特別紹介 防衛省の秘蔵映像(43) 米軍再編と北の核実験 2006(平成18)年の映像紹介

米軍再編と北の核実験 2006(平成18)年の映像紹介 平成18年防衛庁記録 – YouTube

はじめに

 こういっては何ですが、岸田総理の素早い対応に感心しました。すでに変異株が発生し、香港などにも患者が出ています。すかさず「外国人の入国停止」を決められました。第6波は必ず来るといわれ、おそらくと覚悟していましたが本当にやってくるとは。しかも、ブレイクスルー(ワクチン接種者もかかる)もいわれる変異株です。岸田総理も自民党も、さすがに決断が速かったことに拍手いたします。
 さて今回は、防衛庁の秘蔵映像。前部で5つのパートに分かれています。まず、第1部は「国際社会における自衛隊の活動状況」、続いて第2部は「わが国をとりまく安全保障環境」、そうして第3部「組織改編の背景」、第4部は「新たな時代の幕開け、防衛庁・自衛隊の新体制スタート」とされ、最終章は「省への移行」となっています。
 ああ、この時期かと思ったのは、「防衛庁の天皇」といわれ、絶大な権力をふるったといわれた防衛事務次官のM氏が登場したことです。氏は現東京都知事の小池百合子氏と対立し、さまざまな話題に事欠かない人でした。退官してからはたちまち刑事被告人になり、不名誉な罪名で裁判になり、実刑を科されて、刑務所で服役することになりました。
 そういう「遣り手」でもありますから毀誉褒貶が今もあります。ただ、この広報用の映像にも登場し、さまざまな説明をされています。統合運用についても語られていました。

米軍の再編

 米軍は大きな改編を行ないました。沖縄の海兵機動展開部隊、約8000名をグァムに移動することにしました。普天間の飛行場は全面返還され、その代わりキャンプ・シュワブ南方沿岸部に代替の飛行場を建設することにします。これが現在も、揉め続けている普天間問題の始まりです。
 神奈川県の座間市にある駐留陸軍司令部も縮小されて、陸自は中央即応集団(セントラル・レディネス・フォース)の設立を決めました。同時に補給、兵站の要である相模補給廠についても機能と能力を高めます。東京都下の米軍が管理していた横田飛行場も軍民共用化の検討も始めて、管制空域も一部返還されました。
 首都圏である神奈川県厚木飛行場にやってきていた米空母艦載機を山口県岩国基地へ動かします。訓練場所も、沖縄の嘉手納だけから北海道千歳、青森県三沢、茨城県百里、石川県小松、福岡県築城、宮崎県新田原の各基地に米軍機が飛ぶことになりました。日米同盟による基地公害などを少しでも軽くし、本土でも分担をという配慮からでしょう。
 また、米軍にとっても、自衛隊にとっても中国が本格的な脅威にはなっていません。米軍はイラク戦争が本格化し、極東正面は少しでも負担を減らそうという考えがあったに違いありません。

北朝鮮の核実験

 北朝鮮は弾道弾を開発し、7月には日本海に向けて7発のミサイルが撃たれました。それが7月のこと、いよいよ大変だと騒いでいたら、10月にはとうとう地下核実験が行なわれたと発表。さあ、大変だとなり国連の安全保障理事会でも制裁決議がされました。これで北朝鮮の船舶は、わが国の港に入れなくなったのです。
それでも、ずいぶんのん気なもので、昭和30年代、40年代には「北朝鮮はこの世の極楽」などとマスコミの一部では礼賛していました。拉致の問題も、アメリカと日本政府のでっちあげだという政党もあったくらいです。
現在では、とうとう核弾頭付きのミサイルを保有しているというのですが、ほんとうのところどうなのでしょう。わが国の対応だって、いまだに大変だと騒いでいるだけではありませんか。

自衛隊の改編-統合運用の始まり

 陸・海・空自はそれぞれ違います。わたしがお付き合いした経験でも、「軍種」が違うとほとんど別世界です。よく、自衛隊はとか、軍隊はとかまとめて語る方が多いのですが、それぞれ全く別の文化があります。海自はよく言えば「伝統墨守」といい、陸自は「先例重視」とからかわれます。海自はいい意味で戦前の帝国海軍がお手本であり、陸自は旧陸軍とは違うぞと言いながら実際は帝国陸軍とよく似ているのがほんとうのところです。
 映像では守屋氏が語っています。「たとえば災害派遣でも、海自の輸送艦が陸自のトラックや人員と物資をいっぺんに運んだ方がいいのです」。そんな当たり前のことなどと言ってはいけません。それがスムーズにできないのが武装組織です。輸送に関する希望、相互の調整、実際の運用というように手順は厳重に守られます。計画を立て、すりあわせをして実施する、それが非効率的といわれようが、そういうものなのです。
 これを統合して運用する、そのためには指揮系統も変えてゆきます。これまで統合幕僚会議議長は長官や最高指揮官たる総理大臣のスタッフでした。海上自衛隊の自衛艦隊司令官、航空自衛隊の総隊司令官と陸自の5個方面隊の総監は横並びで、これに統合任務部隊指揮官が加わっていました。それが統合幕僚長の指揮のもとに、これを一元的指揮といいますが、3自衛隊のすべてが動くようになったのです。また、この年、防衛庁は防衛省になりました。

護衛艦の5インチ砲

 映像の中に艦番号174、「きりしま」が登場します。あ、大砲が違うなと思いました。そういえば、わたしが海自護衛艦の砲が発射されたのを実見したのは「はるな」の、ものでした。たしか口径5インチ、つまり127ミリであり、陸自の155ミリ、203ミリの射撃を身近に見てきた経験からすれば音はたいしたこともありません。
 ところが、3インチ(76.2ミリ)の艦砲の射撃を見た時にはほんとうに驚きました。発射速度です。まさにバン、バン、バンという感じでした。ドッシャン、ドッシャンという陸自の発射間隔と比べると自動化するというのは凄いことだと思います。
 わたしが「はるな」で見た砲は、127ミリ54口径単装速射砲Mk42といわれ73式という名称を与えられた自動砲です。発射速度は毎分35発ですから陸自の砲とはまるで違います。しかも射程は2万3000メートルというのですからびっくりです。
 弾薬は弾庫と装薬庫から砲側へ揚弾され、装?まで自動方式。弾庫には給弾ドラムが置かれて、揚弾筒(ようだんとう)を使って砲塔の内部の装?機に弾体と薬莢(装薬)が自動的に行なわれます。砲塔の内部には人が3~4人いて、管制盤などを操作しています。
 1993(平成5)年に竣工した「こんごう」からは新しい5インチ砲、54口径単装速射砲です。これはイタリアのOTOメララ社の製品で、ライセンス生産を行ないました。砲塔内は無人化されていて、射撃管制は甲板下の艦内で行なわれます。発射速度は対空射撃を重視し、毎分40発にもなるそうです。「こんごう」型4隻に続いて、「たかなみ」型5隻にも装備されました。最大射程も2万4000メートル。弾丸重量は32キログラムです。
 特徴は砲身の冷却を水によって行なうので、射撃と同時にかなりの水が砲口近くから下に向かって流れ落ちることです。
(つづく)
(あらき・はじめ)
(令和三年(2021年)12月1日配信)