空挺団物語(13)パレンバン(4)──事務所を確保する

▼飛行場の西側に降下した第2中隊

 第2中隊の任務は、飛行場西側に降下し、飛行場事務所に向かって攻撃すべしという任務を付与された。兵力は1個小隊を聯隊長直轄として差し出したため、中隊長の直接指揮下にあるのは2個小隊と機関銃小隊、合計60名である。空輸担当は第12輸送中隊のロ式輸送機6機、それに物料機3機が割り当てられた。ロ式はロッキード式の略称で、1式貨物輸送機のことである。各機に降下隊員10名を乗せた。

 広瀬中隊長は考えた。自分たちは助攻部隊である。主攻撃(主攻)部隊の戦闘を容易にすることが任務になる。とにかく猛烈果敢に攻撃を加え、敵を牽制し、聯隊主力の攻撃を容易にすべきである。発進前には特にこの点を部下に強調した。ただ、元が猛烈果敢の塊のような隊員ばかりのことだから、逆に猪突猛進、勝手に敵中に各人が突入しても困る。必ず3人1組で行動するように注意を加えておいた。

 降下中にも対空砲火を浴びた。傘には無数の穴も開いたが、なんとか無事に降下した。ところが、ここでも予想は裏切られていた。空中偵察の結果、平坦な草原だと思っていたところは、なんと草丈が2メートル以上もある葦(あし)に似た草が生い茂っていた。背伸びをしてみても何も見えない。

 そこに敵機が急降下してきては銃撃を加えてくる。生い茂っている草は葉が細いから、見通しが悪いのに、上空からは隊員の姿は丸見えだった。しかも地上に落ちた落下傘は大きな目標になっている。物料はどこの落ちたか、まるで見つからない。やっとバナナの木を見つけてその陰に隠れることができた。

▼三々五々と草を押し分けて前進する

 飛行場は友軍の爆撃があったはずなのに敵機の離着陸は頻繁で、どうやらそれが上がっては銃撃を浴びせてくるらしい。飛行場までの距離は1~2キロメートルと思った。中隊長広瀬中尉は指揮班の曹長と兵1名を掌握したので3人まとまって草原を飛行場方面に進んだ。

 突然、ニワトリが飛び出してきてけたたましく鳴いた。パイナップル畑と原住民の家があった。現地の男をつかまえて、事前に熱心に学んだインドネシア語で「日本軍はいないか?」と問いただしてみたが、まるで通じない。あきらめてさらに飛行場方面に歩いた。背丈をこえる草を押し分けて前進すると、時々、意外と正確な射撃を受けた。それがどこからかは分からない。のちに分かったところでは、敵は高い樹上に監視所を設けていて、草が動くと射撃を加えてきていたのだった。

 予期しなかった地形で、中隊の全員は三々五々という言葉通り、少数でばらばらに前進していった。そのほとんどが物料を手にできず、手榴弾と拳銃のみといった武装しかしていなかった。

 小隊長蒲生中尉が降下した地点も同様な様子だった。草を押し分けてゆくと、突然、偽装された高射砲陣地に出くわした。驚く敵兵に手榴弾を投げつけ、拳銃を片手に突入した。数人の砲手は倒したが、自らも胸部に銃弾を受けて倒れた。駆けつけた兵長もまた敵弾を脚に受ける。当番兵が小隊長の身体を引きずって敵の弾を受けないところに下げた。中尉は兵長に短刀を渡して、命あって内地に戻れたら生家に返してくれと言った。軍刀は降下にあたって携帯できなかったから短刀を持つ者も多かった。

▼飛行場事務所を奪う

 同じ頃、広瀬中隊長たちは蒲生小隊長の奮戦も知らず、逃げる敵を追って進むと偵察写真では不明だった敵の兵舎を発見した。無人の兵舎の中には寝具類もそのままに逃亡したらしい様子だった。炊事場には調理中の食事と大量の缶詰があった。

