特別紹介 防衛省の秘蔵映像(40) BMD防衛の構想の始まり 2003(平成15)年の映像紹介

2003(平成15)年の映像紹介
平成15年防衛庁記録 – YouTube

はじめに

ご教示へのお礼と海自艦艇の区分等について。
いつもご愛読をいただいている元海上自衛官M様、ご教示ありがとうございます。まず、艦と艇の区分について、それは排水量を元にしたものではないというお教えです。確かに1000トン以下の潜水艦でも潜水艇とはいわず、潜水艦でした。また、基準排水量、満載排水量などと同じ「排水量」でもさまざまな基準あることなどです。
さて、そこで少しでも関係のある記述を探してみました。『世界の艦船』1984(昭和59)年2月号、特集「軍艦分類考」の中に高須廣一元海将補が次のように書かれています。以下、その内容をご紹介しましょう。
まず、海上自衛隊の前身である警備隊は1952(昭和27)年10月に3つの種別を発表しました。「警備船(750トン以上をPF、750トン未満をLS)、掃海船、雑船」の3つでした。このときに旧海軍にはなかった符号と番号も定められます。公式の種別は以上の通りでしたが、昭和28年度から艦艇の国産化が始まり、甲型警備艦、乙型警備艦、補給工作艦(のちの敷設艦)、大型掃海艇(敷設艇)、丙型駆潜艇(魚雷艇)等の艦種名が使われました。
海上自衛隊の発足から所属艦船を自衛艦と雑船に分けて、それぞれ6種別と8種別に分けます。そうして『艦と艇の区別は最初は警備隊時代のように基準排水量750トンを境にしていたが、現在は500トン程度に下げられているようである。海軍時代の艦と艇の使い分けは船型の大小だけでなく、用兵的な要素も含まれており、4000トン級の艇もあったが、海上自衛隊では単に大小によっていると考えてよかろう』と高須元海将補はまとめておられます。
 現在の保有艦艇に合わせてみると、ミサイル艇「はやぶさ」は基準排水量200トン、掃海艦「やえやま」は同1000トン、掃海艇「すがしま」は510トンとなっています。輸送艦「ゆら」は(1981年竣工)590トンで、高須元海将補のいわれる750トン未満から下がってきている例でしょう。輸送艇1号とされたタイプは420トンでした。ちなみに「ゆら」はLSU、「1号」はLCUとなっています。

平成15年のトピックス

 映像は北朝鮮のノドン・ミサイルの発射シーン、それからイラクのサダム・フセインの銅像の引き倒しから始まります。3月20日から始まったイラクの武力制圧も終わりました。わが国政府、小泉純一郎首相はただちに米英軍の武力行使を支持します。
5月1日にはブッシュ大統領によって戦闘の終結宣言が行なわれました。わが国はただちに緊急対処方針に従って、国際連合難民高等弁務官事務所の要請に応えて物資の無償譲渡、ヨルダンへの輸送を引き受け、航空自衛隊を派遣します。
 第2は国際テロ対処行動、第3は国際平和協力活動、第4に武力攻撃事態への対処に関する法整備、そうして弾道ミサイル防衛システムの整備を挙げています。

イラク人道支援特別措置法

 この法律は7月26日に成立します。「イラク国民の自発的努力による国家再建に、国際社会が支援、促進しようとする取り組みに関して、日本が主体的・積極的に寄与するための法律」と説明されています。
 先立つこと3週間ほど前に「PKO協力法に基づき、イラク難民救援国際平和協力活動」を行なうことを閣議決定しました。
 自衛隊がイラク派遣をされるための条件が示されます。実行するのは、(1)医療分野です。戦場は伝染病が蔓延するし、医療に関する状況もひどく貧しいものです。(2)浄水や生活用水の供給等、給水分野となりました。清潔な水の供給は、難民のためばかりではなく、その支援活動に従う外国軍や民間組織の人にも必須のものです。(3)学校の建設や補修、灌漑用水の補修と維持、道路や橋の補修活動など公共施設の整備なども行います。(4)人道復興支援に必要な関連物資の輸送の分野です。

