陸軍小火器史(55) 番外編(27)─「明治から近代の歴史を学んでこなかった」
寄せられるご感想に感謝します
毎日、毎日、お葉書、封書、メール、お便りをいただいています。また、アマゾンの読者レビューにも、すでに書き込みをいただいております。今日もそうしたお声について、お答えをしていきたいと思います。
明治から現代の歴史の授業
こんなご投稿をいただきました。
日本人が自らの手で自らの国を守るため、世界に並ぶ技術を身につけるまでの先人たちのご苦労がわかり、先人たちに感謝したい。
現代の豊かな技術的に進んだ日本は、先人たちの努力なくしてはなかったと思わせてくれる一冊です。日本人に生まれて良かった」
こうしたお声こそ、たいへん嬉しく思うものです。歴史は何の役に立つのだ・・・という方もおられるし、暗記モノだったから嫌いだったという声も聞きます。
その通りですね。すでに過ぎて結果が分かっているものなど学んで何になるのかというのもその通り、ある意味正論です。現にわたしも若いころに「昔の日本軍なんて、もう無くなったものなんか調べてどうするの。未来を見通せるものを調べるべきだ」と批判されたこともあります。
しかし、その「分かっている」「処理は終わった」というのが、どうにもうさん臭く思われたのです。まず、昔の陸軍については「精神主義で、非科学的で」という決めつけがありました。それでいて、戦艦大和やゼロ戦、酸素魚雷の昔の海軍はよかったというまとめをする人もいました。
同じ国民が、同じ教育を受けたはずの若者が、入営した軍種によって精神重視と科学技術の信奉者に分かれてしまう、これが不思議でした。それなら、彼らの環境を調べてみようと思ったのです。教育課程を調べ、訓練、特技の習得過程を追究しました。そうして、組織の中での暮らしも知ろうと思うと、昔の人の日記や、公文書も見なければなりません。
分かったことがありました。いまの私たちと少しも変わらないということです。たしかに暮らしの周囲の状況や、技術的環境は、現在の豊かさとは比べ物になりません。ところが、親が子を思う気持ち、友を気遣い、異性を愛し、将来を夢見ること、あるいは他人を憎み、未来に絶望すること等々、100年前の人々は少しもわたしたちと変わらない。
たしかに、過去について十分に知り、正しい価値判断をするには面倒な手続きが必要です。最低、何年には何が起こった、何の結果からこういうことができた、事件に関わったのは何という人だったのか、そういう基本知識はどうしても必要です。そういう基礎・基本の知識もなしに、過去を知っても、それを正確に受け止めることはできません。
そうした基本知識があってこそ、初めて価値判断の面白さに気づくことができます。世にはいわゆる学者といわれる歴史学専門家、あるいは作家、評論家といった名声のある方々が、たくさんの歴史についての解説書を書かれています。なるほど、説得力のある解釈が目白押しに並んでいます。ただ、よくよく読めば、同じことを扱っても、全くさかさまな主張をされていることが分かるのです。
たとえば、日露戦争(1904~5年)は自衛戦争だったという方がいます。いや、あれは日清戦争(1894~5年)に続くアジア大陸への侵略戦争だったとまるで反対の主張をされる方もおられます。自衛戦争の立場に立つ方は、当然、やむなく立ちあがった日本という状況を描かれる。侵略戦争だったという方々は、さらに続く戦争の数々を一本の線上にあるように、ひたすら悪玉日本の証拠を出して主張されます。
このどちらが正しいか、それぞれの主張を読んで、「好み」ではなく、どちらが正しいかを考えて行かねばなりません。「じっくり勉強」とはそうした面倒な手続きのことを指すのです。
時局のうねりの中で努力した先人たち
また、ある陸自の指揮官の方からは、次のようなお便りをいただきました。いささか長いのですが、いくらか編集してご紹介してみます。
