特別紹介 防衛省の秘蔵映像(32) 新防衛計画―航空自衛隊の教育集団ほか(5)

1995(平成7)年の映像紹介
https://www.youtube.com/watch?v=qOvDvnV3bXY

はじめに

 次回でご紹介する1996(平成8)年は、5年間の「中期防衛力整備計画」の始まりです。中期防衛力整備計画は、平成8年から12年までの細かい計画をいいます。
新しい防衛大綱のスタートで3自衛隊は、「合理化、効率化、コンパクト化」を強要されることになりました。陸自はこれまでの13個師団・2個混成団を中心とした18万人体制から、9個師団・6個旅団に改編されます。人員も、即応予備自衛官を含めて16万人にするという大削減でした。
そこで、当時の編制、装備、教育体系などを知ろうとするのが、ここしばらくの平成7年度映像の紹介です。

航空教育集団

 各種職域の隊員の教育・訓練を行ないます。静岡県浜松基地に司令部があり、飛行教育を行なう部隊と、それ以外の職種を教育する機関で構成されています。職種とは隊員の一人ひとりがもつ技能・資格をいいます。
 術科学校が第1から第5まであります。第1と第2は浜松に、第3は福岡県芦屋(あしや)、第4が埼玉県熊谷(くまがや)、第5は愛知県小牧(こまき)、その分校が同じく愛知県春日井(かすがい)市高蔵寺(こうぞうじ)に設けられています。
また、幹部候補生学校が奈良に置かれ、県内のただ一つの自衛隊組織ということで珍しい存在です。海上自衛隊の幹部候補生学校は、帝国海軍士官を生みだした広島県江田島(えたじま)にあり、陸自幹部候補生学校は旧陸軍の予備士官学校の跡地にあります。伝統がない空自の幹候校が馴染のない奈良に置かれたのには秘話もあるようです。

飛行教育部隊と戦闘機パイロット

 パイロットの養成課程を見れば分かりやすいです。ちょっと時代が下がりますが、平成20(2008)年頃の様子でお知らせします。
まず、厳しい採用試験を突破してきた航空学生や、防衛大学校、一般大学等を出たパイロット志願者に飛行機乗りとしての初めての教育を行ないます。これを初級操縦教育といい、つづいて基本操縦(前期)課程、基本操縦(後期)課程、戦闘機操縦課程に進みます。戦闘機パイロット以外の操縦員になる人は、基本操縦課程以降でそれにふさわしい教育課程が組まれています。
 浜松の第11飛行教育団、あるいは第12(山口県防府北・ほうふきた)同、第13(福岡県芦屋)同があります。第11飛行教育団と第12前同ではT-3練習機、第13同ではT-1練習機が使われていました。T3練習機はアメリカ製のビーチT-34メンターのことです。富士重工はライセンス生産を行ない、空自は140機余りを使いました。その後継機がこのT-3でした。
操縦席は前席が受訓練者、後席が教官というタンデム配置のプロペラ機です。第13飛行教育団のT-1は富士重工製の国産ジェット練習機でした。現在の初級教育では、さらに改良されたT-7練習機が使われています。
 この単発のプロペラ初級練習機を学ぶ課程は26週間、飛行時間は60時間とされていました。戦闘機の基本操縦課程はT-4で行なわれます。T-4は国産中等ジェット練習機です。この前期課程が第13飛行教育団で行なわれ、期間はおよそ7カ月半、飛行訓練時間は80時間でした。
 これに続くのが基本操縦後期課程です。浜松基地の第1航空団(第31教育飛行隊と第32同で編成)のT-4でさらに訓練を受けました。これもやはり80時間で期間は約6カ月半。ここまでで約20カ月半、1年と9カ月近くです。
 そうして戦闘機パイロットの最後の仕上げが始まります。松島基地(宮城県)の第4航空団第21飛行隊(F-2B・複座)か新田原基地(にゅうたばる・宮崎県新富町)の飛行教育航空隊第23飛行隊(F-15DJ・複座)に配属されます。これで戦闘機パイロットとしての最初の専攻機種が決まりました。

新隊員教育隊

 空自に入隊すると、新隊員は山口県防府南基地にある第1教育群、あるいは埼玉県熊谷基地の第2教育群に入ります。そこで自衛官としての基礎訓練を受けるのですが、空自の教育部隊は全国でこの2カ所にしかありません。女性教育大隊は防府南基地にしかなく、新隊員の家族を戸惑わせるようです。陸自なら方面隊ごとに1個の教育団や連隊がありますから、初めて家を離れる子供達とも遠く離れるという心細さはありません。
 北海道の家族にとっては、あまりに山口県は遠すぎるし、九州の家族には埼玉県熊谷は東京よりもなお奥深いようです。

航空支援集団

 海外派遣や災害派遣などで見ることができるのが輸送航空隊です。装備している機体は、ジェット機のC-1、ターボプロップ4発のC-130H、YS-11の3種類の輸送機です。愛知県小牧基地に第1、埼玉県入間基地に第2、島根県三保(みほ)基地に第3輸送航空隊がありました。入間の輸送隊は空挺部隊の降下の支援もします。第3輸送航空隊ではパイロットの養成もしていました。政府専用機のB-747-300を飛ばす特別輸送航空隊も千歳を基地にして活動しました。
 航空救難団も重要な部隊です。事故などで航空機が遭難した時、機体の捜索や乗員の救助等にあたります。司令部は入間(埼玉県)基地ですが、各飛行基地に救難隊を配置していました。捜索機はMU-2(双発・三菱製)やU-125A(英国制レイセオン・双発ジェット)、救難ヘリコプターV-107、UH-60をもち、小牧基地に整備群と救難教育隊がありました。
 ヘリコプター空輸隊もあります。大型のCH-47ヘリをもち、飛行基地とレーダー・サイト、ミサイル・サイトとの端末(たんまつ)輸送を行ないます。三沢、入間、春日(福岡県)と沖縄県の那覇にあります。
 飛行点検隊という部隊も大切な役目をもっています。飛行場の航空交通管制・飛行管理・飛行情報・飛行点検・気象などの業務と関連する通信を受け持ちました。航空保安管制群(本部と飛行管理隊は入間基地)は飛行基地に管制隊を置きます。
 気象群は府中(東京都)に本部と気象業務隊、気象通信隊をおき、飛行基地には気象隊をそれぞれ派遣しています。

その他の重要な部隊

 航空開発実験集団、司令部は入間にあります。その下の飛行開発実験団は岐阜基地に司令部と、飛行実験群、誘導武器開発実験隊、飛行場勤務隊を抱えています。また、入間に電子開発実験群をおいていました。航空医学実験隊も立川にあります。
 まだまだ補給機関や航空通信群などもありましたが、いずれ改編が話題になったときに調べましょう。
 次回はいよいよ5年間にわたる「中期防」の映像を見てみましょう。平成8(1996)年度です。
(あらき・はじめ)
(令和三年(2021年)9月15日配信)