特別紹介 防衛省の秘蔵映像(10) 基盤的防衛力育成の時代─昭和52年映像─

昭和52年映像の紹介
https://www.youtube.com/watch?v=Ccu29ny6t50

ご挨拶

 すっかり春になりました。もう収まるかと思っていましたが、まだまだコロナの蔓延は終わりそうもありません。ワクチンが全国民に接種されるまで、まだまだ我慢を続けることになりそうです。
 皆さまのお暮らしも、一昨年と比べたらひどく変わっていると思います。わたしはすっかり宴会や懇親会が減りました。職場の歓送迎会も花見もなく、退官者、退職者の見送りの会もなくなりました。関連業界の方々の苦衷は容易に想像できます。
 せめて、少しでも消費を増やそうとしています。断捨離といわれ、不必要なものは整理し、新しい物は買わないということが奨められてきましたが、こうなってはそうも言っていられないですね。せめて物を買い、外食の代わりにテイクアウトをしています。

駆潜艇の退役

 なつかしい昭和29年度計画艇である「かり(PC301)」タイプの4隻が退役しています。同じく「かもめ」型も3隻が、この年除籍されます。「かり」、「きじ」、「たか」、「わし」の4隻と「かもめ」、「つばめ」、「みさご」の3隻です。
 駆潜艇というのは沿岸水域での哨戒と対潜水艦任務に就きました。「かり」型は排水量310トン、全長54メートル、乗員70名、ディーゼル機関で速力20ノット、40ミリ連装機銃1基、対潜弾を撃つヘッジホッグ1基、同じくY砲1基、爆雷投下軌条1条というコンパクトな姿です。「かもめ」型は「かり」と比べると主機室と補機室の配置が逆で排水量も20トン増えました。
 駆潜艇「はやぶさ」は同年度の計画艇ですが、開発中のガスタービンをブースト機関として載せたので、速力も26ノットになりました。この年、種別変更され改装の上、迎賓艇となりました。
 駆潜艇はこの後、「うみたか」型、「みずとり」型8隻と進化しましたが、潜水艦の発達から護衛艦(DE)にバトンをタッチしてゆきます。最後の「しらとり」が除籍されるのは1989(平成元)年になります。

湯布院駐屯地に第3特科群が移駐する

 牽引車に引かれた203ミリ榴弾砲が別府から湯布院(ゆふいん)駐屯地に入っていきます。温泉地で有名な湯布院駐屯地は西部方面隊最大の演習場である日出生台(ひじゅうだい)演習場の近くです。
 この演習場は大分県の中央部にあり、耶馬渓(やばけい)溶岩台地南東部の高原。湯布院、九重(ここのえ)、玖珠(くす)の3つの自治体にまたがっています。1908(明治41)年に陸軍演習場が開かれました。この演習場の初代管理者は、陸軍砲兵少佐横田穣(よこた・のぼる)でした。横田少佐は退役し、有坂成章(ありさか・なりあきら)中将の口利きで、この職についたそうです。
 この2人の因縁はというと、日露戦争中の旅順要塞に遡ります。有名な28珊榴弾砲の臨時砲床設計者と構築班長だった砲兵大尉の出会いでした。その後、横田少佐は予備役に入り、日出生台に赴任したのです。そこで横田少佐が取り組んだのは、植林事業と治水でした。地域では今も少佐を顕彰する声があります。

大口径の野戦重砲

 当時、各方面隊にはこうした重砲をもつ特科群がありました。北部方面隊には、第1特科団(砲兵旅団・千歳市)に第1特科群、東北方面隊には第2特科群(仙台市)、西部方面隊には、この第3特科群です。群ですから大隊をいくつかあわせもっています。それなら連隊とはどう違うかというと、連隊が独自の兵站システムを持っているのに比べて、群は方面隊の兵站から補給を受けるのです。
大火力の特科群は方面隊直轄で各師団の火力を増やすためのものでした。映像に見られるのは、203ミリ榴弾砲M2(にじゅうりゅう)は重量14トン、全長10メートルという野戦重砲です。1万7000メートルを飛ぶ90キログラムの弾は75メートル×30メートルという大きな有効範囲をもっています。米国製であり、弾薬は旭化成、ダイセル、日本油脂の各社協力で生産されていました。

