陸軍工兵から施設科へ(10) 徴兵制度(3)徴兵年限
ご挨拶
いよいよコロナ第3波の襲来という報道です。連日、多くの新しく感染された方々の数が増えています。たいへんお気の毒ですが、心配なのは続く医療崩壊です。医療現場の最前線におられる方々に感謝しています。
兵役期間の起算日は12月1日から
兵役の起算日は12月1日である。したがって、現役の終わり、すなわち除隊=予備役編入の日付は11月の末になる。ところが、昔の人の思い出話や日記を見ると、入営の日付が1月10日ということだ。それでは、12月いっぱいと1月9日までは、未入営ということになる。
どこかに規定があるのかと探してみると、兵役法の中にあった。第12条に「現役兵の在営期間は軍事上妨げなきときに限り、勅令の定むる所に依り60日(中略)以内之を短縮することを得(う)」とある(原文はカタカナ読点なし)。そして「兵役法施行令」の第32条には「おおむね40日」と厳しくなっている。
つまり、この40日とは、12月の31日と1月の9日の合計のことになる。だから、兵役の現役期間の計算は12月1日から始まるが、40日間の短縮期間がある。実際の入営はお正月の楽しみが済んでからの1月10日になるのだ。ただし、身分は未入営の現役兵である。事故などを起こすと、警察ではなく憲兵のお世話になることになった。
この期間は楽しかったという人が多い。鬼の2年兵は除隊した、兵営内はみな同年兵ばかりである。仕事といえば初年兵の入営準備が多かったそうだ。名札書きなども事務室勤務兵だけでは足りなくて、字の上手な者などに声がかかったという。上等兵の発令もされて、翌年入る初年兵の世話をする初年兵掛(かかり)になる者は序列の高い優秀な人だった。翌年に除隊するときには伍長勤務上等兵にもなっていれば「下士官適任證書(しょうしょ)」を受ける人もいただろう。
ところで、伍長勤務上等兵とは何か。陸軍は慢性的に下士官不足だった。現役の下士官は中隊で内務班長を務め、初年兵・2年兵の教育の助教になり、被服掛、陣営具掛、兵器掛などの運営業務に就いている。また、大隊本部、聯隊本部などで勤務する下士官もいた。厳しい財政状況の中では定員も増やせない。そこで優秀な上等兵を選んで下士官の勤務をとらせるのが普通だった。それが伍長勤務上等兵、略して「ゴキン」といった。
補充兵役とは
兵役法で出来た制度で注目すべきは「補充兵役」だろう。これは戦時の損耗に備えての要員である。とりあえずは現役兵のように翌年1月に入営する必要はない。だが、いつ「教育召集令状」がくるか分からない。いったん来れば3カ月の教育がある。現役初年兵も、各個教練から始まって執銃訓練、中隊戦闘訓練、陣中勤務、学科などを受けて、およそ3カ月でほぼ一人前の兵士になった。そうして「既教育補充兵」といわれる立場になる。
この制度は、動員倍率が高くになるにつれて、予備役、後備兵役の人員だけでは必要な人員が確保できないということから案出された。動員倍率とは、平時の部隊が戦時定員になることを動員といい、その平時と戦時の人員比率のことをいう。
つまり、平時の歩兵中隊の定員が100名とすれば、2年現役では各年度50名ずつがいる。それが動員下令で200名になれば2年度分を召集すればいい。ところが、現実の世間では、病気、仕事上の問題、家族の状況などへの配慮があった。
「得員率(とくいんりつ)」という言葉もあり、100通の召集令状を出しても、実際に入営するのは70%余りだったらしい。そうであると、予備・後備ばかりでは不足する。それが補充兵の始まりだっただろう。
平時の、つまり支那事変(1937年)が長期化するまでの陸軍では、補充兵が兵営に入ってくることはまずなかった。だから、当時は現役兵に比べて「格落ち」と思われていたらしい。後に戦争が長期化すると補充兵に召集がかかり、後方の教育隊で3カ月の訓練の後、部隊に配属されることになった。そこでは上等兵には、なりにくくなっていたようだ。
兵役期間につく4カ月
兵役法によれば、各役の年限は次の通りである。現役2年、予備役5年4カ月、後備役10年、その後40歳までは第1国民兵役に服した。補充兵役は第一と第二に分かれた。第一補充兵役は12年4カ月、その後は既教育の者は第1国民兵役に、未教育は第2国民兵役に編入された。第2補充兵役は同じく12年4カ月で、その後は全員が第2国民兵役になった。
