陸軍工兵から施設科へ(38) 難航する救助坑の掘削

ご挨拶・この危機での国政選挙

 いよいよ参議院選挙が近づいてきました。ウクライナでのロシアの侵略行動について、いろいろな議論があります。中には「やられる側にも責任がある」とか、「西側の意図的な報道が問題だ。ロシアにも言い分がある」などという論者もいて、わたしのような政治についての素人にはたいへん興味深いです。また、わたしには現在の軍事についても知識はほとんどありません。それゆえに専門家とされる方々の解説についても勉強になることばかりです。
 各政党は7月の国政選挙にどういう訴えをしようとしているのか。19日(日)の産経新聞に9党の公約が要約されていました。その中でも防衛問題にしぼってまとめてみました。
■公明党 「先進7カ国(G7)」をはじめとする諸国の国際社会と緊密に連携し、ロシアへの経済制裁を強化。人道・復興支援などで貢献する。専守防衛の下に日米同盟の抑止力・対処力の一層の向上を図る。防衛力整備も予算額ありきではなく、研究開発費や自衛隊員の人材確保に必要な処遇改善など個別具体的に検討する。非核三原則を堅持し、核保有国と非核保有国との橋渡しをする。
■共産党 日米同盟の抑止力強化、敵基地攻撃能力の保有、憲法9条改悪、防衛費の倍増に反対。米軍普天間飛行場の辺野古移設を中止、普天間飛行場の無条件撤去を要求する。輸送機オスプレイを沖縄からも本土からも撤去。
■自民党 国家安全保障戦略を改定し、新たに防衛力整備計画を策定。NATO諸国の国防予算の対国内総生産(GDP)比目標(2%以上)も念頭に、真に必要な防衛関係費を積み上げ、来年度から5年以内に、防衛力の抜本的強化に必要な予算水準の達成。弾道ミサイル攻撃を含むわが国への武力攻撃に対する反撃能力を保有し、抑止、対処する。
■国民民主党 「自衛のための打撃力(反撃力)」を整備。「専守防衛」に徹しつつ、必要な防衛費を増額する。
■立憲民主党 日米同盟の役割分担を前提とし、「専守防衛」との整合性を検討し、着実な防衛力整備を行う。ミサイル防衛・迎撃能力の向上を図り、脅威への対処能力向上に向けて研究開発を促進する。米国との「核共有」は認めない。普天間飛行場の辺野古移設を中止する。
■日本維新の会 防衛費をGDP比1%という枠を廃し、2%を1つの目安とし、防衛体制を総合的に強化し、「積極防衛能力」の整備を図る。「専守防衛」の定義のうち、「必要最小限」に限るとの規定・解釈の見直しに取り組む。「核共有」を含む拡大抑止に関する議論を開始。憲法9条の平和主義・戦争放棄を堅持し、自衛隊を明確に規定する。
■れいわ新選組 「専守防衛」と徹底した平和外交によって、周辺諸国との信頼関係を醸成し、北東アジアの平和と安定に寄与する。核兵器禁止条約を直ちに批准する。
■NHK党 防衛費をGDP比2%程度に引き上げ、現実的な国防力を整備。「核共有」の議論は積極的に進める。日本版CIAといった対外情報機関の創設に関して議論の準備を進める。
■社民党 「核共有」に断固反対。防衛力の大幅増強に反対。米軍普天間飛行場の無条件全面返還を要求。在日米軍基地の撤去。台湾有事を想定した日米の戦争準備に断固反対。
 世論調査によると、国民の9割が防衛費の増額に賛成しているとのことです。そうした意見から見ると、与党なのに公明党はいかにも歯切れが悪い主張をしています。非核三原則という「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず」という戦後平和主義の伝家の宝刀も「核共有」という意見が出てくると、あらためて議論の必要が生まれてきました。
 実際のところ、隣人である北朝鮮、中国、ロシアという核保有国があり、弾道弾ミサイルなどによる核の威嚇があるのが現実です。自前で作るか、米軍に我が国内に核兵器を配備してもらうといったことも選択肢の一つであるのは当然です。
 
