陸軍工兵から施設科へ(1) 工兵の仕事は「建設と破壊」

はじめに

 いつもご愛読をありがとうございます。今回から、日本陸軍工兵科と、陸上自衛隊施設科のご紹介をいたします。いつもの通り、あちらこちらに飛びながら、なるべく一般の方々に分かりやすい筆致を心がけてまいります。
なお、新刊『自衛隊警務科逮捕術』の内容見本の動画ができましたので、ぜひご視聴ください。1分間ほどの短いものです。
https://www.youtube.com/watch?v=czC_oPEYMBw

「工兵志願の剛のもの」

 陸軍には戦闘をすることを任務とする6つの兵科(航空が大正末に加わり7兵科となった)があった。これは明治の初めからの区分である。ほかに軍隊の運営・維持にあたり、戦闘を主とする兵科の支援にあたる各部があった。衛生、獣医、経理、軍楽、技術、法務などである。兵科は歩兵、騎兵、砲兵(野戦と要塞)、工兵、輜重兵と憲兵である。
 幹部の養成は各種の学校で行なわれるが、その基礎となるのが士官候補生として各兵科の隊付をする期間だった。士官学校には予科と本科があって、その予科の間は専門的な兵科本来の教育を受けることはなかった。
 一応、志願書も書かされたようだが、最後の決定は組織からの要求である。17歳から18歳の若者に好きなように進路を選ばせれば、俺は近衛兵だ、なかでも騎兵だ、やっぱり軍の主は歩兵だ、そうは言っても戦場の女神は砲兵だ・・・と収まりがつかないことは簡単に予想がつく。
地味な兵站物資を運ぶ輜重兵なんてものには志願者もなかったことだろう。そうなっては、全体を見渡した人事計画も何もあったものではない。そこで、生徒たちに進む専門の兵科を告げる役になる予科の区隊長たちは苦労したらしい。
 生徒たちも生徒たちで、決定は悲喜こもごも。予科の間には楽しい歌をいっぱい残している。中央幼年学校(昭和期の予科にあたる)の生徒たちの「工兵志願の剛のもの」という歌がある。紹介しよう。
 1番、「工兵志願の剛のもの 足の長さは二寸五分 顔の色はセピヤとか どこから見ても 土方然(どかたぜん)」。足の長さが2寸5分では、約7.6センチ・・・。二尺五寸でなんとか約76センチである。股下としたらやや体格は良い方か。この部分はよく分からない。セピヤ色とは古い写真等が変色して焦げ茶色になった様子。また、「土方(どかた)」とは現在では、おそらく差別用語になるから死語になったが、当時は、つるはしを振るい、シャベルをつかむ建築作業員の人のことである。気も荒く、現場を渡り歩く、あまりガラがよくないといわれた職業だった。
 ほかに「三角解析」「図学」「アカデミー」「架橋工事」などと、理科系の匂いがする歌詞が散りばめられた2番から7番がある。歌われたのは大正末の頃らしい。平時が続き、軍縮の時代の話でもある。
 8番は「昇進早い得あると うまいところへ気が付いた どうせ名誉の少佐なら 早く大尉になるよい」という歌詞である。名誉の少佐というのは、現役定限年齢の45歳になっても大尉のままで、予備役編入のときに少佐に進むことをいう。当時は日露戦後の軍備拡張を計画して、士官学校の採用数をたいへん増やした結果の「人事の行き詰まり」の頃だった。
 兵科ごとにポストの数が異なっていたために士官学校の同期生でも、兵科によって進級時期が異なっていたのである。とりわけ、中隊長の数が卒業生に比べて少なかった歩兵や砲兵が大尉になるのは遅かったようだ。もともと、工兵は理系のエリートでもあり、研究や開発系統に進む人が多く、現場の指揮官職に早く就くことも多かったらしい。
 早く大尉になれば俸給も増える。どうせ名誉進級で少佐になるなら、勤務歴によって恩給の額が異なってくる。それこそ生涯賃金も増える理屈である。こうしたことが笑いをこめた歌にあった。どうやら昔の青年もまた、滅私奉公=自分を殺し公に尽くすということより、自分を活かし、同時にご奉公ということがよく分かる。

