陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(56)自衛隊砲兵史(2)
□新たな「軍隊」への眼差し
予備隊への応募者は日を追うごとに増えました。採用試験も順調で、身体検査と面接のみで学科試験はなかったと体験者の話が残っています。応募者の総数は38万2000人、採用予定は7万5000人、そうし ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(47)世界大戦後の火砲の進歩
□はじめに
火砲はより大型化します。射程の増大をねらったのです。大型化と同時に自動車牽引も考えられますが、10センチ榴弾砲以下の師団野砲では輓馬牽引が依然として主流でした。その重量は前車(弾薬車)も含んで最大2トンという ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(45) 第1次世界大戦の教訓
▼世界大戦を体験しなかったからという誤解
これはよく言われることです。日本陸軍は第1次世界大戦をきちんと学ばなかったから、陸軍は新しい考えを取り入れなかった。たとえば、大正初めから装備化が進んだ38式歩兵銃の全長は短くな ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(44)1918年、ドイツ軍の暗黒
□地震被害にお見舞いを申し上げます。
今もなお被災されて避難生活をされている方々にお見舞いを申し上げます。また、支援をされている自衛隊員、消防、警察、自治体の皆さまに感謝です。知人の連絡なども入っていますが、想像を超える ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(39)重砲の威力と戦車の登場
□はじめに
第1次世界大戦と問われて、どのようなイメージを持たれているでしょうか。第2次世界大戦ならすぐに、原子爆弾、特別攻撃隊、真珠湾攻撃、ミッドウェイ、フィリッピンの戦い、硫黄島、沖縄などという太平洋方面、あるいは中 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(33)日露戦後の砲兵
▼砲塔砲台とは
素晴らしい好天に恵まれて、今日(22日)は東京湾要塞の千代ケ崎砲台に行きました。京浜急行浦賀駅から港を見ながら徒歩10分、道は史跡燈明堂入口まで平坦です。そこから右手の上り坂をあがります。丘の上に入口があ ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(32)日露戦争の総決算(2)
□はじめに
KYさま、いつもご愛読ありがとうございます。今回も素晴らしいご指摘に感服しました。「庶民の悲劇」に寄り添うのが戦後歴史学界の常識でした。「民衆はいつも被害者だった」、「地位の高い人間はいつも得をしていた」、そ ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(31) 日露戦争の総決算
□はじめに
日露戦争は「歩兵の戦い」でした。大陸などへ海を渡った野戦軍に属した人は約94万人、うち半数強(55%)が歩兵科の将校・下士・兵卒です。戦闘中の即死、あるいは負傷を理由として亡くなった方(戦闘死者とする)は全体 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(29)日露両軍の戦い
□陸軍は麦飯を支給した
UYさま、お問い合わせありがとうございました。実はわたしも1976(昭和51)年に『日露戦争の軍事史的研究』(大江志乃夫・岩波書店)を読むまでは、陸軍は森鴎外軍医の主導の下、頑固に麦飯を支給せず、 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(26)日清戦争・旅順要塞陥落
▼旅順口の攻略
1894(明治27)年11月13日、混成第2旅団は金州城に到着します。大山第2軍司令官は旅順口付近の敵状をつかもうと思います。内地にいる第2師団の戦場到着を必要とするかどうかを決めるためです。混成第2旅団 ...