陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(45) 第1次世界大戦の教訓
▼世界大戦を体験しなかったからという誤解
これはよく言われることです。日本陸軍は第1次世界大戦をきちんと学ばなかったから、陸軍は新しい考えを取り入れなかった。たとえば、大正初めから装備化が進んだ38式歩兵銃の全長は短くな ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(33)日露戦後の砲兵
▼砲塔砲台とは
素晴らしい好天に恵まれて、今日(22日)は東京湾要塞の千代ケ崎砲台に行きました。京浜急行浦賀駅から港を見ながら徒歩10分、道は史跡燈明堂入口まで平坦です。そこから右手の上り坂をあがります。丘の上に入口があ ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(22)「命中弾ニ関スル調査報告」
□はじめに
さすが、7月はやたらに暑いと思ったら、過去の記録を塗り替える猛暑だったようです。連日の体温すら超えるような暑さにはほんとうに参りました。歩いて出かけることもままならず、一日、エアコンをかけております。
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(18)要塞の造り方
□はじめに
セメントとコンクリート。身近にどこにでも見られる石灰石を原料としたセメント。子供の頃に、「わが国が自給できるのは石灰石だけ」と聞いて、なんとも頼りなく、寂しい思いをしたものでした。なんだ、石油どころか石炭もな ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(15)東京湾防衛の要塞(3)
□はじめに
1871(明治4)年のことでした。兵部大輔(ひょうぶたゆう)だった山縣有朋は兵部少輔川村純義と同西郷従道との連名で「軍備意見書」を出しました。
1)軍備は国内向けから外国向けに変える。2)徴兵制を ...