特別紹介 防衛省の秘蔵映像(36) ついに不審船事案──海上警備行動発令 1999(平成11)年の映像紹介
1999(平成11)年の映像紹介
平成11年防衛庁記録 – YouTube
はじめに
この頃の映像を見ると、風俗や流行についての文化史的資料になりますね。ついに映像紹介がラジオ番組風になりました。当時としては軽快な構成なのでしょう。パーソナリティーと言っていいのでしょうか、司会の若い人が当時の「今風」の言葉遣いです。とにかく新しい防衛体制を知ってほしいという願いが見受けられます。
でも、率直に言って、深いところには踏み込んでいません。あれほど世間を騒がせた日本海の「不審船事案」も、戦後初の「海上警備行動発令」も、ほんの少し映像が流れるだけです。むしろ、内容的には自衛隊が戦闘を専門にする組織だという気分が「だれて」来ているという気がします。制作も基本的には、「文民統制」の下にあって、防衛庁内局広報室の指導なのでしょう。
映像の制作も精強な自衛隊の主張というより、そういう部分は皆さまの眼にはつきにくいところで、それなりにやっておりますよという広報に見えます。
不審船とはすでに知られている通り、北朝鮮の工作船でした。武装し、エンジンを積みかえ、漁船を偽装していますがたいへんな高速船です。領海を侵した武装船に護衛艦、対潜哨戒機による追跡、警告射撃などが映ります。しかし、その実力行使も防空識別圏まででした。これ以上の追跡は、「他国に無用な心配をかける」という長官の指令で終わりました。他国とはどこですか?などという野暮な質問はしないことになっています。
なにぶん、この頃の政権はひたすら話し合いによる緊張緩和に努めていました。
歴史的なことには後出しジャンケンによる断罪は禁物ですが、この年の映像には、今から見ると、なにやっているんだと言いたくなるような政治の弱腰が目立ちます。中国や韓国と防衛首脳会議を行ない、韓国海軍とは訓練までしている様子です。その韓国海軍は、つい先年も自衛艦旗を揚げて来るなとか、それどころか我が哨戒機にレーダー照射までするという乱暴なことをしています。
話し合って互いに理解し合う。武力を使うな、役人と政治家に任せておけ、自衛官は口を出すな。それがシビリアン・コントロールだと言われればそれまでですが、それがいいのか、改善するかどうかの議論もないままに現在も解決されていない問題だらけです。
コンパクト化と弾力性
自衛隊が昭和32(1957)年の基本方針。今回も、安全保障基盤の確立、効率的な防衛力の整備、日米安全保障体制を基調とするという主張が前面に出されます。それだけではなく、ナレーションでは「文民統制を確立」という言葉がまた使われています。
陸自では、戦車が1200輌から900輌へ、火砲は1000門から900門に減らされ、18万人の定数から16万人、しかもうち1万5000人は即応予備自衛官ということになりました。
海自は護衛艦の数が減り、空自も作戦用航空機430機が400機にと1割近くの削減、戦闘機は350機から300機に減らされます。これを「弾力的に運用」といいますが、素人にはよく分かりませんね。実は、言っている人たち、防衛庁の文官、背広組にも政治家にもよく分かっていなかったのではありませんか。これがわが国の文民統制です。
陸自では多くの部隊が、縮小・改編されました。わたしの親しい元将官は連隊長時代をふり返って、師団普通科連隊から旅団普通科連隊への改編のときの事情を語ってくれています。「1000人の連隊を600人にしました」(『指揮官は語る』2001年・並木書房)。
前にも書いたように、もともと列国と比べれば、陸上自衛隊のそれぞれの部隊規模は小さいものです。旅団の下には3から4個の歩兵大隊(各600~700人規模)があるのが国際標準ですが、諸事情から旅団にも名称だけは普通科連隊が残ることになりました。
陸自部隊の縮小・改編
「連隊を構成する本部管理中隊、1から4までのナンバー中隊、重迫撃砲中隊の6個中隊を、合計で4個中隊にしました。第4中隊を廃止し、重迫撃砲中隊を解体して本部管理中隊の中の重迫撃小隊にするようにしました」。
本部管理中隊は情報、衛生、輸送、施設などの小隊でできています。そこに無理して小隊に縮小した重迫撃砲を入れたのです。そうやって400人を削減しました。隊員たちは転属、退職などの予想もしなかった事態に直面しました。
多くの永年勤務の隊員たち(陸曹以上幹部)は勤務する駐屯地中心の人生設計を考えています。ローンを組んで家を建て、子育てをし、老いた両親の面倒もみようという人がほとんどでした。
そうした人たちに、駐屯地を移って別の部隊に行くか、職種転換教育を受けて別の兵科で働くか、あるいは思い切って退職するかの意向を調べたのです。調査を担当する幹部も心を切られる思いだったといいます。リストラとはそういう悲劇を必ず生むのだといわれれば、たしかにその通りです。人員削減という厳しい措置は多くの人の運命を変えました。リストラクチャーといわれましたが、その本来の意味は「能力の再構築」を意味します。皆さんがそれぞれの道で幸せを見つけられたでしょうか。
TMDと周辺事態研究
弾道ミサイルが日本海の上空を過ぎ、三陸沖に着弾します。わが国が攻撃を受けたら防衛をすることは可能だろうか。当時はまったく不可能でした。発射の事実は掴めても、それを迎撃することはできません。弾道ミサイルで攻撃される可能性は、すでに自衛隊などから政権に報告されていたはずです。しかし国民が選んだ政権は、それにまともな手を打ってきたとはいえません。
このとき、ようやく米国と共同研究をすることになりました。また、日米相互協力の「ガイドライン関連法等」が国会を通過し、「日米物品役務提供」などの相互支援を補強する法整備もされてきました。映像の中にも「周辺事態」という言葉が出てきますが、その周辺とはどこを指すのかの議論もあまり熱心にされませんでした。
在外邦人の輸送も自衛隊の任務に加えられ、その法整備や訓練もされましたが、先日のアフガンの失態(?)もあり、いまだに現実離れしていると申し上げましょう。
ただ自衛隊、自衛官たちだけは現実に即した態勢を作ろうとしています。大規模災害での、陸海空各戦力の統合運用がいわれ、統合幕僚監部の機能、権限の充実化が図られました。
フランス式文民統制とは?
