特別紹介 防衛省の秘蔵映像(44) ヒトロク(16)大綱の時代

2007(平成19)年の映像紹介
平成19年防衛省記録 – YouTube

はじめに

 読者の皆さんは、防衛力が大きな方針のもとに計画され、見直しをかけられつつ中期防衛力整備計画にのっとって発展をしてきたことをご存じでしょう。そうしたことは、陸自に関しては、これまでのわたしの活動と自衛官とのお付き合いで学んで来ることができました。
 今回は16(ひとろく)大綱と通称された指針をあらためてご紹介しようと思います。もちろん、当時の防衛白書などを読めば理解もできますが、なにぶん大部です。そこで駆け足ながら、現役のK1佐がまとめられた論文を下敷きに、かいつまんでご紹介します。
 まず平成16(2004)年とはどんな年でしたでしょうか。冷戦が終わって15年が経ちました。この前の07大綱(平成7=1995)年から9年です。07大綱は51大綱(昭和51=1976)から約20年が経っていました。

情勢の変化

 16大綱が出るまでの情勢変化をふり返ってみましょう。1996(平成8)年には、UNDOFと略称された中東ゴラン高原の兵力引き離し監視団への部隊派遣が始まります。そして、現在(2021年)の事態にもつながる中国による台湾近海でのミサイル発射訓練、中国海空軍の実弾演習と陸海空統合演習がありました。そして7月には45回目の地下核実験も中国は行なっています。
 1997(平成9)年1月にはロシア船のナホトカ号海難と重油流失災害が出ました。7月になって香港が英国から中国に返還されます。翌年は8月に北朝鮮がわが国上空を越えるミサイルの発射実験を行ないました。翌99年には能登半島沖の不審船事案が起き、海上警備行動が発令されます。そうして平成13(2001)年には米国の大都市に対してテロ活動が行なわれ、同時多発テロと衝撃が世界中を襲いました。
 もう「抑止」ではない。「対処」だという認識がわが国世論にも生まれてきました。イラク特別措置法も成立し、平成14(2002)年にはイラク復興派遣群も派遣され、「テロとの戦い」への貢献から、世界の平和の維持こそわが国の平和につながるという認識も広がってきました。同時に国内では、16(2004)年には「鳥インフルエンザ」についての災害派遣も行なわれます。以後、現在でもこうした事案には、地方自治体もためらいなく自衛隊に派遣を要請するようになりました。
 このことは本来の災害派遣にあたるのか、いつも議論されます。自衛隊の災害派遣はとくに考えなくてはならないのは、「非代替性」だとわたしは考えています。そうした罹病した動物を殺し、処理し、後始末をしたりするのは、ほんとうに「国防の組織」である自衛隊にしかできないのかということです。自治体の皆さんは、安易に「じゃあ、自衛隊にやってもらおう。世論はこっちに味方する」という考えに乗っているのではないでしょうか。
 いや、そんなことはない・・・という方もおられるでしょう。そうでしょうね。仕組みもない、予算もない、人手もないというのが地方自治体の実態の1つでしょう。ただ、こうしたことが国防の任務、そのための訓練や、学習や、休養の時間や機会を、自衛隊・自衛官から奪っていいのでしょうか。
 そのことは以前、某月刊誌に寄稿したこともありますが、ほとんど反応はありませんでした。「他にないから仕方ないだろう」というのが、他の手段や仕組みを考えようともしない人たちの返事です。情けない自治体の首長、議員、公務員たちなのです。もちろん、そうした首長や議員を選挙で選ぶ住民のレベルの問題なのですが。

16大綱の基本方針

 2つの目標と3つのアプローチといわれました。目標の第1は、わが国に直接の脅威が及ぶことを防ぎ、もし脅威が及んだら排除するとともに、その被害を最小限にすることでした。第2には国際的な安全保障環境を改善し、わが国に脅威が及ばないようにすることとしました。
 3つのアプローチとは、「わが国自身の努力」、「同盟国との協力」、そして「国際社会との協力」を指していました。これらを統合的に組み合わせるということになったのです。
 抑止効果重視から対処能力重視への転換もありました。異常な事態、有事につながる事件は予測困難です。しかも突発的に発生します。これまでの抑止効果は期待できないという認識が生まれました。そして国際平和協力活動に主体的に積極的に関わろうということから、わが国の防衛のためには過去の「基盤的防衛力構想」だけでは十分ではないと防衛当局者は考えます。
 つまり防衛力の果たす役割が多様化する一方で、「少子化」による若者人口の減少、厳しさを増すばかりの財政事情などがあります。そこにも考えを及ぼさねばならないと考えました。

本格的な侵略事態はない・・・だろう。

 多機能で、弾力的な実効力のある防衛力。即応性、機動性、柔軟性及び多目的性のある防衛力。これが戦車を900輌から600輌に減らし、主力火砲を900門から600門に減らした大綱の実態でした。
 陸上自衛隊は伝統的に、「連隊戦闘団」という単位を主として戦う訓練をしてきました。わかりやすくいえば、普通科(歩兵)連隊の4個には、それぞれの連隊に特科(砲兵)大隊、戦車中隊、施設中隊が配属され、普通科連隊長の指揮のもとに戦うのが長い間の伝統だったのです。
 
 だから4個普通科連隊をもつ師団の特科連隊は5個大隊でした。4個大隊はそれぞれ固有の派遣先の普通科連隊に配属され、連隊長は師団長の命令で全般支援(つまり、重点への投入)を行なうようになっていたのです。これが、そうした事態は起きないだろうということから、次々と連隊は「隊」になって規模が小さくなり、普通科連隊も小型化し、あまった火砲は溶鉱炉行きとなりました。
 陸上自衛官の定員も編成定数が5000名削減されます。常備も即応予備自衛官も減りました。16大綱では編成定数は15万5000名、うち常備自衛官は14万8000名、即応予備自衛官は7000名と8000名の減員となりました。
 海上自衛隊は、地方隊の護衛艦部隊が2個減り、潜水艦部隊も同じく2個減って4個隊になります。哨戒機部隊も13個隊から9個隊に減りました。航空自衛隊も作戦用航空機が50機も減り、戦闘機はそのうちの40機を占めました。

2007(平成19)年の映像紹介

 防衛庁が「省」になりました。中央即応集団が発足し、第1空挺団や第1ヘリコプター団、中央即応連隊などで構成されるようになります。米軍の再編についての映像では、アメリカ海兵隊所属の水陸両用戦闘車AAV-7が登場します。
 防衛大臣は元気いっぱいの石破茂氏が登場します。インド洋上での多国籍軍艦への給油活動の終了を宣言しています。高村大臣、そして女性初の防衛大臣、現東京都知事の小池百合子氏も若々しい姿を見せてくれます。女性政治家といえば、参議院議長の扇千景さんも登場されていました。
 海自の話題は、全通甲板(艦首から艦尾まで)の平甲板をもった護衛艦「ひゅうが」の進水です。2009(平成21)年3月に就役しますが、初の1万3500トン型と紹介されています。また、護衛艦「こんごう(DDG173)」がSM3への装備更新を行ない、弾道ミサイルへの対応が可能とされています。
 海自・空自も同じく国産の哨戒機と輸送機がデビューします。もっともどちらも就役ではなく、工場からロールアウトして公式の初飛行を行なう映像です。現用のP1とC2の誕生前の姿でした。
 能登半島沖地震、そして新潟中越地震への災害派遣活動も見られます。
(つづく)
(あらき・はじめ)
(令和三年(2021年)12月8日配信)