自衛隊警務官(31)─陸軍憲兵から自衛隊警務官に(31) 陸戦ではどうやって捕虜になるか(2)

ご挨拶

 とんでもない災害になってしまいました。九州の皆さま、いかがお過ごしでしょうか。人吉や日田、球磨川流域の訪れたことのある地域の被害に心を痛めています。それにしても今年の梅雨は男性的です。こんなにも南風が強く吹き、落雷もともなう豪雨は、わたしの住む神奈川でも珍しいと思います。
 もう、すべて自分で自分の身を守るときがきた。そんなことも思います。

捕虜になるとき

 戦争映画や文学では、しばしば捕虜が出てくる。白いハンカチや布を振って遮蔽物から出てくる兵士、あるいは武器から手を離し、両手を挙げて立ち上がる兵士。しかし、映画の中には恐ろしい場面も珍しくない。
 1998(平成11)年に公開された「プライベート・ライアン」では、ノルマンディ海岸に上陸したアメリカ兵がいた。苦戦の末に崖の上のドイツ軍陣地にたどりつき、掩蓋陣地や塹壕にこもるドイツ兵と対決する。すると2人のドイツ兵が武器を捨てて両手を挙げた。
 正面にいた米兵はあっさりと2人を射殺してしまう。仲間に向かって、「ママ~、手は洗ったよだと」。と笑いを交えて仲間と会話を交わしている。2006(平成18)年の話題作、「硫黄島からの手紙」にも降伏した2人の日本兵の監視を命じられた米兵が、分隊長が姿を消したとたん、あっさりと2人を撃ち殺すシーンがあった。
 
 当然、これは陸戦に関する法規の違反だが、混乱した戦場での出来事、おそらく何の問題もなかったのだろう。
 もちろん、運や偶然に恵まれて誤射や乱射の被害にも遭わず、無事に捕まることができた人もいた。『俘虜記』で有名な大岡昇平さんという作家である。彼はフィリッピン戦線で、仲間とはぐれ敗走中に人事不省に陥ってしまう。気がつくアメリカ兵に囲まれていたらしい。撃たれずに捕虜になれて幸運だった。彼によれば、自分はサレンダード(降伏者)ではなくキャプチュア(被捕獲者)だと米兵に胸を張ったという。
 したがって、捕虜になれるかどうかは周りの状況や、あくまでも相手側の感情や都合によることが分かる。相手が情報を取ろうと思っているとき、いかにも重要そうな存在に相手の目に映ることも大切だろう。たとえば階級が高ければ助かるチャンスは増えるだろう。
 その次の幸運はどうだろう。うまく憲兵に引き渡されれば命が助かるチャンスは増える。アメリカ映画「フューリー」(2014年)では、戦線後方の集結地であやうく殺されそうになったドイツ・武装親衛隊員(SS)が描かれた。主人公、ブラッドピットが扮する軍曹はナチス嫌い、連行されてくるSSに殴りかかろうとする。それを抑えたのはMP(憲兵)だった。周囲も「MPがいる。ヤバイ」という調子で自分たちを冷静に保たせている。
 その後の激戦で、軍曹は補充兵に捕虜を撃たせる。MPがいなければ、それが普通だったようだ。映画の中でも、それを非難するような描写はしていない。

日露戦争での投降

 佐藤庫八氏の『日露陸戦国際法論を読み解く』に日露戦中の実態がある。
 まず氏は説く。投降には2種類ある。部隊降伏と単独降伏である。部隊降伏は軍使の交渉で行なわれるが、野戦ではふつう単独降伏が多い。日本軍では、力尽きて投降した者と、自分の身の安全を図るために所属部隊から離れた者を区別しなかった。
 有賀博士は、次のように語っている。
「単独投降者のために、国際間の約束で、その様式を決めていないということは誠に遺憾である。もし決まった様式があったなら、誤解や不要な殺傷を避けられるだろうと信じる場合が多い。とはいうものの、軍隊が兵士たちに敵に投降する方法を積極的に教えるのは抵抗があるだろうということはもちろんである」
「将来は文明戦争の法規に、軍使及び衛生部員の標識を定めたように、投降時に一定の方法を定めるのが重要である」
 現在、各国でも投降の意思を示す方法・態度はさまざまである。白旗を揚げることであり、銃器をさかさまにして(銃口を下に向けて)持ったり、敵が接近してきたら銃器を投げたりする。
 奥大将の第1軍の齊藤大尉が事例を紹介している。同大尉が沙河対陣中に守備隊を指揮していたときのことであるという。ロシア兵1人が暗夜に投降してきた時のことである。日本軍歩哨の頬にキスをしようとしてきた。このキスの意味が分からず、歩哨は銃剣でロシア兵を刺突しようとした。ロシア兵は慌てて身体を避けると、右手で握手を求めてきた。ようやくロシア兵の意図を理解して、歩哨はロシア兵を将校のところに連行した。
 また日本軍の包囲下にあったロシア軍部隊は、何度も血路を開こうとしたが、いずれも失敗。日本軍は投降を勧告しようとしたが、敵兵のうち20~30人が小屋に逃げ込んだ。日本兵はその小屋に火を点けた。様子をみようとしていると、1人の敵兵が手を挙げて出てきた。銃器を捨てて出てきて降伏しようとするのかと誤解した日本兵は射撃を中止し、近づいて捕獲しようとしたところ、手の中に隠した拳銃を撃ち、日本兵は負傷してしまった。このロシア兵はすぐに日本兵の射撃で倒れたが、調べてみると将校だった。
 その後、しばらくしてまた1人のロシア兵が出てきた。刀だけをもち、銃器はもっていない。日本兵はこれを射殺した。敵兵はみな肩章を外していて階級の見分けがつかなかった。将校なのか下士官・兵なのかがはっきり分からなかったのだ。
 小屋からはさらに1人の敵が顔を出した。白い布を小屋の戸口で振りかざした。これを見て、投降の意思があると察して、手で招いて近づいてこさせた。ロシア兵は武器を持たず、恐怖を表しながら歩いてきた。他の兵士たちもとうとう、白い布を見せ、あるいはノート等の白いページ1枚をひらめかせながらロシア兵は降伏してきた。
 このように、降伏時に白布を見せることは慣習として確立していたらしい。

生死を分ける場での意思を通じる難しさ

 生死がかかっている場面で、降伏の意思をどのように通じさせるのか。敵兵の降伏を受け入れる余裕があっても、ほんとうに降伏しようとしているのか、迷いがあったら自分の身が危ない。咄嗟のうちに敵を撃つことがあるだろう。そのように佐藤氏も言う。筆者もまったく同意見である。一瞬のたじろぎが自分の運命を決める。
 投降に関して、一定の様式を決めて、国際的に定着させること。これがなくては、投降の意思が不明なままでの対応はまったく兵士個人の責になってくるのである。次回は捕虜になってからのことを調べよう。
 
(以下次号)
(あらき・はじめ)
(令和二年(2020年)7月15日配信)