱海建設事務所に押し寄せる住民

 「むしろばた」といわれるものがありました。農家が作った蓆(むしろ)を編んでつくった旗のことです。江戸時代などに起きた農民の一揆(いっき)、強訴(ごうそ)と呼ばれた農民たちの集団行動には、仲間の目じるしとして「蓆旗」が掲げられました。
 畑地区、丹那地区の住民300名余りが竹ざおなどにくくりつけた蓆旗を掲げて山から熱海の町に下りてきました。初冬の11月初めのことでした。住民たちは事務所を取り囲みましたが、警察官の介入で話し合うことになりました。
 住民の不満は決して不当なものではありませんでした。事務所に訴えると書類で出せといわれる。書類を出せば不備があるという。出し直すと今度は音沙汰がない・・・。鉄道省の対応はいつも後手後手にまわっているというのが何よりの不満でした。このような問題は昔も今も変わらないのだと思います。
 訴えがあれば役所はまず書面を要求する。これはまあ当然で、口頭で聞いた話はあてにならぬし、後で水かけ論の元にもなってしまう。じゃあ、書面に書かせればいいかというと、訴える方の多くは素人です。役所では書類というものは、その中身より形式が重視されます。書式が決まっていて、それから外れると戻すのが普通です。要望を出す人は素人ですから、書式に慣れていないのが普通ですね。
 では正しい文書が出されたとして、今度は予算に関わることなら多くの関係部署に回ることになります。これにも時間がかかるわけです。そうして最後に会議にかけられる。これではとてもすぐに、要望に対応できるわけはありません。
 このときの話し合いで、要望にすぐに対処するために貯水池のかたわらに常駐する職員を置くことにしました。これでどうやら昭和4年は暮れることになりました。
(つづく)
(あらき・はじめ)
(令和四年(2022年)8月3日配信)