空挺団物語(27)オルモックの陥落
□残暑のお見舞いを申し上げます。立秋が過ぎました。しかし、台風の接近もあり、なお熱波も衰えることはありません。どうぞ、皆様、ご自愛ください。
▼バレンシア飛行場に跳下
オルモックの北方約10キロには、海軍が放棄したバレンシア飛行場があった。8日の晩に木下大尉が先遣隊長として、高桑中尉の指揮する第1中隊80名を率いて跳下した。続いて10日の薄暮には斎田聯隊長以下84名が降りる。バレンシアには病院があったが、ゲリラが出没するので、傷病兵も銃を持ち、警備していた。昼間に敵の観測機が飛ぶと、砲弾が飛んできた。ハロ付近から山越えで長射程砲の射撃のようだった。
先遣隊の80名はすぐにオルモックに急行し、今堀支隊の戦闘に加入した。すでに市街は米軍に占領され、今堀支隊はその北方に陣地を占領していた。斎田聯隊長以下の第2陣は、折よく出会った自動車隊の車輛に便乗し、オルモックに到着する。その時には、高桑中隊長以下数名が戦死し、木下大尉も負傷していた。
空挺隊員は多くが中国大陸の実戦経験者だったが、物量豊富な米軍との対戦は戦闘法から変えていかねばならなかった。
斎田聯隊長は直ちに今堀大佐の指揮下に入り、同支隊立石大隊の左に連繋して陣地を占領した。今堀支隊は、第26師団の先遣隊として11月1日にオルモックに上陸し、ハロ西方地区に進出し、米砲兵陣地への斬り込み攻撃を行ない、敵を悩ませた。
その後は、第1師団に配属され転進中にオルモック方面の救援に転用されていた。今堀支隊の主力は北支那で活躍した独立歩兵第12聯隊である。すでに1か月の戦闘を経て、糧食の補給は受けられず、体力の低下は如何ともしがたく、空挺兵の到着を何より喜んでいた。
挺進団第4聯隊は13日までには、連日数十名の跳下を続け、総兵力は約400名となった。14日に降りた大村大尉が率いる重火器中隊は、北方の第1師団に配属された。
▼オルモック北方の防衛戦
陣地の中央には今堀支隊、右翼の海岸寄りに海軍陸戦隊、左翼の山寄りには斎田聯隊という構成だった。1個師団の米軍を、これで迎撃したのだ。昼間は動けず、敵の砲爆撃にひたすら耐えて、夜間には斬り込みを行なった。しかし、日ごとに損害は増して、16日には海軍陸戦隊と今堀支隊の間が敵に突破され、米軍は軍司令部があったオルモックとバレンシアの中間、オルモック北方6キロにあったフアトンに殺到した。
14日には大村大尉は機関銃1個小隊と曲射砲(迫撃砲)1個分隊を率いて第1師団の戦線に加わるべく北上した。そこにいた挺進団司令部の稲本少佐は、予備としていた第3中隊の1個分隊をこれに増加し、自動車3輌を与え送り出した。この稲本少佐は16日に突進してきた米戦車隊に襲われ戦死する。
17日に大村大尉は57名の部下とともに、リモン峠の第1師団司令部に到着した。このとき、師団主力は歩兵第1聯隊が70余名、第49聯隊は450名、第57聯隊が138名という状態だった。師団野砲兵聯隊も捜索聯隊も敵中に孤立していたので、片岡第1師団長はたいへん喜んだ。
21日にはついに師団は退却命令を出し、西方の山地に撤退した。
▼挺進集団の編制完結
1944(昭和19)年11月27日、挺進集団の編制が完結した。空挺部隊は18年末までに2個師団を編成する企画があった。しかし、情勢は悪化するばかり。降下部隊と滑空機(グライダー)搭乗部隊を作っても、これを載せるだけの飛行部隊の拡張の見通しは立たなかった。そこで師団よりは格下だが、集団を編成することになった。
以下はその編制である。挺進集団は、2個の挺進団、1個の飛行団、2個滑空歩兵聯隊と挺進戦車隊、工兵隊、山砲隊、速射砲隊、機関砲隊、通信隊、整備隊を各1個ずつもった。総人員1万3000名だった。飛行団は挺進飛行第1戦隊、同第2戦隊、滑空飛行第1戦隊、挺進飛行団通信隊、飛行場大隊各1個になる。
このとき、第2挺進団はすでにフィリッピンに向かっていることはすでに書いた。本土作戦のために第1挺進団、挺進戦車隊、同整備隊は内地に残されている。次回は滑空歩兵聯隊について調べてみよう。
(つづく)
荒木肇(あらきはじめ)
1951(昭和26)年、東京生まれ。横浜国立大学大学院教育学修士課程を修了。専攻は日本近代教育制度史、日露戦後から昭和戦前期までの学校教育と軍隊教育制度を追究している。陸上自衛隊との関わりが深く、陸自衛生科の協力を得て「脚気と軍隊」、武器科も同じく「日本軍はこんな兵器で戦った」を、警務科とともに「自衛隊警務隊逮捕術」を上梓した(いずれも並木書房)。陸軍将校と陸自退職幹部の親睦・研修団体「陸修偕行会」機関誌「偕行」にも軍事史に関する記事を連載している。(公益社団法人)自衛隊家族会の理事・副会長も務め、隊員と家族をつなぐ活動、隊員募集に関わる広報にも協力する。近著『自衛隊砲兵─火力戦闘の主役、野戦特科部隊』。近刊として『第一空挺団(仮題)』((並木書房)。


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