特別紹介 防衛省の秘蔵映像(35) 日米同盟の堅持  1998(平成10)年の映像紹介

1998(平成10)年の映像紹介
https://www.youtube.com/watch?v=m1ZlLSmTe4k

はじめに

 自由民主党の総裁選挙が行なわれました。結果はやはり、リベラル色を出す河野氏の敗北に終わり、「岩盤保守層」を支持者とした高市氏の健闘が見られました。この「岩盤保守」といわれる人たちは、皇統は男系相続による天皇制を支持し、夫婦別姓による婚姻制度には疑問をもち、国防については専守防衛ではなく敵基地攻撃能力も抑止力になると考えるのでしょう。
 これらに対して落選した河野氏は女系天皇も可能性を考え、夫婦別姓も許し、敵基地攻撃は「昭和の発想」だと主張しました。もちろん、ご自分の父親が、あのいまわしい「従軍慰安婦」談話で、日韓双方の反日運動勢力を応援した過去を否定もしていません。それだけではなく、ご自分の家族や周囲の方の、中国企業との提携などについても反論どころか説明もしていません。
 まずは、高市氏よりはソフトで、ややリベラル色を出す岸田氏に総裁が落ち着いたことを嬉しく思います。ただ、不審なのは「党員・党友」という方々の投票傾向です。河野氏がむしろ圧倒的でした。それは投票前から予想されていたことで、河野陣営の方々、石破さんや小泉氏などは、これが国民の声だと大騒ぎしていました。たしか前回の総裁選でも、その票の多くは石破氏が握り、地方で石破氏が圧倒的人気だったそうです。
 もちろん「国民の声」などではなく、党費を払った党員の声であり、マスコミ各社がいう「次の総理にふさわしい人」人気ランキングも、無責任な外野の声でしかありません。手続き通りの党員・党友票と議員票の合計で岸田氏が選出されたことを、わたしは嬉しく思っています。ただ、個人的には好みだった高市氏が敗れたこと、少し残念でした。

国民の声を自衛隊

 平成10年の防衛庁画像は国民の声の結果から始まります。前年度の総務庁調査によると、防衛問題に関心があるかと聞かれ、「ある57%」、「ないが42%」となっています。関心があるという人にその理由を答えてもらうと、災害派遣が36.3%とトップで、続いてわが国の平和と独立について関心がある32.4%、国際社会の安定という観点からと答えた人が16.6%、最後に国民の税金が使われているからが8.1%でした。
 では、防衛力の存在の目的はどうかというと、災害派遣が66.9%、国の安全確保が56.6%、国内の治安維持が25.7%、国際貢献が25.0%、最後に民生協力が9.3%になりました。
 今から20年ほど前の国民の声です。阪神淡路大震災やナホトカ号の転覆などが強く印象付けられているのでしょう。

4つの基本方針

(1)専守防衛、(2)軍事大国にならない、(3)非核3原則の堅持、(4)シビリアン・コントロールの徹底とわざわざ断っています。
「専守防衛」とは、決してこちらから手は出さない。やられてからやり返すということです。この平和主義のおかげで、「明らかにこちらに攻撃の意図があることが分かったら、その意図を潰すために攻撃する」ということが悪とされてきました。今回、高市氏が敵基地攻撃能力保持の可能性をようやく口にすることができたようです。
もっとも、この年1998年、北朝鮮が初の弾道弾ミサイル(テポドン1号)を撃ち、わが列島上空を横断し、三陸沖に着弾していましたが。以来、ひたすら専守防衛です。わが国のどこかに落ちてから、ようやっと攻撃してよいということは依然として続いています。
「軍事大国にはならない」も、不思議な数字の目安「国民総生産の1%」という決まりがあります。先日も報道されましたが、諸外国の防衛費の中でも最低ランクの0.97%でした。陸上兵力は減らされる一方です。戦車・火砲の数も減り、任務ばかり増えている。支える予算はほとんど伸びない。そういう実態を国民はどれほど知っているのでしょうか。
「非核3原則」、これも世界で唯一の被爆国ということから、持たず、作らず、持ち込ませずという原則が守られてきました。持てない、作れない、周辺国家が核武装をしてゆく中で、頑固に核兵器どころか原子力推進艦船もちません。世界でも能力は超一流といわれながらも、通常動力型(潜航中は主に電池推進)潜水艦で他国の原子力潜水艦に立ち向かわなくてはなりません。
そうして最後は「文民統制」です。自衛隊の行動はすべて「制服を着ない」人たちが決めることになっています。非常事態で、いつも「政府の決断が遅い」とか、「情報収集と話し合いばかりして、制服組からの適切な助言を無駄にする」ということが知られてきました。今回のアフガンへの自衛隊輸送機派遣でも、「行動への決心」が遅かったことも失敗の一因だという人もいます。この文民統制とは何でしょうか。