 高射砲陣地に出会わなかった者以外は、敵警戒兵を追い払うくらいでたいした戦闘もなかった。少人数ごとに飛行場の一隅に進出する。敵兵100名ほどが逃走する意図らしくトラックに乗り込んでいる。距離は約700メートル、拳銃ではどうにもならない。この敵が去るのを待って事務所に入った。すでに陽が落ち、あたりは暗くなっていた。

 中隊は飛行場を占領したあと、物料を集めて武装を整え、飛行場確保の任についた。建物の中には外部と通じる電話があり、夜通し意味不明の通話があった。敵の慌てぶりもよく分かったが、語学力がある者がおらず、意味内容は不明だった。中隊の戦死者は蒲生中尉以下7名である。

▼団長機強行着陸

 久米団長機は輸送機編隊の最先頭にいた。久米大佐は満洲で軽爆の戦隊長を務めたことがあった。しかし、操縦者ではなかった。航進の指揮官は新原挺進飛行戦隊長であり、搭乗機の飛行は操縦者の野崎中尉が任されていた。搭乗していたのは、団長、稲垣副官、第16軍参謀井戸田中佐、団司令部通信掛将校上田大尉、団司令部通訳斉藤軍属、陸軍報道班の荒木カメラマンだった。斉藤軍属は若い頃にジャワに渡り、事業に成功していたが開戦前に本土に引き揚げ、今回の壮挙を聞いて志願したものである。

 飛行場急襲隊が2か所に分かれて降下した後、野崎中尉は上空を旋回し、降下状況を確認したが対空火器の射撃の激しさは目立った。

 野崎中尉は注意深く着陸場を探した。双発大型機のパイロットらしく、その神経は図太いとされていた。新田原では脚を出し忘れて着陸し、飛行機を大破させたこともあった。当然、処分受けたが、それによって萎縮したり、恐縮したりするという様子もなかった。

 

 聯隊主力の降下地点より南に草原を見つけた。そこに得意の胴体着陸を敢行した。地上の状況が不明の時、脚を出した3点着陸では安全が保障されない。腕前は見事としかいいようがない。プロペラは曲がったが、胴体も翼も傷つけることなく着地に成功する。全員が無事に機外に出ることができた。

 上空から見た様子では、練兵場に使えるような草原だと思ったが、実際は一面の湿地だった。葦のような草は背丈を越えて生い茂っている。湿地に踏み込めば、深いところでは腰まで水につかってしまう。報道班のカメラマンが深みにはまり、もがけばもがくほど身体が沈んでいく。周囲があわてて助けたが、カメラを失くしてしまった。落ち込む彼に、誰かが「カメラなんぞ、敵さんのを取って使え。それが落下傘部隊だ」と励ました。

 胴体後部に積み込んだ37ミリの速射砲も出すことができなかった。これも鹵獲品を使えばよいとなって、飛行場方面に前進した。

 次回は「計画外の強行着陸」というタイトルがついた秘話を紹介する。実は、もう1機、降下せずに不整地に着陸した機体があった。

(つづく)

 

荒木肇(あらきはじめ)
1951(昭和26)年、東京生まれ。横浜国立大学大学院教育学修士課程を修了。専攻は日本近代教育制度史、日露戦後から昭和戦前期までの学校教育と軍隊教育制度を追究している。陸上自衛隊との関わりが深く、陸自衛生科の協力を得て「脚気と軍隊」、武器科も同じく「日本軍はこんな兵器で戦った」を、警務科とともに「自衛隊警務隊逮捕術」を上梓した(いずれも並木書房)。陸軍将校と陸自退職幹部の親睦・研修団体「陸修偕行会」機関誌「偕行」にも軍事史に関する記事を連載している。(公益社団法人)自衛隊家族会の理事・副会長も務め、隊員と家族をつなぐ活動、隊員募集に関わる広報にも協力する。近著『自衛隊砲兵─火力戦闘の主役、野戦特科部隊』(並木書房)。