陸軍工兵から施設科へ(52) 幻の弾丸列車計画(5)
いよいよ国葬儀せまる
先日は台風の合間に用事があって市ヶ谷の防衛省に出かけました。四ツ谷から久しぶりに歩き、木々のたたずまい、空の高さに季節の変わり目を感じておりました。
人の出入りは全体に少ないようでしたが、広場にはふだんめったに見られない緑色の作業衣の隊員が整列しています。ああ、302保安中隊だなと、すぐ気付きました。木部が美しい儀仗用の小銃を携えています。
故安倍首相の国葬儀に参列するための訓練でしょう。ちなみに、この第302保安中隊は警務科(ミリタリー・ポリス)の隊員で構成されています。諸外国からの賓客や、新しい大臣などが就任すると「儀じよう(部内ではこう表記します)」を行なうことになっているのです。
小銃の開発の経緯なども耳にしています。長い間、自衛隊ではM1ガーランド・ライフルを儀仗用に使って来ました。防衛大学校生、高等工科学校生徒のドリルでもご覧になった方もおられると思います。やはり木部が美しく、いかにも儀仗用にふさわしい外観ということもあったようです。
いまの儀仗用の小銃は豊和工業で製造され、特徴はボルト・アクション、槓桿(こうかん)式小銃であることです。わが帝国陸軍最後の制式小銃だった99式小銃にたいへんよく似ています。長さも中隊員の平均身長は175センチほどでしょうか、バランスも良いようです。
わが国の陸自の面白いところがあります。英国やスウェーデンなどの欧州各国の王公族首長の近衛兵の儀仗はその陸軍の最新装備の小銃で行なうのです。熊の毛の帽子をかぶり、赤いコートに身を包んだ英国近衛兵は真っ黒の新素材小銃を使っています。そういうことでは陸自も89式、もしくは新型の20型小銃を使ってもいいのでしょうが、そのようにはなりませんでした。
なお、ドイツ陸軍の儀仗用小銃も、第2次大戦型のマウザー・カービン、ボルト・アクション小銃だそうですが、わたしはまだ見たことがありません。
27日には国葬儀、安倍元首相のご冥福を心より祈ります。第302保安中隊の皆さんの英姿を楽しみにしています。(26日記す)
弾丸列車の始発駅はどこか?
始発駅はどこにするか。これはいつも問題になるところです。やはり東京駅だろう、いや市ヶ谷あたりがふさわしい、いっそ中央線の中野付近はどうかと意見が飛び交いました。中央線の話では、高円寺という意見もあったそうです。既存の東京駅なら線路増設、あるいは地下化と大騒ぎになります。市ヶ谷ならお堀の問題があったのでしょう。ほかに新宿、目黒、渋谷、高田馬場なども候補地に上がりました。しかし、結論は東京駅でした。
理由は、その時代には東京の昼間の人口の中心点は、やはり丸の内だったことからです。有楽町には日本劇場があり、その角を削り取って線路を通す計画だったと青木氏は書いています。戦後になって東海道新幹線の工事では、この狭隘な場所も見事に解決してしまいました。戦後の技術の進歩の成果です。
四ツ谷が候補地になったのは、地下を走って横浜方面に進む時に技術的には素晴らしいルートが取れたからだそうです。高円寺というのは、関東大震災(1923年)以後、東京の人口中心はだんだんと西に移っていった、これ以後も震災があればその傾向はますます高まるだろうということからでした。
また、新宿が副都心化してくれば高円寺はその後背地が深い、そこに操車場が建設しやすい、将来の都心にもなるだろうという見通しです。大規模な天災があって、下町の被害が大きくても、もう1本の東海道新幹線があれば交通の途絶が防げるだろうという意見もありました。
弾丸列車の予定路線と機関車
まず、横浜市港北区の菊名(現在も東急東横線とJR横浜線が交差します)に出ます。そこから新横浜、小田原へ向かいます。小田原から熱海までは海岸沿いに山腹をトンネルで縫って、熱海を出たら新丹那トンネルをくぐります。三島へ出て、沼津は在来線の山側を通り、静岡へ。浜松は海岸寄りを通り抜け、名古屋駅は在来線と合わせます。京都、大阪方面へは新逢坂山トンネルを抜け、大阪から神戸へは六甲山下にトンネルを掘る計画です。ただし、布引(ぬのびき・現神戸市中央区、新神戸駅近く)付近にトンネル内に地下停車場を造るといいます。山陽線に沿って下関に行くという大計画でした。あれ?と気が付かれましたか。現在の、東海道・山陽新幹線とほとんど変わりません。
東海道新幹線の前の旅
東海道の輸送力増強、これこそが敗戦日本の悲願です。今でこそ、京浜、中京、阪神工業地帯などというと古い言葉になりますが、昭和20年代後半(1950年代)、そして30年代(1960年代)は輝かしい復興のシンボルのようでした。東海道沿線の人口は、全国の43%にもなり、沿線の工業生産高は全国の70%にもなったのです。
人の移動も大変なものでした。まだ敗戦後の景色がうかがわれる映画「東京物語」には尾道から東京に出かける老夫婦の旅が描かれます。東京駅には急行に乗るための待合室の様子が見られますが、整然と並ぶ乗客たちの様子が懐かしいです。1953(昭和28)年の映画でした。
笠智衆さんと東山千恵子さんの老夫婦は東京で暮らす長男、長女と戦死した次男の嫁と会いに上京します。老妻は帰りの車中で発作を起こし、亡くなってしまいますが、広島行夜行急行「あき」に乗っていました。もちろん寝台急行ではありません。堅い3等客車の背もたれにもたれて「空気枕」を頭にあてて旅をしました。
1958(昭和33)年の松竹映画、「張込み」も列車が出てきます。大木実さん、しぶい脇役俳優宮口精二さんが刑事のコンビです。追われる殺人犯は田村高廣さん、その恋人が高峰秀子さんでした。原作は松本清張の短編ですが、橋本忍が脚色、野村芳太郎が監督しました。
2人の刑事の夏の列車の旅が時代をよく映しています。東京駅で新聞記者と出会ってしまった2人は焦げ茶色の京浜東北電車に乗って「横濱」に行き、ホームを駆け下りて上り、急行「さつま」に飛び乗りました。この急行は22時19分に横浜を発車します。終着は鹿児島。いまは東海道・山陽新幹線を乗り継いで、さらには九州新幹線というコースですが、当時はそうは行きません。しかも3等車は満席で、2人は通路に新聞紙を敷いて座ります。
冷房もなく、もちろん禁煙席などありません。トイレは開放式で走っていると、下には飛ぶように枕木が後ろに行くところを見られます。旅は大変でした。
(つづく)
(あらき・はじめ)
(令和四年(2022年)9月28日配信)