空挺団物語(5) 本格的輸送機の開発
□ご挨拶
参院議員選挙が終わりました。大方の予想通り自民党が大敗、国民民主と参政党が大きく力を伸ばしました。予想されていたこととはいえ、今後の政局の混迷を考えると頭が痛くなります。アメリカからは経済的な圧迫を受け、中国からは海空にわたり脅威を受け、韓国、北朝鮮もまた彼らの国益を考えたあの手、この手をしかけてくるでしょう。
どうか、国民が幸せに、今回の審判が正しかったと思えますように願います。
▼MCこと100式輸送機
「とにかくまず降りてみたいから飛行機を早く欲しいということでしたが、スーパーしかないものですから、スーパー旅客機は高翼の4、5人しか乗れないやつですが、あれで降りてもらったんです。それが間に合わずに2機か3機あげたんじゃなかったですかな」と座談会で、佐藤勝雄氏は述べておられる。
ほかに話題になっているのは前号で説明したATである。このATについては、やはり搭載量の少なさが問題になっていたことがわかる。人員は6、7名しか乗れない、重量で換算すれば300キログラムくらいでは使いものにならなかったようだ。
挺進部隊では早く本格的な輸送機を希望し、とりわけ「MC」を期待していた。ロッキードの1式輸送機もだいぶできてきていて、これは貨物輸送機のために扉も大きく、条件は良かったが、安定性が悪いという評判もあったらしい。
MCというのは、制式化されて100式輸送機と命名されたものだ。100式だから皇紀2600年、すなわち1940(昭和15)年に制式化され、陸軍では年号の末尾の00から100式となった。海軍では末尾の「0」を採って「零式」と名付けた。
開発の経緯はなかなか興味深い。日華事変の勃発(昭和12年)から、その戦線の急速な拡大によって現地と中央の連絡のために、これまでのような重爆撃機の改造ではなく、本格的な中型輸送機の必要性を陸軍は感じてきた。民間会社も軍に協力して軍事輸送をになってきたが、需要の増加と地域の拡大で、民間各社(日本航空、中華航空、満洲航空など)からも座席数が多い高性能機を求めていた。
陸軍では、これまで三菱や中島といった大メーカーには民間機を開発させない方針だったが、三菱に対してキ21(97式重爆)を基本とした輸送機の開発を命じた。1935(昭和14)年8月のことである。これにキ57という名称を与えた。
開発指示の要旨は次のとおりである。
(1)97式重爆の胴体を新しく製造し、主として人員輸送にあたる。
(2)乗員4名、乗客11名、貨物300キログラム。性能は高度2000メートルから4000メートルで巡航速力300キロ/時以上、標準航続距離1400キロメートル、総重量7900キログラム。
(3)無線方向探知機、3舵自動操縦装置を付ける。
(4)発動機はハ5改とする。
(5)試作は1機とする。
▼キ21 97式重爆撃機
それまでの純国産重爆はキ1、のちに93式重爆撃機と名付けられた機体である。実用性も悪く、最大速度220キロ/時で、3000メートルの高度に上昇するのに14分もかかったという。部内では、「鈍爆(どんばく)」などと陰口をたたかれていたという。
そこで1935(昭和10)年に、三菱に加えて中島にも同一の仕様を与えて新型重爆を試作させるというわが国初の本格的競争試作を行なうようになった。競争試作の結果のメーカー選定は陸軍航空本部技術部によって行なわれた。ただ陸軍当局としては、過去の実績から、小型・中型機は中島と川崎の両社、中型・大型は三菱、練習機や輸送機は立川飛行機というように分けて育成しようとしていたという。
新しい重爆はキ19といわれたが、当時、海軍では新型の9試中型陸上攻撃機(のちに96式中攻といわれる)を昭和10年6月に完成させていた。実戦では、初めての渡洋爆撃を行なった全金属製、双尾翼の美しい機体だった。
翌36年2月、陸軍から正式な試作指示が出された。使用高度は2000~4000メートル、最大速度400キロ/時、上昇性能は3000メートルまで8分以内、爆弾標準搭載量750キログラム、乗員4名で座席は6(正副操縦、爆撃、前方銃、後上方銃、後下方銃)、総重量は6400キログラムというものである。