使用した小火器の写真やスペックの紹介にとどまらず、弾丸、銃身の構造や撃発機構、さらには火薬の解説までされておられます。
単なるマニアにではなく、先生は誰にこれを訴えたかったのかを、うかがわせるものがあります。
さて、考えてみれば、過去に敗北した軍隊を現代の視点から批判するのはたやすいことであります。すでに結果が分かっているからです。
特に日露戦争以降に、機関銃の運用が発達し、陸海軍の統合が指摘され、第1次世界大戦以降には、国家の総力をあげて行う『総力戦』が叫ばれるようになり、戦争は陸軍、もっと申さば軍事のみでは遂行できなくなりました。『戦争の特性』がこれまでと大きく変わるなか、国民に理解を求め、国力のさほどない日本がいかにして予算を捻出し、兵器を改良し、また次の戦争に勝つために用兵思想を考察したか。
こと国防とはただでさえ関心が高くないうえに、多くの方々にとっては考えたくもないものでもあるので、そうした軍部の努力は並大抵のことではなかったことでしょう。時局のうねりの中で、必死に戦ってきた先人たちに私は尊崇の念こそ湧け、軽々と批判する気持ちにはなれません」
20世紀初めの日露戦争は現在の地上戦のさきがけとなりました。完成された槓桿式連発小銃、機関銃、速射砲、爆発力の高い榴弾が使われ、野戦でも築城(陣地構築)がされることが常識になったのです。密集して突撃すれば、どちらの軍隊も機関銃の餌食になりました。掩蓋(えんがい・覆いのある機関銃座)は榴弾でなければ破壊できず、塹壕どうしの戦いでは手榴弾と迫撃砲が有効でした。
手紙をくださったのは、現在の指揮官になるまでに陸上幕僚監部にも勤務され、財務省との交渉にもあたられた経験のある将校です。国防は平時には国民が関心をもたないものでしょう。いまがそうであるように。多くの方々は西南諸島の防衛や、北方領土をにらみ監視する自衛官のことには無関心です。大地震や台風災害のことも考えたくない、そういったのが人情のつねでもあります。
昔の日本人だって同じです。日露戦争に出征した近衛兵の日記を読みました。動員準備でごったがえす兵営を開放して家族や知人と兵士たちが面会することがありました。そこで周囲に聞えよがしに、「戦争は軍人と兵器産業がもうける為にやるのだ」と大きな声で語る人がいたと書かれていました。「それが身なりも整い、いっぱしの中産知識階級の人である」とも憤りをこめて22歳の現役兵は書いています。
また、100年ほど前の世論です。「中国と争うことはない、話し合いがあれば問題は解決する。中国人だってわからず屋ばかりではない」「日清戦争などではひどいことをした。まず、謝罪をすればいい」。こういった意見がマスコミなどには流れていたのです。
そういう世間の風潮がある中で苦労した先人たちを、現役自衛官が批判するわけもありません。
むざむざ負けにゆく者はない
そうです。誰だって生還したかったのです。そうして勝ちたかったのです。自分は安全地帯にいて平和だ、人道だ、戦争反対だと云々する人とは異なって、戦場へ出た人々に思いを馳せよと自衛官は言うのです。なぜなら、自衛官だけが戦場に真っ先に赴くからです。
説得力と感化力
戦争に敗れた軍隊には言い訳はできません。いまも続く、社会の中にある戦争アレルギーと軍隊嫌悪の責任は、たしかに帝国陸海軍にあります。人権感覚の未成熟、組織の中での理不尽な実態もよく指摘されるところです。しかし、それも結果論ではないでしょうか。
陸海軍を批判することは先人を貶(おとし)めることだけではありません。「いじめ」や「忖度」「不正」「不公平」が現に存在する社会に生きている我々には、「自分には関係がない」と免責してしまうことにつながる気がしてなりません。
歴史書として読んだ
インド軍からの褒め言葉
一気に読了しました
ありがとうございました。
(以下次号)
(あらき・はじめ)
(令和元年(2019年)11月27日配信)