陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(88)自衛隊砲兵史(33) 国家の尊厳とは
□ご挨拶
いよいよ立冬も過ぎて、冬が近づいてきました。それにしても気温の乱高下があって、それへの適応に体力を使わされる日が多い気がします。
先日は所用あって奈良を訪れさせていただきました。平城宮の朱雀門や大 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(85)自衛隊砲兵史(31) 巧妙なソ連外交──停戦交渉の呼びかけ
□総選挙終わる
ただいま月曜日の朝です。ほぼ結果が出ました。まったく予想通りと言うべきか、自由民主党は大幅に議席を減らし、公明党も驚きの結果です。野田元首相が率いる立憲民主党が大躍進、国民民主党も4倍の増加となりました。 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(79) 自衛隊砲兵史(25) 文民統制とは?
□本格的仮想戦記の描く当時の日本
木元寛明元陸将補はこの11日間の、つまり1979(昭和54)年7月4日のソ連軍着上陸から始まり、同15日午前零時に終わる「戦争」について書かれました。その動機は前年の5月から8月に週刊誌 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(59) 自衛隊砲兵史(5)管区隊から師団へ
▼管区隊と混成団
陸上自衛隊の発足に合わせて北海道に第5管区隊(総監部・帯広)と第6管区隊(総監部・福島県福島から宮城県多賀城、続いて山形県神町に移転)が生まれます。北海道の北部方面隊は第2、第5の2個管区隊となり、東北6 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(43)1918年、ドイツ軍春季攻勢
□年頭のご挨拶
明けましておめでとうございます。同時に能登半島の地震、津波などに被災された皆さまにお見舞いを申し上げます。また、亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、いまだに行方の不明な方々の一刻も早い救助を自衛隊、消防、 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(35)チンタオ要塞攻撃準備
▼戦う重砲兵
くわしい戦記は専門の方々から学ぶこととして、技術史的な、あるいは運用上の細かいことなどを調べていきたいと思います。
まず、攻城砲兵隊の射撃実施の要領から。
(1)主力をもって敵砲兵 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(34)火砲国産化時代
▼砲塔砲台とは
せっかく注文したクルップ製38式野砲はとうとう戦争に間に合いませんでした。ロシア軍は砲身後座式の野砲をもっていたのに、わが国は砲車後座式だったのです。砲身を車の車軸に取りつけていただけなので、発射反動で砲 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(33)日露戦後の砲兵
▼砲塔砲台とは
素晴らしい好天に恵まれて、今日(22日)は東京湾要塞の千代ケ崎砲台に行きました。京浜急行浦賀駅から港を見ながら徒歩10分、道は史跡燈明堂入口まで平坦です。そこから右手の上り坂をあがります。丘の上に入口があ ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(31) 日露戦争の総決算
□はじめに
日露戦争は「歩兵の戦い」でした。大陸などへ海を渡った野戦軍に属した人は約94万人、うち半数強(55%)が歩兵科の将校・下士・兵卒です。戦闘中の即死、あるいは負傷を理由として亡くなった方(戦闘死者とする)は全体 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(22)「命中弾ニ関スル調査報告」
□はじめに
さすが、7月はやたらに暑いと思ったら、過去の記録を塗り替える猛暑だったようです。連日の体温すら超えるような暑さにはほんとうに参りました。歩いて出かけることもままならず、一日、エアコンをかけております。