陸軍工兵から施設科へ(22) 初めての着陸

はじめに

 女性の活躍が目立ちました。もちろん、男子選手たちも健闘され、成果を挙げてくれたのも嬉しいことですが、スピードスケートの高木選手ほかの皆さんの大活躍。さらには同じ氷上競技ですが、女子カーリングの素晴らしかったこと。あのロコ・ソラーレの選手たちの喜怒哀楽を明らかにする競技中の態度など、ほんとうに心を洗われるものでした。
 わが国の女性といえば、慎ましやかで控えめで、表情は穏やかにという表向きの像が広まってきていました。ところが、彼女たちは実に朗らかに、率直に自分の気持ちを表しています。お互いに励まし合い、失敗にもドンマイ、良いプレーにはナイスと声をかけあっていました。
 ちょっぴり残念なことに惜しくも銀メダルでしたが、健闘を心から称え、感謝しています。
 これからも女性の元気が、この国を引っ張ってゆくぞと思わせてくれる活躍でした。

着陸が乱暴な教育部長

「絆創膏(ばんそうこう)を用意しておけよ」。先輩たちからの声かけがありました。気球隊での偵察教育も2カ月ほど経った7月中旬のことでした。大格納庫から兵たちが12、3人で気球を運び出してきました。気嚢の全部を頭部からすっぽりとバスケットボールの網のように包んで、その最下部をしぼって4本の大綱にします。それに吊籠をぶら下げました。この全体を覆う麻製の綱を「覆綱(おおいづな)」と呼びます。
 吊籠の中には、砂嚢に砂をつめて、それが15、6個ありました。籠の外側にも砂嚢がぶらさげてあります。兵たちが手を離しても、籠は地上すれすれに浮くように調整するためです。教育部長と新藤少尉が乗り込むと、籠の外側の砂嚢が外されます。これで浮力が重量を上回ります。
「放せ」。部長、T少佐の号令で、兵たちはいっせいに手を離しました。気球はスーッと浮きあがり、地上から300メートルほど離れると放出弁の綱を引いて、気球頭部から水素を出します。上昇が止まりました。
「今日は、きみの初飛行だから、このあたりで練習しよう」というT少佐。小さなシャベルで砂嚢の砂を捨てると、気球はスーッと上がります。水素を捨てれば降下する、慣性がついてなかなか止まらない巨大な図体の気球。その意外な敏感さに新藤少尉は驚きました。

もう、ここらで降りよう

 300メートルの高度で上がったり、下ったりしているうちに風に北に流されて、川越(埼玉県川越市)をこえてしまいます。気球は風とともに動きますから、吊籠の中は無風です。7月の烈しい太陽に照らされて汗びっしょりだったといいます。練習生の新藤少尉は面白く、上昇、下降とやっていますが、T少佐は暑さにすっかりうんざりしていました。
「もう、ここらで降りよう。着陸はわたしが操作するから、加減をよくおぼえておけ」。T少佐はそういうと周囲を見回し、着陸地点を探しだしました。どこに降りるかが問題です。ちょうど1000メートルくらい前方に、武蔵野に特有の楢(なら)の雑木林にかこまれた30メートルくらいの草地がありました。「よし、あそこだ」とT少佐はガスを抜き、砂を捨てて調整しながら少しずつ高度を下げてゆきます。
 ところが、地上付近の風は意外と強いものでした。雑木林のこずえが揺れています。地面に近づくと気球は大きく流され始めました。このままの沈下速度では空き地を通り過ぎるかもと、T少佐は思い切って水素を抜きます。急に降下速度が速くなりました。
「新藤、砂だ、砂だ」とT少佐は叫びます。吊籠の中の砂をせっせと捨てました。それでも降下速度は高まるばかり。えいっ!と砂嚢ごと放り出します。「引きさき弁だ!」という少佐の叫び声。2人は赤い綱を「えいや」と引きました。