定義が難しいシビリアン・コントロール

 わたしたち、軍隊に関心をもつ者の多くは、『軍人と国家』(サミエル・ハンチントン)を読んでいます。ハンチントンはアメリカの古くからのシビリアン・コントロールの研究者です。その著書によると、文民統制と訳される概念そのものが、満足に定義されたことがないとあります。
 また、アメリカの第二次大戦後の行政機構の改革を行なったフェルディナンド・エバースタットも、その回顧録の中で「魔法の言葉で、誰もがそれが何を意味しているかを知らなかった」と書いています。興味深いのは、文民統制理論の確立に貢献したハンチントン、当時のアメリカ国防省にそれを導入したとされるエバースタットが2人ともが、何を言っていたのか、どんな意味があるのかについて明確ではないと言っていることです。
 わが国が占領時代に押しつけられた憲法には文民統制の精神があるとされますが、議論もなしに、制服を着、階級をもつ者(自衛官)は文民たる総理大臣の統制に服し、防衛庁の背広を着た隊員(防衛官僚ら)の命令を聞くものだとされてきました。いわゆる「背広組の制服への優位」です。人事権も背広の防衛官僚がもつので、気にいられないと昇任ができないということが公然の秘密のように語られます。それの当否、事実か事実でないかは別として、仕組みが確かに明らかになっていません。
 しかし、現在のように、将来がなかなか見えない中で、緊急の行動が要求されてきたとき、戦後占領下を経て、独立以来70年続いた社会の中で、もう一度議論をしてもよいのではないでしょうか。

定義は多様化してきた

 まず、軍隊や武力を政治統制するのか、あるいは行政統制をいうのかを区分しましょう。読者の皆さんの中にも、市民統制、国会統制、内閣統制、長官統制などのさまざまなご意見があるでしょう。国家の武装集団、自衛隊を統制するのは、どこがいいと思われますか?
 では、行政統制はどうでしょうか。よく考えれば、わが国は民主主義国家であり、政治統制はすべての行政に対して同じです。国民による投票で信任された国会議員が、相互に選び総理大臣を選ぶ。その総理が任命する各省庁の大臣、長官が行政を統制する。各省庁に勤務する公務員もまた、間接的に国民に信任を寄せられているのです。
 何も軍事だけ、とりもなおさず防衛省だけ取りだして文民統制ということはありません。だいいち、シビリアン・コントロールと議論され始めたのは、第2次世界大戦後のアメリカだったことが重要です。それはアメリカ国防省内における文官の存在と、その文官による制服軍人部局との関係を話し合うことから始まったのです。そうして、それはちょうど、わが国がアメリカに占領されていた時代だったのでした。
 そうして、これは当時の警察予備隊、海上警備隊、保安隊、自衛隊と発展してきた中の防衛庁の「内局制度」と「制服部局」の関係と重なります。そうして結論からいえば、わが国のそれは行政統制なのです。

各国の事情からスタートした概念

 アメリカのように議論もなしに「内局」による統制がシビリアン・コントロールとされたのがわが国でした。これに対して、多くの国々では、これこそが自国の伝統の成果の文民統制だと主張しています。
 まず、英国はどうでしょうか。英国は議員による議会が、国王の軍隊に対するコントロールからだったといわれます。1628年ですから400年近い昔、「権利請願」の中には、チャールス国王の戒厳法、軍隊の民家への宿泊命令書などへの反抗がありました。栄光(名誉)革命後の1689年の「反乱法」には、王の常備軍は議会が毎年更新しないと違法になるという主旨が含まれました。これが伝統となって「毎年法」という法が確立し、現在までも議会の承認なしには軍隊を持てないということになっています。
 英国の軍隊が、陸軍以外は「ロイヤル」という名称を冠することはよく知られていますね。英国海軍はロイヤル・ネービーであり、所属する軍艦は女王陛下のフネ、ハー・マジェスティーズ・シップであり、水兵のかぶるベナントにも金文字で「H.M.S.」と書かれています。同じように、空軍はロイヤル・エア・フォース(RAF)、海兵隊もまたロイヤル・マリン・コーです。陸軍だけは昔、王室に反抗したことがあり、ロイヤルではなくブリティッシュ・アーミーであることが興味深いです。そうした伝統を聞くと楽しくなりますね。
 だから英国の議会は1つの標語を大切にしています。「Parlimentary Authority over Army」、軍に対する議会の優位という意味になります。

軍権の分散についてのアメリカの伝統

 アメリカは武力革命を行ない、英国から独立した国です。英国の王室軍隊を市民による軍隊が破って成立しました。だからこそ、勝利した米国の兵士たちは、大統領が絶大な権限をもち、軍の最高司令官の権能を肥大化するのを恐れたのです。
 だから、軍権を分けることを考えました。アメリカの国会は戦争宣言、陸海軍の建設維持や予算を握ります。大統領は総司令官として軍の総指揮にあたることにしました。行政府の中でも、軍権を長官と大統領に分属させます。そのうえ、民兵の統制は州と連邦議会に分けることにもしたのです。大統領の軍に対する絶大な機能を否定して、大統領がまるで徳川幕府のような強烈な軍権政治を行なうことを防ぎました。このときに、連邦議会が用いた言葉がシビリアン・コントロールという言葉だったといわれます。
 こんにちでは、文民である大統領の元に、陸・海・空軍、海兵隊、宇宙軍などすべてが統制されていることを強調しがちですが、当時としてはむしろ大統領の権限をなるべく制限する方向で使われていました。
□次回はフランスの歴史から見直してみましょう。さらに「平成の大軍縮」の中身も詳しく映像から読みとりましょう。
(あらき・はじめ)
(令和三年(2021年)10月6日配信)