工兵の仕事

 1904(明治37)年7月30日、すでに日露開戦から半年になったころ、大和田建樹(おおわだ・たてき、1857~1910年、宇和島藩士族、東京高等師範学校教授、「鉄道唱歌」「故郷の空」などの作詞をする)が作詞した「日本陸軍」の中に次のように歌われている。
 道なき方に道をつけ 敵の鉄道うちこぼし 雨と散り来る弾丸を 身に浴びながら橋かけて わが軍渡す工兵の 功労何にか譬(たと)うべき
 また『工兵操典』には、「工兵ノ本領ハ其ノ特有ノ技術的能力ヲ発揮シテ天然ヲ制シ人為ニ克(か)チ以(もっ)テ戦勝ノ途(みち)ヲ拓(ひら)クニ在リ」と明示されている。
 技術的能力で自然条件を克服し、あるいは敵の造った人為的な障害を乗り越え、全軍の勝利に貢献するとある。
 工兵の兵員が持つべき基礎的な技術的能力とは次の7つとされた。
土工、円匙(エンピ)と十字鍬(ツルハシ)で1時間に1立方メートルの土を4時間連続して掘り上げる。
木工、鋸(のこぎり)と斧(おの)の用法、丸太からの杭(くい)作りや平面削り。
植杭(しょくこう)、大槌(おおづち)と手用築頭の用法、大槌では拝み打ちと振り槌。
連結、長い荷造り綱を用いて、丸太の十字結び斜め結び、角材の十字結び、高所作業。
漕舟(そうしゅう)、艪(ろ)による鉄舟漕ぎ、棹(さお)の操法。
爆破、爆薬・雷管・導火索・点火索、これらの接続と点火、電気爆破要領。
重材料運搬、提げ・腕・肩による数人で協働する動作。

戦場の作業は建設と破壊

 工兵の対象は常に物である。しかも、その物は天候・気象・地域などのよって違いが生まれる。歩兵、騎兵、砲兵などは火力を発揮する敵兵を相手とする。この違いの認識が重要だと、元工兵少佐はわたしの聞き取りに答えてくれた。
「物そのものからは、敵兵から(攻撃を受けるとき)のような恐怖は覚えないんだ。そこから工兵には、他兵科と違う勇敢さが生まれるのだよ」
 工兵が担任した主な戦闘作業は次のようなものである。
突撃作業、火力では破壊できない側防(そくぼう)機能や、トーチカ(特火点)への爆薬や火炎による肉薄攻撃である。側防とは、わが攻撃方向の横からの妨害射撃のことを主にいう。トーチカはもともとロシア語で、頑丈に築かれた機関銃座・砲台をいう。
敵前渡河、折り畳み舟(15人乗り)によって歩兵を漕渡させ、後、舟を使って大型物資や車輌を渡すための門橋(もんきょう)を造り、操作する。
架橋作業、(が、と濁らせて発声する・がきょう)鉄舟、列柱や架橋などによる。
交通路構築、道路作業、ふつう架橋もともなう。先進路の啓開。
障害物構築、鉄条網の構築、地雷原の設置、倒木障害造成。
 とこのように列挙すれば、工兵隊、その後継である陸自施設科部隊の概要が少し分かることだろう。

誤解を与える職種名

 警察予備隊というのは、そのスタートからさまざまな不自由があった。それは軍隊ではないとされたことが最も大きな理由になる。小銃や軽機関銃、バズーカといわれたロケット・ランチャーを装備した外国ではINFANTRYといわれた職種は「普通科」とされた。ただし、これを和英辞典で「普通」を引いてCOMMONとかNORMALなどと言ったら欧米人は目を丸くする。
 では、外国軍ではENGINEERとされた工兵はどうされたか。「施設科」である。もちろん、これを直訳してINSTITUTIONとしたら、これまた外国ではとても通用するものではなかった。戦車だって、「特車」とかいう訳のわからない言葉にして、マスコミや反政府勢力の攻撃をかわそうとした時代である。砲兵、ARTILLERYも「特科」とした。大きな大砲は特別だから「特科」としておけといういささか根拠があやふやな理由と思うのはわたしだけだろうか。
 そうした欺瞞は、いまはほとんどもうなくなったといえるだろう。ただ、なにぶん憲法で軍隊の保持を禁じているから、軍も兵も使えないのは変わらない。その代わり、国際貢献などで自衛官も海外にも出るわけで、職種名も階級名も、国際標準の英語表記を使っている。
 施設科はエンジニアであり、その1等陸尉はキャプテンであり、襟に光る職種徽章はEを左に倒して(漢字の「山」のようにする。ただし中央の棒は短い)、天守閣のある近世城郭の姿を模したものだ。同じようにアメリカ軍はEを左に倒して西洋風の城郭をデザインしている。
 次回は旧陸軍工兵隊の編制を調べてみよう。
(以下次号)
(あらき・はじめ)
(令和二年(2020年)10月14日配信)