500メートルの大バウンド

 とたんに吊籠はドシンと着地。2人は折り重なって吊籠の中で尻もちをつきました。地面にぶつかった反動で吊籠の重さは失われ、水素が全部抜けきれなかった気嚢は、また上昇します。吊籠は引っ張られて雑木林のこずえをバリバリとなぎたおしながら、500メートルくらいバウンドしました。
 2人はひたすら引きさき弁を引き続けます。そうして、とうとうガスが全部ぬけて、ドシャンと吊籠は横倒しになって雑木林の中に落ちました。そのとたん、籠に残っていた砂を全身に浴びた2人は手足に軽い傷を負ったくらいで、汗まみれの身体に砂が粘りつくことが気持ち悪かったと新藤中佐は書かれています。
「今日は、きみの初飛行だから、ちょっと乱暴にやったが、いつもは接地したか、せぬか分からぬくらいに接地するんだよ」とT少佐は負け惜しみを言います。
 近くの農家の人が駆けつけてくれて、後始末を手伝ってくれました。気嚢をたたんで、吊籠の中に入れて荷馬車を頼んで川越街道に出ます。川越街道は東京と川越を結ぶ古くからの街道(現在の254号線)で、そこからトラックを雇って夕方に所沢に戻れました。

自由気球の面白味

 2回目はF中尉の指導で霞ヶ浦(茨城県)まで飛びます。中尉は温厚で細心な人柄で、着陸も慎重そのものだったようです。はじめは龍ヶ崎(りゅうがさき・茨城県)に着陸の予定でしたが、霞ヶ浦の東岸、土浦と龍ヶ崎の中間付近に降りました。龍ヶ崎は沖積平野と台地の町で地形も平らでした。F中尉は上手に降りました。
 新藤少尉は気球の面白さに目覚めたそうです。毎日でも飛んでみたいと思うほどでした。ところが訓練は1回に3人が限度で、気球隊将校の練習が優先され、なかなか番が回ってきませんでした。やはり、毎日飛びまわれる飛行機の操縦者にならないとだめだと思ったそうです。

珍談も生まれた

 Y中尉は、所沢から南東の風に乗って、秩父(ちちぶ・埼玉県)の長瀞(ながとろ)付近に飛んだ時のことでした。長瀞は秩父盆地を出た荒川(あらかわ)が秩父山地を深くけずった渓谷です。西岸には結晶片岩が露出した岩畳(いわだたみ)といわれる岩石段丘があります。東岸は中国揚子江の名勝赤壁(せきへき)にちなんで秩父赤壁といわれています。
 この荒川の断崖の下にある河原に降りようとしたのです。操作に誤りもなく、気球は順調に河原に近づいてゆきます。「おーい。そこに降りるから、その綱をつかまえてくれ」と河原の見物人に頼みます。無風に近い時には、吊籠から20メートルくらいの「降陸綱(こうりくつな)」というロープを降ろし、つかまえてもらって引きさき弁を使わずに着陸することもできました。
 ところが断崖すれすれの高度までさがったときのことです。気流の関係で、気球はスーッと断崖に吸い寄せられました。これはまずいとあわてて砂を捨てたのが、さらに悪い結果を生んだのです。少し上昇したので、崖の中腹から斜めに出た松の大木に気球の覆綱がからまります。ガスを抜こうが、砂を捨てようが気球はびくともしません。断崖の中腹に宙ぶらりんになってしまいました。
 河原の見物人も川をへだてて手の出しようもありません。このまま引きさき弁を引こうものなら吊籠もろとも川に落ちてしまう。そこで、枝を切ってもらおうと、籠の中から「おーい、樵(きこり、林業の専門家)を呼んできてくれ」と声をかけましたが、観光客らしい見物人は樵がどこにいるかも分かりません。
 結局、地元の人が見つけてくれて樵を呼んできてくれました。しかし、その待ち時間の長かったこと、吊籠の中は絶対禁煙でした。巨大な水素の塊が頭上にあるのです。見物人も地元の人も、地上では盛大にぷかぷか煙草を吸っています。そのつらいことと言ったらなかったと先輩は話していたとのことでした。
 次回は工兵の分化だった鉄道の話をします。
 
(つづく)
(あらき・はじめ)
(令和四年(2022年)2月23日配信)