空挺団物語(22)ブラウエン空挺作戦(4)──空挺部隊の奮戦
□台風2つが太平洋岸を通過しました。その前は震度6もの地震が山梨県を襲いました。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。大きな被害がなかったことを祈念します。
▼米軍記録に見る空挺部隊の戦闘
ブラウエン地区にあった米軍の戦闘部隊は、わずかに2個中隊だった。ただちにダガミに存在した米陸軍第96師団382連隊の第1大隊がダガミとブラウエンを結ぶ道を南下した。その日のうちにブリ飛行場(日本側呼称北飛行場)に到達し、飛行場の北辺で日本軍小部隊と交戦した(10時30分)。
米187グライダー連隊第3大隊は、2キロ東南にあったサンパブロ飛行場から現地に急行しつつあった。しかし、その頃には高千穂空挺部隊が降下し、現場は混乱の最中だった。
6日の日没の頃、オルモックに上陸予定の米第77師団を乗せた輸送船団の見張りはレイテ島南端を迂回の途中、頭上はるかに日本軍航空機の編隊が飛ぶのを発見した。船団は秘匿行動の為に対空砲火も開かず、掩護する戦闘機部隊も、また攻撃をしなかった。
ほぼこの時刻、第4航空軍による戦爆連合の12機の航空機がタクロバン、ドラグ飛行場を攻撃していた。牽制攻撃だった。サンパブロ飛行場も爆撃され、焼夷弾が貯油タンクに命中し、偵察機1機が地上で破壊された。
輸送船団が見た日本軍の機影は1538(午後3時38分)に中部ルソンのアンヘレス飛行場を発進した第2挺進団(高千穂部隊)の第1波(香取隊)を運ぶ39機の爆撃機、輸送機だった。ネグロス島の上空を迂回して、レイテ島南端に出て、そこから東北に変針してレイテ湾を目指していた。
▼ブリ、サンパブロ飛行場に降下
1840(午後6時40分)、ブリ、サンパブロ両飛行場上空、300メートル、空挺隊は跳下した。ただし、100名ずつの隊員が両飛行場に降りる予定が、白井聯隊長を含めて50名がブリに、その他はサンパブロに降りてしまった。対空砲火の激しさではないかと見られる。米側の記録では18機が撃墜されたことになっている。
この頃までに米軍はグライダー連隊の1個中隊と救援の382連隊の1個中隊が、16師団の突入部隊の半数を北の森林地帯に圧迫し、152グライダー部隊と第767戦車大隊が戦場に加入してきた。この兵力なら空挺団は降下早々の苦戦が当然だった。
ところが、米第5空軍の整備兵たちが、カービン銃、機関銃、手榴弾などを捨てて逃げていた。これを日本空挺兵が見逃すわけもない。6日の夜間は、アメリカ兵はそのアメリカ製兵器と弾薬のおかげで、激しい銃撃戦に応じることになった。7日早朝にはブリ飛行場は完全に日本軍の制圧下にあった。
124名が降下したサンパブロ飛行場の米兵にも混乱が襲った。工兵隊、通信隊、師団砲兵司令部付隊、空軍の整備隊だけだったから混乱して、統一された指揮などは見られなかった。それぞれが勝手に敵影と見られるものに射撃を加えるだけだった。
米軍の救援処置もうまくいかなかった。30キロも離れた海岸にいた野砲兵大隊は火砲を残置したまま軽火器だけをもって急行する。夜明けまでにサンパブロに到着して、工兵隊と合流し、臨時集成歩兵連隊を構成する。飛行場の東方に進出したが、そこで日本軍と交戦すると、たちまち弾薬不足を言いたてて前進を停止した。
▼降下兵の戦闘
大岡氏の『レイテ戦記』にある話だが、米兵は英語で呼びかける空挺兵のことがある。彼らは米兵に英語で「お前たちの機関銃はどこにある?」と叫んでいたという。日本兵は気が違っていたように見えたとも報告書があがったともある。飛行場を走り回り、飛行機に次々と火を点けた。連絡機が4機、5機と燃えあがり、トラック、ジープも燃やされた。テントを倒し、ガソリンの缶に発砲もしていた。降下兵たちは飛行場北部に集結して、西北方のブリ飛行場に移動を開始した。夜明けまでにブリ北方の叢林中で16師団の兵と合流したのではないかと米軍の記録にある。
アメリカの公刊戦史には、サンパブロに降下した日本兵は150名から300名だったと記録されている。わが軍の記録では着地したのは124名である。ブリとサンパブロで破壊されたのは、米軍報告書ではビーチ双発輸送機1機、L5連絡機5機、その他14機と合計20機にのぼる。
戦果の数字を報告されて、意外に思ったのは第4航空軍(富永中将)だった。少ない、米軍の出撃機数から判断するに少なくとも1飛行場に100機はいるはずだ、というのである。そのうえ、輸送用の爆撃機・輸送機の損害が大きいので、22時にリバ発進予定の第2波攻撃は中止された。
荒木肇(あらきはじめ)
1951(昭和26)年、東京生まれ。横浜国立大学大学院教育学修士課程を修了。専攻は日本近代教育制度史、日露戦後から昭和戦前期までの学校教育と軍隊教育制度を追究している。陸上自衛隊との関わりが深く、陸自衛生科の協力を得て「脚気と軍隊」、武器科も同じく「日本軍はこんな兵器で戦った」を、警務科とともに「自衛隊警務隊逮捕術」を上梓した(いずれも並木書房)。陸軍将校と陸自退職幹部の親睦・研修団体「陸修偕行会」機関誌「偕行」にも軍事史に関する記事を連載している。(公益社団法人)自衛隊家族会の理事・副会長も務め、隊員と家族をつなぐ活動、隊員募集に関わる広報にも協力する。近著『自衛隊砲兵─火力戦闘の主役、野戦特科部隊』。近刊として『第一空挺団(仮題)』(並木書房)。

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