三菱キ19は36(昭和11)年12月に完成する。各務原(岐阜県)でテスト後の翌12年早々に東京府下立川に空輸されて航空技術研究所で、中島キ19と比較審査を受けた。技実審査は5月まで続き、その後に浜松へ運ばれ、爆撃装備審査と実用審査が行なわれた。性能的にはほとんど互角だったそうだが、政策的な配慮で三菱キ19に増加試作機の指示が出て、それをキ21と称することになった。
事変の拡大とともに、キ21の実戦参加での運用試験があった。戦訓が採り入れられ、1938(13)年初頭から本格的な量産体制が始まった。最大速度は高度4000メートルで432キロメートル/時、航続距離2700キロメートルだった。
▼100式輸送機
胴体は常識的な輸送機タイプで乗客席は2列で右が6席、左が5席だった。客室後部、機首のスペースは手荷物室となっていた。MCとはMitsubishi Commercial の略称で、1939(昭和14)年10月に三菱名古屋製作所で胴体のモックアップ審査が行なわれた。モックアップ審査とは実物大の模型であり、実用上不具合なところや、使用者側の要求するところを改修するための審査である。
試作第1号機は1940(昭和15)年8月に完成し、飛行審査に入った。そこで100式輸送機として採用が決定した。翌9月には羽田で民間型MC-20として完成披露式が行なわれ、逓信省航空局の手で試験が行なわれ、日本航空が採用する。ところが12月下旬に試験飛行中の事故によって千葉沿岸の東京湾に墜落した。搭乗していた14名全員が犠牲となったが、原因はとうとう不明のまま終わった。
とはいえ、キ57-IとMC20-Iは昭和15年度に27機、16年度69機、17年5月までに101機が生産された。15年末からキ21がハ-101にエンジンを換装しキ21-IIに移行したことにともなって、キ57もハ-102に変えて、改修を行なうことになった。
改修の諸点は次のようだった。中央翼燃料槽に非常排出装置を付ける、客室窓を使って非常脱出口を設ける、乗員室の後方隔壁を後ろにさげて操縦士の前にあった航法室を後方に移して機関士席と並べる、地上旋回を容易にするために尾輪を自由、固定にいずれでも切り替えるようにする、翼前縁とプロペラに防氷装置を施す、エンジン換装にともなって排気集合管は外側のみに開口するようにするなどである。
II型は昭和17年5月に完成し生産に入った。17年度72機、18年度221機、19年度113機が製造された後、406機で三菱での生産を終えた。
▼「ラ装置」
落下傘部隊輸送用機として「ラ装置」が付けられた。客室の座席を全部取り外し、木製のベンチシートとした。扉も大型にして、内開きとする。指揮官用ののぞき窓を設置し、物量投下装置も設ける、落下傘のナス環引掛用の長さを900ミリ前方に延長し、客室両側窓を改修し、銃座を各1設けるというものである。
厳しい評価もあり、1000馬力級のエンジン双発なのに乗客11席の輸送力は貧弱だったという指摘もある。また、I型で430キロメートル/時、II型で470キロ同という高速輸送機であるのは、やはり陸軍の軍用輸送機への思想の誤りだったともいわれる。もしもキ57が胴体容積を大きくし、25席で350キロメートル/時というものにしたならば、また違った輸送機ができたのではないか、そういった批判がある。
次回はいよいよ要員の養成、訓練の思い出話を紹介しよう。(つづく)
荒木肇(あらきはじめ)
1951(昭和26)年、東京生まれ。横浜国立大学大学院教育学修士課程を修了。専攻は日本近代教育制度史、日露戦後から昭和戦前期までの学校教育と軍隊教育制度を追究している。陸上自衛隊との関わりが深く、陸自衛生科の協力を得て「脚気と軍隊」、武器科も同じく「日本軍はこんな兵器で戦った」を、警務科とともに「自衛隊警務隊逮捕術」を上梓した(いずれも並木書房刊)。陸軍将校と陸自退職幹部の親睦・研修団体「陸修偕行会」機関誌「偕行」にも軍事史に関する記事を連載している。(公益社団法人)自衛隊家族会の理事・副会長も務め、隊員と家族をつなぐ活動、隊員募集に関わる広報にも協力する。近著『自衛隊砲兵─火力戦闘の主役、野戦特科部隊』。
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Posted by arakih
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