この端数の4カ月は何か。動員計画との関係である。
兵役期間の起算日は12月1日であり、4カ月の端数を加えると翌年の3月31日になる。この3月31日という日はどんな日だろうか。いまも昔も、会計年度の日というのは完全な正解ではない。これは参謀本部が作成した「年度作戦計画」の最終日になる日だ。
「年度動員計画」は4月1日から発効し、翌年の3月31日まで有効である。
4月1日から始まる年度動員計画で「赤紙=充員召集令状」をもらって部隊の要員になった人は翌年3月31日まで服役してもらわなければならない。この端数の4カ月がなくては後備役にある兵役開始15年目の人は、年度動員計画の中途の11月30日で、兵役を終わってしまうことになる。
この端数の4カ月がつくことで、兵役は2年の現役と15年4か月の予・後備役合計17年と4カ月を務めることをいう。もちろん、第一・第二両国民兵役も満40歳まで続くのだが。ただし、国民兵は国民軍が編成されなくては召集が来ることはなかった。そうして、わが国は敗戦まで国民軍を編成することはなかった。
端数の効用
端数の4か月を予備役第1年次の前についたとする。除隊が11月末日なら、その翌日の12月1日から翌年の3月31日まで予備役の第1年次である。その1年次の12月1日には、新しい初年兵が加わる(入営しなくても帳簿上存在する)と、それから3月31日までは2年次分の兵員が存在することになる。合計で18年次分が存在する。
しかし、この全部を動員部隊の要員にあてられるか。答えは否である。年度動員計画は4月1日に適用されるから、この時点では部隊には、一期の教育がすんだばかりの初年兵と2年次兵が在営している。
11月末に除隊したばかりの兵員は、予備役に入っても直ちに召集が来るかも知れない。なぜなら、すぐに「充員召集令状」が聯隊区司令部には用意されるからだ。翌年3月末まで動員部隊の基幹要員であることは変わりないからだ。端数があるからこそ、動員のつなぎ目も安心というわけだ。
一期の教育中の初年兵は留守部隊では定員外
12月になると、先月末に2年兵が満期除隊したおかげで、兵営はがらがらである。そこに動員が必要な事態が起きたらどうなるか。心配はない。ほぼ2年ぶりに実家で新年を祝おうとしていた除隊兵にすぐ充員召集がかかるからだ。なお、「充員」つまり「充(み)たす」というのは、正規の動員計画の部隊の編制表の人員を充たすからである。ちなみに動員計画になかった部隊が臨時に編成されることもあった。その要員を集める時に出す令状は「臨時召集令状」である。
「新しい初年兵?頭数(あたまかず)がそろっているだけで、動員業務の支障にこそなれモノの役にも立たないんだよ」と聞き取りで答えてくれた人がいた。この「物の役にも立たない」というのは軍人勅諭の中にある言葉だった。
初年兵の教育計画は年間を4つに分けて行われた(時期によって3つのときもあった)。これを第1期から第4期というようにまとめるが、「1期の初年兵」は戦力にはならなかった。現在の陸上自衛隊も、教育団の教育大隊や教育連隊の新隊員教育隊、あるいは部隊の中の新隊員教育隊で前期課程の教育を受ける。3か月のその基礎課程は、とにかく隊員としての素養をつけることで使われる。現場の部隊に配属されるのはそれからである。
1期教育期間中の初年兵は動員下令があっても、動員部隊に入ることはない。現役の将校や下士官はそれぞれの戦時補職に異動しても、留守を預かる補充隊に勤務する将校・下士官はいて課程終了まで教育を受ける。だから留守部隊の定員には入らないのだ。
興味深いのは「俸給(ほうきゅう)」に関する規定である。2等兵の俸給には甲と乙があった。甲は月額9円で乙は6円である。この乙の支給対象者は現役兵、未教育補充兵、未教育国民兵で入営した日から起算して3月までの間に支給するとあった。つまり1期の教育期間中は動員部隊に行けないから半人前であることが分かる。4カ月目からは甲が支給された。
(以下次号)
(あらき・はじめ)
(令和二年(2020年)12月16日配信)