陸軍工兵から施設科へ(43) トンネルの湧水は丹那盆地の水だった

政治家と宗教団体

 安倍元総理の遭難から半月が経ちました。いまは容疑者が宗教団体に恨みをいだいていたこと、その団体と安倍氏が親しいと思いこんだために銃撃をしたというストーリーが描かれています。新聞もテレビも、ひたすら容疑者の家族が崩壊した経緯を次々と報道しているようです。いつの間にか元自衛官という言い方もなくなりました。
 ただし、この事件の位置づけについては、7月24日付けの産経新聞に載った京都府立大学教授岡本隆司氏のご指摘にうなずくばかりです。氏は次のように言われます。『立場・利害・思想を異にするはずの関係者・識者が、第一報に口をそろえて「民主主義」に対する「挑戦」「攻撃」「冒涜(ぼうとく)」といいたて、新聞・メディアもほぼ同じ論調だったからである』
 このことは同じように感じました。氏も指摘されるように、民主主義国家ではテロや暗殺は少しも珍しいことではありません。アメリカ大統領のリンカーン、近くではロバート・ケネディが銃撃で命を失いました。また、英国でもアイルランド共和国軍によるテロ等がよく知られています。
 わが国の歴史でも、たとえば陸海軍の正規将校らによる5・15事件、部下をも連れ出した2・26事件などがあります。当時も普通選挙が行なわれ、民選の国会、政党もあり、それなりの民主主義がありました。これこそが民主主義への挑戦でありましょう。
 しかし、今回はどうでしょう。今のところ容疑者の動機は「私怨(しえん)」です。これが民主主義とどう関わるのでしょうか。民主主義への挑戦・攻撃・冒涜とは、力によって、正しい手続きによらずに国家体制の変革や転覆を図ることではないでしょうか。今回の容疑者には、今までの捜査の結果、そうした思想はまるでなかったようです。
 むしろ、安倍政権に反対するデモなどのプラカードに「安倍死ね」とかありました。「戦争ができる国にするような首相は殺せ」とか、なかには「安倍をぶった斬ってやる」などと公言する大学の先生もおりました。こうした言動こそ、まさに民主主義への挑戦・攻撃・冒涜なのではありませんか。マスコミや有識者といわれる方々の見識や教養を疑います。

畑地区からの嘆願

 豊かな地下水の恵みを受けて来た人々。渓流の3つが涸れてしまいました。1924(大正13)年の末のことです。残っているのは水頭(みずがしら)の泉だけだと畑地区の人々は言いました。飲料水を得るために麓から高地にある泉まで毎日桶を担いであがっているというのです。家族の飲み水ばかりではなく、家には平均2頭の乳牛がいます。この飲料水もたいへんな量なので、それぞれの家では男性が1人、ひたすら一日中水汲みをしていました。田んぼは全滅です。ワサビ田も湧水が涸れたためにできなくなりました。
 地区の人々の嘆願は、3年前に地質調査のためにボーリングをした孔をもう一度開けてもらいたいというものでした。鉄道省は4か所の穴を開けましたが、そのうち1つが畑地区にありました。
地上から106メートルの地下に掘削の先端が入った時でした。勢いよく水が6メートルも噴き出し、それがなかなか止まらない。そうして周囲の湧水が減ったのです。そこで大量のセメントを圧搾空気で送り込み孔をふさぎました。それをもう一度開けて欲しいという嘆願でした。あの6メートルもあがった水がもう一度欲しいというわけです。
 しかし、技師たちが検討してみると、再掘削は技術的にとても無理だと分かりました。鉄道省では議論がされました。おそらく・・・トンネル工事が原因だろう、現場での大量の湧水は丹那盆地の地下水に違いないという結論が出ました。ただし、ボーリングをもう一度、別の地点でやってみようとなったのです。

トンネルの水は丹那盆地からだ

 ボーリングの準備が始まりました。必要とする資材は東海道線沼津駅から私鉄駿豆(すんず)鉄道の大場(だいば)駅まで貨車で運ばれます。そこから軽便鉄道で函南村大竹区に送られ、その後は馬車で畑地区に運ばれました。
並行して鉄道省の技師たちは飲料水の確保にも努めました。水頭の泉は少しも涸れていません。この豊かな水を鉄管で畑地区の各家に送ろうというのです。住民たちも希望を持たされてきました。
 そのころ、なんと鉄道省の中でも、工事を放棄するという選択もあるという意見が出ていました。難航する掘削、それは主に湧水が原因です。また、複線型の大きなトンネルのせいだという意見もありました。
 阿部という技師がいました。逓信省の技師から鉄道省に移った人ですが、水力発電所建設のために水について研究した経験がありました。その知見からすると、一般の山岳地帯では降水量によって河川の流量が変わるというのです。ところが、火山地帯では降水量による水のかさの変化はないということでした。
 それは降った雨の水は、一般の山岳地帯では地中にしみ込むことが少ないのです。多くは河川に注ぎ込みます。だから降水量が多かった場合は河川の流量が増えます。ところが火山地帯では雨水が地下にしみ込みやすい。地質が粗いために、岩石の隙間に入って水が地中に溜められています。
 丹那盆地は典型的な火山地帯の地質です。地下に大量の水が貯えられていたと考えられました。トンネルは盆地の地下160メートルに掘られています。そこへ地中の水が流れ込んで、トンネルが巨大な排水管になっていると考えられたのでした。

各地区でも渇水の被害広がる

 ボーリングは進みました。1927(昭和2)年の夏でした。ボーリング先端のノミはとうとう106メートルの深さに達しました。誰もが3年前のように勢いよく水が噴き出すことを期待しました。たしかに水は出ました。ところが水の勢いは弱く、50センチほどしか上がりませんでした。付近の地下水が減っているということです。
 鉄道省も畑地区の水の減少に手をこまねいていたわけではありません。鉄管による給水も40戸の家々に行なわれました。延長1580メートルにも鉄管は伸びていました。おかげで畑地区の人々の気持ちも少しは救われましたが、減水は他の地区でも始まります。
 盆地の軽井沢地区では山間部の泉からの竹の樋で水を取っていましたが、その泉も涸れました。2台の水車も動かなくなり、他の地区も同じです。
 とうとう、大貯水池を造る計画を鉄道省も立てました。用地買収もされ、鹿島組が工事を請け負うことになりました。省からは各農家に見舞金も出し、遠い川からポンプで水を汲み上げる設備には県庁からも補助が出ました。しかし、住民たちの過去の豊かな暮らしはとてもそんなことでは戻りませんでした。
 そうしてとうとう住民たちは立ち上がりました。
(つづく)
(あらき・はじめ)
(令和四年(2022年)7月27日配信)