活動地域について

「現に戦闘行為が行われておらず、そこで実施される活動の全期間を通じて、戦闘行為が行われないと認められる。自衛隊の部隊等の安全が確保され、治安状況が厳しい地域では状況の推移を注意深く見つめて活動する」
 こうした答弁が政府によってくりかえされます。これは、「人道支援にかこつけて、他国へ自衛隊を派遣し、武力行使をさせようとする。憲法9条の違反行為だ」と主張する野党に対しての苦しい言い訳でした。当時の防衛庁長官は、今回の自民党総裁選挙でも「小石河連合」で名を落とした石破茂さんです。
 石破さんは、「活動の一時休止、または避難及び中断などの実施要項を策定します」などと答弁をしていました。一国の、他国からは軍隊と見なされる武装集団が「危険なことは決してない所でしか活動せず、危なくなったら撤退する」という半端な公約をしなければなりませんでした。
 今から思えば、派遣する与党も、反対する野党も政治の道具に自衛隊員の生命を利用していたとしかいえません。空自の派遣輸送航空隊は12月24日、第1次隊がクウェートに出発しました。

国際テロへの対応が「他人事」に

 この頃でしたか。マスコミの世論調査によれば、他国に攻め込まれたらどうするという問いがありました。興味深かったのが「降伏する。命までは取られないだろう」という人がいた事実より、「国外へ逃げる」と答えた若者が多かったことでした。戦争という事態がよく分かっていないのです。空は制圧され、海上は封鎖されて、島国の私たちはどうやって国外へ出られるのでしょうか。
「降服すればいい」という人も回答者の中にはたくさんいました。民間人が外国軍と出会ったときに、無事に済むと思っている人がいます。過去の例、たとえば関東軍の庇護下から離れた大陸の在留邦人がどんな運命を迎えたか・・・。戦争は悲惨だ、話し合えばいい、平和が一番だという教育ばかりしてきた学校教育のせいでしょうか。
そういえば、前回の総選挙の時でしょうか? 国会を囲んだ若者たちから「戦争になったら俺らが酒をもって行って、外国軍と一杯やって仲良くなる」などという声が出ました。なんという能天気な若者を育ててきてしまったのでしょう。
海上自衛隊はアル・カイダの活動を抑止するための米海軍の艦船に326回、約34万キロリットルの洋上補給を行なっていました。映像にも、補給艦「とわだ(AOE-422)」の雄姿と、乗員たちの活動ぶりが映っています。航空自衛隊は米軍の資材の輸送に、217回の飛行を行なっていました。
世界の中で孤立しない、一国平和主義ではいかない、アラブ地区の安定はわが国の平和な暮らしを支える重要なものなのだというテロ対処行動を支える認識、「自分ごと」に捉える意識が大切だということでしょう。

BMDについて

 BMDというのはバリスティック・ミサイル(弾道弾)防衛のことをいいます。BMは冷戦終結後、一部の保有国から流出した技術によって多くの国が手に入れた兵器です。これに対して、防衛システムがなくてはならない。考えられたのがイージス・システムと、対空ミサイルペトリオットPAC-3による多層防衛システムです。
指揮統制・通信基盤としてのバッジ・システムも連動します。地上配備型レーダーや、海自のイージス艦のレーダーによって探知して、弾道ミサイルを迎撃する、まさに「専守防衛」にぴったりだと当時はされました。
 ペトリオットPAC-3はアメリカ製の対空ミサイルです。もともと陸自が採用したホークと、空自が運用したナイキ・ハ―キュリーズの後継としてアメリカ軍が開発し、1982(昭和57)年から生産が始まりました。陸自はその後、ホーク改や02式という国産ミサイルを採用しますが、空自はナイキ・Jの後継としてペトリオットを採用します。60年度(1985)年度予算で調達が始まりました。
 1セットとされる基本単位は、フェーズド・アレイ型(イージス・システム護衛艦にも載っている回転しないレーダー)目標捜索・追尾・ミサイル誘導用レーダー1基、迎撃管制ステーション1基、発電機1基、そして発射機で構成されます。すべて自走、もしくはトレーラー牽引で機動力もあります。1セットあたり4連装発射機を最大8基まで配置できて、40個の目標に対して同時追尾・攻撃ができるそうです。
 ミサイルは長さ5.31メートル、胴体の直径は410ミリ、最大速度はマッハ5、湾岸戦争ではイラク軍のスカッド・弾道ミサイルをほぼ完璧に迎撃できたことが話題になりました。当時では空自は6個高射群にこれを配備する計画でした。問題はその価格で、1個高射群の価格は約1200億円といわれました。
(あらき・はじめ)
(令和三年(2021年)11月10日配信)