もっとも自民党は岸田首相がそういう議論もあり得ないと否定しています。ご自身を被爆地である広島の政治家だともいい、そこに「唯一の被爆国」という長い間の心理的縛りを感じさせられます。
立憲民主党は日米同盟の役割分担をいい、やはり「専守防衛」。そうして「核共有」認めない、それでも普天間飛行場の移転工事も中止。どうやって米国と話し合う気でしょうか。彼らの頭の中の構造と、自己中心にしか思えない日米同盟への考え方、支持者の皆さんも同じなのかなと心配になります。
ある報道番組では論者を集めて、そこに古庄元海将まで招いて防衛費増額反対の論陣を張っていました。古庄さんも発言を切り取られ、しっかり反増強論者にされていました。 
これから選挙戦もますます烈しくなるでしょう。どんな審判が国民から下るのでしょうか。

難航する救助坑掘削

 坑口から290メートルの位置でした。トンネルの全断面に大きな岩石が土といっしょに積み重なっていました。飛散した支保工の丸太、板や岩石が押し出されてきていたのです。崩壊の場所は坑口から317メートルのあたりと推定されました。
 第1救助坑が掘られ始めたのは午後7時30分、事故発生から3時間10分が経っていました。救助坑というのは大きい必要はありません。閉じ込められた者を救えばいいのです。人間が這って通れるだけの「たぬき穴」とも言われた小型の坑道で十分でした。
 救助員たちは水が流れる木製の樋の中に腹ばいになりました。クロマツの丸太を深く地中に打ち込みます。小さな支保工の枠を造るためです。丸太と丸太はカスガイを打って固定します。次は、その枠にそって矢木(やぎ)という頑丈な樫(かし)の板をカケヤ(小型の木製の槌)で前方に打ち込んでいきます。こうして板で包まれた枠の中の土石を取り除いていって坑道を造っていくのでした。
 ところが困難があります。前方を崩壊した支保工の丸太や板、岩石がさえぎっているのです。矢木を打ち込んでいくためには、岩石をツルハシで砕き、丸太や板はノコギリで切るしかありません。第2救助坑は左側の側壁ぞいに掘られました。トンネル下部の排水溝を使った第1と左側壁ぞいの第2、それぞれ20名の坑夫が働いていました。
 崩壊した場所の先に生存者がいるかどうかです。それを確かめる方法がありました。トンネルの床には切端から坑口まで送風管が伸びています。長さ4メートル、直径20センチの鉄管をボルトでつないでありました。新鮮な圧搾空気を坑口から送っていたのです。それが切れているとは考えにくく、古くから伝わる鉄管信号を試みることになりました。金槌(かなずち)などで鉄管を叩き、信号を送り合うのです。
 鉄管の直径は20センチもあるので、食糧等も送ることができました。また、縄を通せばそれを使って物品や手紙の交換もできたのです。
午後8時30分、救助工事開始から1時間後、技手が鉄管を叩きました。叩くと、すぐに耳を鉄管につけて反応があるかを調べます。何度も試みましたが何の反応もありません。それでも技手は金槌を叩き続けました。
 午後9時、最初の遺体が発見されます。坑外にはテントが張られ、そこが救護所になって医師や看護婦が待機していました。多くの医薬品もそろっています。
 午後11時30分、第3救助坑が掘られることになりました。トンネル下部と左側に加えて、右側の側壁にそったものです。こうして3方向から救助坑は掘られてゆきます。
 朝になると、三島口を掘っていた鹿島組から応援がやってきました。夜を徹して、山を越えてやってきたのです。鹿島組の幹部は坑内を見ると、金属製の枠が工事を妨げていることを知りました。煉瓦を積むときの型枠です。熱海事務所の技術者もそれを知っていました。すでに連絡をとって酸素ガス金属切断機が東京から送られてくるのを待っていました。
 鹿島組の幹部はすぐに電話を三島口派出所にかけました。ガス切断機を送ってもらえるように頼みます。派出所主任の技師は、すぐに部下に三島町の町工場をあたって切断機と酸素ガスボンベを借り出してくるように命じました。2時間ほどで切断機もガスボンベも見つかります。技師たちはリヤカーにそれらを積み、山道を半ば走るように進みました。
 次回はいよいよ救助坑の貫通と生存者の発見です。
(つづく)
(あらき・はじめ)
(令和四年(2022年)6月22日配信)