空挺団物語(31) 義烈空挺隊 沖縄へ

□線状降水帯

気候異変でしょうか。台風に秋雨前線、急な気温低下に集中豪雨。次から次へと自然災害が起きています。先日の千葉への大雨で、帰宅困難な方々に、習志野から四街道の駐屯地から陸自のバスが支援に出かけたそうです。マスコミは案外、冷たい報道ぶりでしたが、少しでも役に立とうという各部隊の気持ちです。ありがたいことだと思います。

 

▼1個中隊を差し出せ

第1航空軍司令官から「サイパン攻撃のために1個中隊を差し出せ」という命令が第1挺進団に届いたのは、1944(昭和19)年の11月末だった。重爆撃機に搭乗して、サイパン島のアスリート飛行場に強行着陸を行ない、在地のB29を破壊する計画とのことだった。挺進団長は第1聯隊に人員の提出を命じた。聯隊長は、第4中隊長奥山大尉を選んだ。第4中隊は工兵を集めていた。爆薬の取り扱いにも慣れている。工兵は歩兵戦闘も行なえる。

この年の7月にはサイパン島が失陥し、11月24日には、約70機のB29が東京に発空襲を行なった。12月初めにはそれほどの被害はなかったが、高度1万メートルを飛ぶ敵爆撃機に、わが邀撃機は効果的な攻撃ができなかった。そのため、サイパンに低空飛行を続け、飛行場のB29を爆砕しようと考えたのである。
奥山道郎大尉は陸士53期生で落下傘部隊に来たのは、昭和15年末だった。教官要員である。兵科はもと工兵科だった。初陣は第4中隊の副中隊長でビルマに転進した時である。ラシオ降下作戦が中止になったので涙を呑んだ。

第4中隊長への上番は昭和18年6月だった。命令が下った時には、6名の将校を前に、アスリート飛行場への突入の企画を話した。部下一同、中隊長と共に行動すると、すぐに答えてくれた。126名の隊員の編成はすぐにできた。奥山隊は第1挺進団長の指揮を脱して教導航空軍の隷下に入った。12月5日には唐瀬原を出発し、埼玉県豊岡の航空士官学校に向かった。

▼B29の実物大模型

豊岡に行くと、そこにはB29の主翼と胴体の実物大模型があった。胴体上部は高さ4メートル50センチ、主翼は3メートルである。隊員たちは1000メートルを全力疾走し、先端に錘がついた長さ5メートルあまりの帯状爆薬、長さ2メートルほどの棒の先に重さ5キログラムの吸着爆薬を、模型に取り付ける訓練に励んだ。その猛訓練の様子は、航空士官学校の生徒たちの目にもふれて、感動を与えている。

 

▼独立飛行隊サイパンを爆撃

すでに教導航空軍は、サイパン攻撃のための3個の独立飛行隊を編成していた。第2独立飛行隊は浜松陸軍飛行学校で生まれ、機種は97式重爆である。第3独飛は鉾田陸軍飛行学校で使用機は100式司令部偵察機に爆装し、第4独飛は下志津陸軍飛行学校で使用機は第3独飛と同じ100式司偵に爆撃装置を付けたものだった。

サイパンは本土から約2300キロ、中間地点、本土から約1200キロには硫黄島があった。ここで途中給油を行ない、サイパンに向かう攻撃計画だった。洋上飛行である。猛訓練を繰り返し、11月2日、第2独飛は97式重爆9機をもってサイパン攻撃を敢行した。

1220、浜松を離陸し、4時間半の後に硫黄島に到着、整備と給油を行ない、1950に故障機1機を残してサイパンに向かった。爆撃は成功し、硫黄島に帰着したのは3機、5機は未帰還となった。その後、6日と26日には3機ずつが出撃し、全機が帰還できた。

▼第3独立飛行隊

奥山隊を乗せてアスリート飛行場に強行着陸する担任部隊は、97式重爆に機種を改編した第3独立飛行隊となった。12月22日には協同訓練を行ない、予行をしてみたが航空機が思うように飛べなかった。暗夜の航法訓練が未熟だった。1月13日、奥山隊は発進基地である浜松に移った。

1月9日には「とび(サイパンの秘匿名称)」攻撃についての計画が立てられた。
(1)0800浜松発、「つばめ(硫黄島)」着1300、「つばめ」から「とび」へは所要時間4時間。「とび」着陸は1900。日没後2時間。
(2)飛行機10機、予備2機、誘導機2機。
(3)硫黄島に先発、奥山隊30名、3機分。3独飛2機。
というものだった。

1月17日に攻撃と決まった。ところが、中継地の硫黄島が空襲と艦砲射撃で飛行場がひどく壊されてしまった。22日には延期と決定。硫黄島からサイパン攻撃よりも緊急物資を空輸して欲しい、着陸は無理なので空中投下してくれたらと強い要求が出た。27日にはついにサイパン攻撃の中止が大本営から下された。

 

 

(つづく)

 

荒木肇(あらきはじめ)
1951(昭和26)年、東京生まれ。横浜国立大学大学院教育学修士課程を修了。専攻は日本近代教育制度史、日露戦後から昭和戦前期までの学校教育と軍隊教育制度を追究している。陸上自衛隊との関わりが深く、陸自衛生科の協力を得て「脚気と軍隊」、武器科も同じく「日本軍はこんな兵器で戦った」を、警務科とともに「自衛隊警務隊逮捕術」を上梓した(いずれも並木書房)。陸軍将校と陸自退職幹部の親睦・研修団体「陸修偕行会」機関誌「偕行」にも軍事史に関する記事を連載している。(公益社団法人)自衛隊家族会の理事・副会長も務め、隊員と家族をつなぐ活動、隊員募集に関わる広報にも協力する。近著『自衛隊砲兵─火力戦闘の主役、野戦特科部隊』。近刊として『第一空挺団(仮題)』((並木書房)。