前回に引き続き、各国のシビリアン・コントロールが各国の歴史事情から生まれたことをご説明します。ご承知のように、フランスもまた国民による革命で生まれた国です。市民が優位に立つ文民統制の現在の思想はこのフランス革命にさかのぼります。
王の軍隊に対する勝利をになった新興市民階級(ブルジョアジー)による市民から成った軍隊、国民的軍隊を創ります。その合言葉は、「市民による支配」でした。貴族の手から平民身分の市民が軍事力を取り戻すという意味がありました。英国の「軍隊に対する議会の優位」や米国の「大統領の軍権の分権化」とはニュアンスが違います。フランスは「市民統制」という考え方だと思います。
政治の軍事への優位
クラウゼヴィッツ(1780~1831年)は高名な軍人です。彼はプロイセン軍の参謀官で歴戦の将軍でしたが、「戦争は他の手段で行なう政治の継続だ」という名言で知られています。これこそが現在の戦争や軍事は政治に従属するといった理念を生んだ元かも知れません。
しかし、彼の生きた18世紀の欧州の戦争は、王室同士の私的な争いであり、一般国民はあまり関係がなかったともいわれます。わが国の戦国時代でも直接被害があまり及ばない農民などは、避難した丘の上などから合戦を見物していた様子が見られます。
だから若いころの彼が奉じた戦争の理論は、国の政治とは関係が薄く、王室のための「独立した科学」であり、「戦争の本質は暴力」であることを認めます。そうして暴力は「暴力の無限界性の理論」で支配されるという考え方の基になりました。
ところが、フランス革命は市民軍を生み、さらにナポレオンによる欧州の席巻、ロシアへの侵攻などを見て、クラウゼヴィッツは国民的戦争の実態を見ました。そこで彼は「軍隊と戦争」を国民と政治の中に取り入れることを思いつきます。そこで出た言葉が、前に書いた「戦争は他の手段をもってする政治の継続だ」という言葉です。そこから、軍事は、軍人はあくまでも政治家が主導する政治の従属物だという考えが生まれたのでしょう。
クラウゼヴィッツの戦争論についてご関心のある方には、やさしく読める『漫画クラウゼヴィッツと戦争論』(石原ヒロアキ作・画)をお薦めします。
わが国のシビリアン・コントロール
戦後復興の大功労者である吉田茂氏は軍隊や軍人が大嫌いでした。外交官だった氏にすれば、戦前・戦中の軍人たちの横暴さには腹も立ったことが多かったことでしょう。警察予備隊をマッカーサーの指令で作らされたときには、正規軍人は決して採用しないようにしたくらいです。その後も旧軍人への迫害は止まなかったのですが、やはり「軍隊らしく」するためには、文民出身者ばかりではうまくゆかない。そんなことから元軍人たちも予備隊や保安隊、そして自衛隊に採用されることになりました。
しかし、いわゆる旧内務官僚(戦前の警察を所管した内務省)の警察支配は続き、自衛隊も防衛庁となっても背広組が組織を牛耳ることになりました。これをどうやら文民統制、シビリアン・コントロールとしたのがわが国の特徴でしょう。明らかに、前に説明した英・米・仏の各国とはまったく異なるところです。
もちろん、現在の防衛省のキャリアの方々は、なかなかの見識と人格をもっている方も多いようです。しかし、依然として現場の感覚や、判断に遠いところにいることも事実です。それが有事の際に、うまく対応できるとよいのですが。
次回は映像の紹介と海自の様子について調べてみましょう。
(あらき・はじめ)
(令和三年(2021年)10月13日配信)