特科(砲兵)の物知り

 略称をご紹介しましょう。砲兵の砲身砲には加農(カノン)と榴弾砲があります。加農は明治初めの外来語であるカノン、あるいはキャノンの当て字です。加農(自衛隊ではGUNからGと略す)と榴弾砲(HOWITZERからHと略す)の違いには特に定義はないそうです。外見からいえば、砲身が長い方が加農、榴弾砲は短い。その長さを表すのには口径を使いますが、これも何口径からが加農というものはありません。
 発射の角度、すなわち射角の区別があります。砲弾は射角45度を境にそれより角度を大きくしても、小さくしても射程は短くなってしまう。45度以上で撃てば目標に落下する弾の角度は垂直に近くなります。そのような射撃もできるようにしたのが榴弾砲です。射角45度以下の射撃を平射(へいしゃ)、それ以上を曲射(きょくしゃ)といいます。いまでは、そうした曲射専門の火砲は迫撃砲です。ただし、一応、迫撃砲は歩兵がもつ火砲になります。
 弾を撃ちだすときの速度(初速)は、加農は比較的大きく、榴弾砲は小さいです。射程も加農は比較的大きく、榴弾砲は少ない、ただしこれも厳密な境界はありません。なお、射程(しゃてい)について、マスコミや作家などでは間違っていることが多いので注意が必要です。火砲の位置から弾が落下する位置までの距離をいいます。したがって「射程距離」というのは、同じ言葉を重ねる、たとえば馬から落馬すると同じような過ちです。
 より詳しくいえば、最大射程は火砲と同一平面上に落下する弾の位置までの距離をいいます。目標が火砲より高いところにあるか、低いところにあるかによって距離は変わるからです。実際に射撃をするときの距離は射距離(しゃきょり)といいます。

射程の暗記の語呂合わせ

 この頃の野戦特科の隊員から、射程の暗記の仕方を習いました。それは「兄さん色気は年増がいいよ」というフレーズです。近頃の風潮ではセクハラと怒られかねませんが、こうしたこともあったことは記録に残しておくべきでしょう。
 ニイさん、二三、二万三千メートルは15G(15センチ加農)のこと。イロけのイロは、一六、一万六千メートルは20H(20センチ榴弾砲)。トシまのトシは、一四、一万四千メートル、15H(15センチ榴弾砲)のこと。イイヨ、一一四、一万一千四百メートルは10H(105ミリ榴弾砲)ということになります。もちろん、現在ではなくなった砲もあり、最新の99式自走榴弾砲の射程は3万メートルです。陸自には加農とされる砲は装備されていません。
 10H(105ミリ榴弾砲)は当時の特科連隊の標準装備であり、10人の操作員が砲班といわれ、トラックで牽引していました。映像の中でも盛んに登場します。これは米国製を供与され、日本製鋼社と神戸製鋼社で国産されました。
普通科部隊を直接支援するカノン砲のような平射性と迫撃砲的曲射性をもつ便利な火砲でした。弾の有効範囲は30×20メートルです。この上は155H(15センチ榴弾砲)で、有効範囲は45×30メートルになります。

観閲式に参加した15HSP

 SPとはセルフ・プロぺルド、自走を指します。野戦砲の課題は機動力でした。陣地進入の速さと、射撃準備、撤収、移動の速さです。撃たれれば敵はどこから撃ってくるかを素早く観測し、ただちに撃ち返してきます。だから、牽引砲はいつもトラックから牽引車を外し、脚を開き、駐鋤(ちゅうじょ・スペード)を撃ちこみ、射撃準備の速さを競います。また、陣地の移動も敵の砲撃から逃れるためには速さを要求されます。
 そこで火砲は自走することが大切です。朝霞訓練場の観閲式には75式自走榴弾砲が行進します。これは砲と砲塔は日本製鋼所、車体は三菱重工でそれぞれ研究開発されて1975(昭和50)年に制式化された自走砲でした。
 自走砲のメリットは機動性の豊かさの他にもあります。それは省人化です。牽引砲なら12名になる操作要員が5名に減りました。最大射程は1万4900メートルです。発射速度も、初めの30秒間は2発、最初の10分間は16発と撃てます。弾の有効範囲も45×30メートルと、牽引砲の15H・M1と変わりません。
 重量は25.3トン、エンジンは三菱空冷2サイクル6気筒ディーゼル400馬力で最高速度は47キロメートルでした。副武装としては12.7ミリ重機関銃をもっています。まず、北海道の第7特科連隊に配属されました。

空自輸送機がジェットに

 長い間活躍したC46輸送機が退役し、国産のC1ジェット輸送機が部隊配備されました。初めての国産ジェット輸送機です。性能は一流、ただその後の状況の変化で機体が小さすぎるという問題が起きました。
 計画された当時は、沖縄県は復帰前でした。在日米空軍もたくさんの戦術輸送機をもっていました。そこで航空自衛隊は、日本国内の自衛隊だけの輸送任務をしておけば良かったのです。信頼性も高く、短距離離着陸能力に優れ、戦術輸送機としては理想的なものでした。
 C1は翼の前縁がせりだすスラットと、四重スラット式のファウラーフラップを組み合わせることで大きな揚力を生み出します。これによって短距離で離着陸する能力をもち、物量投下のための低速飛行性能も良くなっていました。エンジンの選定を誤らなかったこともC1を名機にします。プラット・アンド・ホイットニーJT8D-9が着けられました。
 戦術輸送機なので、貨物室は車輌やパレット貨物、コンテナなどの搭載には細かい配慮がされています。貨物室には突起がありません。2.5トントラックなら後部ランプから自走で入れます。10(105ミリ榴弾砲)Hと牽引車を載せて空中投下も出来ました。最大8トンの荷物、空挺隊員45名、普通装備の兵員なら60名を運べます。
 巡航速度は370ノット(約685キロメートル)、航続距離は8トンの搭載で700カイリ(約1300キロメートル)です。
(あらき・はじめ)
(令和三年(2021年)4月7日配信)