陸軍工兵から施設科へ(37) トンネル崩落

ご挨拶

 ますます混迷を深めるウクライナ情勢です。一方、じわりと物価の上昇などで、やはりわが国が世界にしっかりつながっていることが理解できます。対岸の火事というのんびりしたイメージではなく、グローバルな問題がわたしたちの周囲を取り巻いていることが分かります。
 ロシア海軍は大規模な訓練を、わが国の北方領土や日本海、東北地方の周辺で実行しました。ウクライナに力を注いでいても、日本にも気を許していないぞという威嚇でありましょう。北朝鮮もミサイルを連続で発射し、米国にシグナルを送っています。もちろん、中国も黙っているわけではありません。
 こうした武力を背景にした現実の国際政治の駆け引きの中で、国の交戦権を否定した憲法9条を守ろうという人がいることが不思議ですね。
 今日もある偏向したテレビ番組で専門家という方が語っています。戦争が起これば、あるいは起きている現在、ほくそ笑む人たちがいるというのです。わが国の防衛に関する予算が増えれば軍需産業が潤うから彼らは喜んでいると、したり顔で解説しています。
こうした戦争のたびに昔から言われる陰謀論、戦争を起こすのは資本主義、帝国主義の野望によるものだという解説の仕方をまだしています。戦争で利益を受け取るはずという勢力を非難する解説、もういい加減飽きました。
 わが国の反体制を標榜する有識者たちも、そろそろ新しい考え方を提示できないのでしょうか? 進歩派のはずなのに、少しも進歩していない・・・不思議な人たちです。

「山が抜けた」

 事故は突如起きました。1921(大正10)年4月1日午後4時30分頃のことでした。崩落したのは、熱海口から990フィート(約300メートル)の工事現場です。
毎月、1日と15日は休日でした。前の晩から続いていた工事も昼には終わり、坑口はすっかり静まりかえっていました。
 この日が休日でも出勤する人もいます。導坑はこのとき坑口から1363メートルにまで進んでいました。導坑とは、とにかく先へ先へと掘り進む狭い穴(幅3メートル、高さ2.5メートル)のことです。そうして周囲を固定してからさらに、その上下左右を掘り、トンネルの形に仕上げてゆきます。導坑の最先端を切端(きりは)といいますが、この日、このときその切端の20メートル手前で支保工(しほこう)の組み立てにあたっている人たちがいました。
 説明を繰り返します。支保工とは松の丸太と頑丈な板材で組んだものです。予定するトンネルの最下部にあたるところに底設導坑(小型トンネル)をまず掘ります。その周囲を固めなければなりません。上下左右から土圧(どあつ)が穴をふさごうとしてきます。
そこで松の太い丸太を鳥居のように組んで、丸太と丸太の間に丈夫で厚い松板を張ってゆきました。それを支保工といいます。丸太と板で周囲の崩れてこようとする土圧から導坑を守るのです。
 まだ電力問題が解決していなかったので、坑内の灯は油を燃やすカンテラでした。午後2時過ぎにはその作業を終え、無事に坑外に出たそうです。吉村昭氏の調査に従うと、この日、坑内で作業をしていたのは4つのグループ、34名の人たちだったといいます。
 まず、鉄道省熱海線建設事務所の建築工夫長以下の13名と2名の鳶職(とびしょく)でした。坑口から317メートルの個所を中心に前後8メートルの側壁に積む煉瓦(レンガ)を固めるモルタル作りをしていました。セメント、砂、水を混ぜていたのです。その作業現場に、熱海線建設事務所の田畑技手(判任官)と請負業者である鉄道工業会社の社員がやってきました。煉瓦を積んでも大丈夫かどうかの点検にやってきたのです。
 堅い安山岩の壁は無事に見えました。技手たちは「明日から煉瓦積みに進むように」と現場の工夫長に指示して午後3時すぎに坑口から出ます。
 工夫長たちが働いていた場所から奥には、鉄道工業会社の人夫(にんぷ)世話役が指揮して10名の人たちがいました。掘り広げた場所から出る土石(ズリという)をトロッコに積み上げていたのです。近くには2人の雑役夫が排水溝の掃除をしています。ほかにも3人の坑夫(掘削担当の工夫)がトンネルを広げる作業をしていました。
 最後のグループは、鉄道工業会社の社員たち3名です。坑内を見回る当番だったのでした。

午後4時20分

 坑口の外の詰所には2人の当番がいました。彼らは異様な音を聞き、詰所の床が下から突き上げられたように感じたそうです。慌てて外に出て、坑内に駆け込んでみると黒い土ぼこりが空気の塊となって噴き出してきました。2人はすぐに坑口から飛び出し、1人は事務所へ走って向かいました。残った1人は坑口からよろめき出て、前のめりに倒れる男を見ます。男の口からは「山が抜けた」という言葉がもれました。
富田建設事務所長以下、幹部は全員集まり、下請けの鉄道工業会社の社員も駆けつけます。救出された男は坑口から317メートルの地点で、煉瓦を積む準備作業を行なっていました。そこで崩壊が起きたようです。しかし、その場所は1時間半前に田畑技手たちが入念に点検をした場所でした。
原因の究明も大切ですが、何よりも優先するのが人名救助です。富田所長以下、国鉄の技師たちも現場に急ぎます。坑口から290メートル、飛散した支保工の丸太や板といっしょに石や土砂がトンネルをふさいでいました。
ふつう、崩壊するのは一部であり、導坑全部が埋まることはありえません。ということはふさがれている距離は数十メートルであり、その前にいる人たちは十分生存の可能性があるということです。調べてみると、おそらく11名が崩壊場所で遭難し、37名はその前のトンネル内に閉じ込められていると考えられました。
生き残っていても危険がいくつもあります。まず、有毒ガスの発生です。すでにそうした事例がありました。次に湧水です。地下水はいつも現場から湧き出していました。それが排出されずにトンネル内にたまっていくと水死をする恐れがあります。また、坑内は地熱が高く、さらには飢えという問題がありました。

救助坑を掘る

 すぐにも崩壊箇所に別の穴を開けて救助をするという決定がされました。トンネルの上を破って崩壊した土砂は坑口と切端方向に広がっているはずです。横から見れば山型になっている、だから最上部を掘ればもっとも短い距離で閉じ込められた人たちに手を差し伸べられるでしょう。鉄道工業会社の下請けの桂組の坑夫長は主張します。
 ところが、これに反対意見が出ます。頂上部は崩落しやすい、救助坑を掘っている者が二重遭難する恐れが高いというものでした。富田所長は決断します。トンネルの床にそって坑道を掘り進めるというものです。もちろん距離は大きくなりますが、床の中心には排水溝があり、それに沿って進めば確実に向こう側に着くからです。
 さらに意見が出ました。崩壊箇所は当然、上からさらに土砂が崩壊しやすい、そこでそれを避けてトンネルの側面にそって救助坑を掘ろうというものでした。しかも、側面はすでにコンクリートで固められているから、少なくとも横方向からの土圧はないというのです。
 結論として、2つの救助用の新たなトンネルが掘られることになりました。床に沿い、排水溝をたどるもの、もう1つは左側の側壁に沿って進むものです。
 次回はさらなる困難に見舞われます。
(つづく)
(あらき・はじめ)
(令和四年(2022年)6月15日配信)