空挺団物語(15) パレンバン(6)──製油所急襲隊の戦闘
▼「為シ得レハ・・・」
南方総軍では大本営からの意に反して、作戦上の要求から「飛行場奪取」を重視した。「為シ得レハ敵ノ破壊ニ先タチパレンバン製油所ヲ占領確保スヘシ」というように付帯的任務として空挺団に製油所奪取を付与している。「為シ得レハ」とは「できるものなら」という意味である。
そこで挺進団としては、第1任務の飛行場占領の後に地上侵攻して製油所を押さえるという案が生まれた。その検討の間に、第1中隊長中尾中尉から製油所奪取を自分の中隊に任せてくれまいかという案が出る。これはもともと中隊付の徳永中尉からの強い要望があってからのことだった。徳永中尉は製油所奪取のための特殊教育を受けていて、大本営ではそれを重要視していることを知っていたからだ。
第1中隊の希望は容れられた。パレンバンには2つの大きな製油施設があった。1つはBPM、もう1つはNKPMと名付けられた大小2つである。問題は、2つの製油所はムシ河の支流で隔絶している。簡単に兵力の転用はできないということである。この両方を1個中隊で同時に確保しようというのだ。
この2つの製油所の年産は約300万トン、当時のわが国の所要量は同500万トンだったから、その重要性は言うまでもない。聯隊長は中隊に輸送機9機、物料機9機を配当した。この物料機は他中隊よりも多かったが、1中隊は独立行動をするための配慮だった。
中隊長はNKPMに長谷部小隊を、BPMには徳永中尉の率いる1個小隊と、古小路中尉の機関銃小隊を部署した。
▼敵の対空火器は健在だった
人員搭載9機と物料機9機の編隊は、ムシ河の河口から本隊と離れた。製油所には事前の航空攻撃がなかったから、周辺の対空火器は健在だった。高射砲の弾幕は次々と炸裂し、煙と破片を生んでいる。高射機関砲の曳光弾はスコールが逆に降るように下から伸びてきた。
輸送機は6機と3機に分かれ隊員を降下させた。物料を積んだ飛行第98戦隊の重爆も同じく6機と3機に分かれて物料傘を投下する。ここで1機の重爆が被弾し、地上で自爆する。高度は200メートル、超低空である。
▼社宅外の一角を押さえる
機関銃小隊の寺田曹長が指揮する92式重機関銃が火を吐いた。トーチカの銃眼に曳光弾が吸い込まれてゆく。湿地に降りた中隊を足止めしたのは、社宅に通じる道路を縦射できる位置にあった掩蓋機関銃座である。小銃しかなかった空挺隊員にとってまともに撃ちあっても勝てる相手ではなかった。距離もあり突入は危険すぎた。
寺田曹長たち3人は道路わきに重機を据えてトーチカを撃ちまくった。銃眼の敵機関銃が沈黙すると敵兵は中から脱出し、横に走った。重機は点射で次々と敵を倒した。周囲の敵に対して点射を移動する。浮足立って逃げる敵兵の隙を見のがさずに、隊員は社宅群の一角に突入した。
社宅群はほぼ1キロも続くように見える。その行き止まりに会社の事務室があるはずだ。ちょっとした市街地で住宅の合間に道がある。敵は地の利を活かして路地からの射撃など、まるで神出鬼没、敏捷な動きはないが、こちらが地理を知らないからそう見える。
▼小川分隊の行動
徳永小隊の小川分隊長が降下したところは、膝まで達するような湿地だった。太い木々がまばらに生えていて、その間には帯状に湿地が入りこんでいる。それらの木の枝をバリバリと折りながら物料箱が落ちてくる。1号箱だ!あれを1個拾えば分隊は完全に武装することができる。小川分隊は集まれ!物料があるぞと大声で叫びながら物料箱のところに行こうとするが、膝まで没する湿地である。思うようには進めない。
敵の高射砲の発砲音がものすごい。疎林に隠されているので製油所が見えない。声が所々から上がっている。指揮官が部下を呼び集める声だ。小川軍曹は泳ぐようにして湿地から脱出した。木が生えているところを足場にして、湿地に半ば以上も埋まっている物料箱を引き揚げにかかった。そこへ岡田兵長と勝又兵長が駆けつけた。
指揮班の誰かの声が聞こえた。中隊長殿は製油所に向かって前進された、早く来いという声だ。分隊員6名のうち4名が集まった。別に他の分隊員が2名合流した。物料箱には他の分隊の標識が付いているが、1号箱の中身は共通だった。軽機関銃が1挺、小銃は5挺である。弾薬は持てるだけ身に付けた。土工用の器具や糧食は後から回収することにする。前進を始めると、途中に別の1号箱が落ちていた。どうも拳銃と手榴弾だけで行った者もいるらしい、持っていってやろうと箱ごと担いで進んだ。
製油所の西側の道を通って事務所に向かって攻撃せよと事前に指示されていた。そう聞いていたが、疎林から出てみると社宅群に通じる真ん中の道らしい。その道路沿いの狭い地域に、中隊本部、徳永小隊、古小路小隊が入り混じって、40名ほどが展開して攻撃中である。敵の姿は見えないが社宅方向から猛烈に撃ってきている。
小川軍曹は思った。こんな狭いところに密集していてはとても無理だ。徳永小隊長に到着を報告すると、小川分隊は右から回りますと告げて、返事も待たずに分隊を率いて飛び出した。隣の吉岡分隊も続いてきた。
▼日の丸を揚げる
鉄条網の外柵を破った。もう工場地帯だ。敵はいない。どんどん前進する。太い送油管が何本も走り、その向こうには大きな製油装置が3基そびえ立っている。中央の一番大きな装置に突進した。後方からは彼我の銃声が聞こえる。その中で機械の音だけが響いている。人影はまったく無い。300メートルくらいを一気に走った。一番大きなトッピング(櫓)の中段まで駆け上がった。後ろから勝又兵長が続く。てっぺんにこれを掲げてこいと国を出る時にもらった寄せ書きの日の丸を渡した。兵長はまっしぐらに頂点に駆け上がると日の丸をてっぺんに掲げた。
(つづく)
荒木肇(あらきはじめ)
1951(昭和26)年、東京生まれ。横浜国立大学大学院教育学修士課程を修了。専攻は日本近代教育制度史、日露戦後から昭和戦前期までの学校教育と軍隊教育制度を追究している。陸上自衛隊との関わりが深く、陸自衛生科の協力を得て「脚気と軍隊」、武器科も同じく「日本軍はこんな兵器で戦った」を、警務科とともに「自衛隊警務隊逮捕術」を上梓した(いずれも並木書房)。陸軍将校と陸自退職幹部の親睦・研修団体「陸修偕行会」機関誌「偕行」にも軍事史に関する記事を連載している。(公益社団法人)自衛隊家族会の理事・副会長も務め、隊員と家族をつなぐ活動、隊員募集に関わる広報にも協力する。近著『自衛隊砲兵─火力戦闘の主役、野戦特科部隊』(並木書房)。



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