特別紹介 防衛省の秘蔵映像(45) 「真の信頼を得るために」 2008(平成20)年の映像紹介

2008(平成20)年の映像紹介
平成20年防衛省記録 – YouTube

16大綱の下で

 大綱の決定の直後、2004(平成16)年には、スマトラ沖大地震が起きました。海自の輸送艦「おおすみ」の甲板上には陸自のチヌーク・ヘリコプター(大型輸送用・CH47)が固縛されて海を渡ってゆきました。揺れる護衛艦の飛行甲板に降着することが前提の海自のヘリと比べると、陸自のヘリは脚が弱く、苦労したと聞きました。
 このことは昔の陸海軍の航空機を比べても、まったく同じでした。「制御された墜落」とも言われるように、海軍機の着艦は荒っぽいのです。甲板に脚を叩きつけるように降ります。対して陸軍航空機の脚は強度をそれほど考えなくて良かったのです。同じエンジンを使った海軍零式戦闘機と陸軍一式戦闘機(愛称・隼)の脚回りを見ても、その思想の違いは歴然でした。
 インド洋津波災害には、翌年1月に国際緊急援助活動。そうしているうちに、2月、北朝鮮外務省が「核兵器製造」などの声明を発表します。マラッカ海峡では日本船舶が襲撃を受けました。国民の生命・財産は確実に脅かされそうになってきます。パキスタンでは大地震(10月)。
 平成18年には米軍が新しい体制を発表、わが自衛隊も統合運用体制がスタート、インドネシア・ジャワ島の中部で大規模地震、これには国際緊急援助活動で対応。北朝鮮は日本海に向けて弾道ミサイルを7月に発射します。そうして地下核実験を行ないました。もちろん、わが政府は「遺憾砲」で反撃します(笑)。しかし、言葉だけではどうにも仕方がありません。
 平成19年には防衛省に移行し、国際活動が「本来任務化」します。中央即応集団が新編されました。20年度の映像の中には栃木県宇都宮市で新たに、中央即応連隊が開隊した様子が映っています。

不祥事が続く

 映像のタイトルには、「真の信頼を得るために」という言葉が使われます。自衛隊がらみの不祥事が次々と起きました。護衛艦「あたご」の千葉県房総沖での漁船の衝突事故が大きく報道されます(2月)。また、海自の士官によるイージス艦の機密漏洩事件も起きました。
 ただ、こうしたことが起きようとも、国民が「けしからん」の大合唱をしたかというと、そうでもなかった気がします。いつもながらマスコミの世論?を背景にした攻撃は大きく扱われがちです。自衛隊もまた、自ら「国民の生命財産を守る立場でありながら」と大きな声ですぐにお詫びします。
そうした自衛隊の配慮はけっこうなことだし、素晴らしい姿勢とも言えます。しかし、報道する側に「自衛隊反対」というバイアスが常のようにかかっていた過去、現在を思うと、その結果も検証されていかねばならないと思うのです。
今では冷静にふり返れば、「あたご」に一方的な過失があったとは断言できないのですが、当時の報道はとにかく海自の責任追及に懸命になっていました。朝日新聞や信濃毎日新聞などはとにかく悪玉が自衛官、善玉が漁師父子で、海事審判も裁判も行なわれる前から護衛艦にすべての責任があると世論をあおっています。
海事審判でも双方に責任があることが指摘されました。「あたご」の当直士官たちは無罪を勝ち取ります。誤った偏見に溢れた記事を書いた人たち、審判官、裁判官でもないのに「自衛官に罪がある」と断言した人たちはどう責任を取ったのでしょう。

自衛官の地道な活動

 東部方面隊後方支援隊の隷下、第102不発弾処理隊が東京都内調布市にあった戦時中の不発弾(米軍航空爆弾)を安全に無力化した映像があります。この不発弾処理隊の人たちは陸自武器科の隊員です。武器科は火砲、弾薬、兵器等に関する業務を主とする隊員になります。
特別な教育・訓練を受けた爆発物処理のエキスパートで、わずかな危険手当を支給されるだけで命をかけた任務に携わっています。不発弾はそれを起爆させる信管が生きている場合もあり、事故があれば死に直結する業務です。不発弾は激しい陸上戦闘があった沖縄県に最も多く、不発弾処理隊は大活躍しています。
イラクに派遣された部隊といえば、陸自の復興支援群にどうしても注目が集まりがちです。しばしば私たちは兵站を忘れます。後方支援ですね。空自の派遣輸送航空隊のご苦労が紹介されています。
6月の岩手・宮城内陸地震、マグニチュード7.2という規模で、死者13人、行方不明者10名を出した災害でした。この救援活動は陸自が主役ですが、現場の隊員の真摯さがよく伝わります。

お宝だらけのトピックス

 陸・海・空3自衛隊で初の協働部隊である「指揮通信システム隊」が発足します。これまで3自衛隊それぞれが持っていた指揮通信のインフラを統合した部隊です。これで統合作戦能力が高まりました。
 先にもふれた中央即応連隊が発足します。この年のキーワードは「即応」でした。いつでも動ける、命令一下直ちに任務につけるというのが即応です。大きなドーム型天幕が紹介され、その機動力も映像に出ています。
 砕氷艦「しらせ(初代・艦番号5002)」が退役します。南極観測船は海上保安庁の「宗谷(そうや)」でした。この老朽化に対応して、1964(昭和39)年度予算で、大急ぎで建造されたのが「ふじ(5001)」です。全長は100メートルで、ヘリコプター3機を収容する格納庫と飛行甲板がありました。
 砕氷艦は過酷な任務につくために老朽化が激しかったので、1979(昭和54)年度に計画されたのが全長134メートル、排水量が1万1600トンの初代「しらせ」です。艦名を聞いた時には、「え、人名を付けるの?」と驚きました。それは私たちの世代は白瀬といえば、すぐに白瀬矗(しらせ・のぶ)陸軍中尉を思い出すからです。
 白瀬中尉は南極観測に大きな貢献をされました。欧米ではしばしば軍艦名に人名を使いますが、自衛隊にはその伝統はないはず。驚いたのですが、南極の地図を見ると、そこには「白瀬堆(しらせたい)」という地名がありました。海自の担当官たちのセンスの良さを思い知らされました。
 護衛艦「ひゅうが」の命名の様子が少し映っています。空母型船型の1番艦です。いよいよ空母保有かと大騒ぎされましたが、あくまでも「ヘリ搭載護衛艦(DDH)」です。

TK-XとXP-1とKC767

 とうとう陸自の10式戦車がデビューします。部内のふつうの呼称では「10」をヒトマルと呼ぶので、それが正しいと思われがちですが、公文書上では「ジュウネンシキ」となります。その雄姿が見られます。次週はそのご紹介が楽しみです。
 海自新型哨戒機のP-1の試作型が紹介されます。4つのジェットエンジンを積んだ国産哨戒機です。また、空自の空中給油機KC-767も登場します。(つづく)
(つづく)
(あらき・はじめ)
(令和三年(2021年)12月15日配信)