空挺団物語(11) パレンバン(2)──降下!降下!降下!
▼見慣れぬ中尉
田中耕一氏の回想録に珍しい話がある。スンゲイパタニーで準備中、長髪の見慣れぬ中尉が3名と下士官3名が現われた。大本営の特命でスマトラに行くので、降下部隊に同行させてくれという。身元を確認すると、総軍から「中野学校出身の特殊工作員を派遣したからパレンバンまで連行してくれ」という電報が着いた。
もちろん、降下訓練などは受けていない。団本部では飛行場占領直後に輸送機を降ろすから、それに同乗せよというが、中尉らは受け入れない。ぜひ、一緒に降下させてくれという。ダメなら物料箱に入れてくれてもいいからと頑張り続けた。そこまで言うならということで中尉のうち1名だけを許可することにした。その星野中尉は無事に製油所に降下し、ジャングルの中に消えて行った。
▼掩護戦闘隊の増槽
航続距離が長いということで採用された1式戦闘機だったが、輸送機と同行して終始掩護をするには増槽を使うことが必須だった。機外の翼にぶら下げる切り離し式の燃料タンクのことである。これを使えば、胴体内のタンクだけで航続距離1100キロが2200キロに伸びる。パレンバンまで片道約700キロだったから、空戦などを行えば当然、増槽なしでは基地へ帰投など思いもよらない。
ただし、途中で掩護戦闘が必要になったら、増槽はどれほど残量があろうとも切り離してしまわねばならない。両翼にポッドを吊るした状態では、まともな戦闘機動などとれないからだ。したがって、進撃途中に敵戦闘機と遭遇したらパレンバン上空までの掩護はできない、と戦闘隊幹部から当然の懸念が出た。議論が沸いた。
そこに所要のために遅れてきた加藤中佐の発言があった。「わが64戦隊は、任務とあらば最後まで掩護をいたします。決して御心配はありません」。これを聞いて議論は終わり、挺進団の指揮官たちは心に感じるものが大きかった。
▼2月13日集結・髑髏の旗
いよいよ部隊は集結した。
カハン飛行場
挺進飛行戦隊(輸送機)及び第12輸送飛行中隊(前同)
飛行第64戦隊(戦闘)
クルアン飛行場
飛行第98戦隊(97式重爆・物料投下)
飛行第59戦隊(戦闘)
飛行第90戦隊(軽爆)
第15独立飛行隊(偵察)
飛行第81戦隊(司令部偵察機3機)
降下隊員たちは最後になるかもしれない打ち合わせを行なった。製油所攻撃に向かう第1中隊の小隊長長谷部少尉は、大きな白布の中央に「髑髏(どくろ)」を描き、その横に、「もろ共に死なんといさむつわものは どくろの朽つまでつとめ尽す」と書き添えた。
▼2月14日
午前4時に隊員は起床した。内地時刻のため現地では2時間の時差がある。4時はまだ真っ暗だった。ローソクを灯し、武装を整える。飛行場に出ると、各飛行隊は試運転を始めており、重爆、軽爆は機関銃の試射を行なっている。挺進団長は全員を集め、「敵情は不明、兵力の多寡を考える時期はすでに過ぎた。挺進戦闘の要訣は飽くまで奇襲に徹するに在り。是が非でも飛行場と製油所を奪取せよ」と訓示した。
飛行場に集結したのは約100機にものぼる重爆、軽爆、輸送機、戦闘機の群れだった。
堅苦しくもなるが、正式な作戦命令を書いておこう。ただし要点のみにする。
一挺団作命甲第三二号
第一挺進団命令 二月十一日
- 略
- 第一挺進団ハ別冊攻撃計画ニ拠リL-1(エル・マイナス・イチ)日1130ヲ期シ「パレンバン」飛行場及ビ製油所附近ニ挺進ヲ決行シ同地附近ヲ占領確保スルト共ニ第三飛行集団及第三十八師団ノ戦闘ヲ容易ナラシメントス 略
- 飛行場急襲隊ハ左ノ如ク行動スヘシ
主力ヲ以テ飛行場東南側地区ニ一部ヲ以テ同西側地区ニ降下シ飛行場ヲ攻撃占領シ所要ノ兵力ヲ以テ同地ヲ確保セシメ主力ハ「パレンバン」ヲ攻撃占領スヘシ・・・中略・・・降下後装備完了迄ノ間戦斗機ノ対地攻撃ヲ以テ掩護セシメラルル筈 飛行場攻撃ノ際不時着機並強行着陸機トノ連絡密ナラシムルヲ要ス(以下略)
七、協同重爆戦隊ハ重要兵器資材ヲ搭載シ「パレンバン」附近ニ挺進スルト共ニ対空砲火網ニ依リ挺進飛行戦隊ノ掩護ニ任ス 飛行第八十一戦隊、飛行第六十四戦隊、飛行第五十九戦隊、飛行第九十戦隊ノ協同要領ハ別ニ協定スル所ニ拠ル
▼降下の部署
飛行場東南側(人員18機・物料15機)聯隊本部甲村少佐以下17名、通信班30名、第4中隊97名、第2中隊第3小隊36名の合計180名。
飛行場西側(人員6機・物料3機)第2中隊主力60名。
製油所西側(人員6機・物料6機)第1中隊主力60名。
製油所南側(人員3機・物料3機)第1中隊第3小隊39名。
挺進飛行戦隊は3個中隊、これに第12輸送飛行中隊を加えての4個中隊だった。スンゲイパタニーに到着するまでに落伍した飛行機もあり、また控置する予備機もあるので、割り当てたのは34機である。これに飛行第98戦隊の物料投下機が27機加わった。輸送機が足りないので聯隊の第1・2・4の各中隊は約3分の2になる縮小編成をとらざるを得なくなった。第3中隊は第2次挺進部隊として、スンゲイパタニーに待機となる。
▼1125 降下!
ムシ河河口上空で変針、飛行場と製油所に分進する。高度が下がった。シンガポールからの煤煙がたなびき視界は不良、しかしそれを突いて輸送機はさらに降下する。降下準備のブザーが3声、ブー、ブー、ブーと聞こえた。隊員は縛帯を締め直す。身体に力が入った。機付の航空兵が爆音で聞こえにくいなかで、「しっかり頼みます」と声をかけてきた。降下用意で胴体扉を開いた。高度は300メートルと見た。ジャングルがものすごい速さで後方に流れて行く。
軽爆はすでに飛行場に対する攻撃を開始している。滑走路沿いの林の中に爆煙が見える。高射砲や機関砲の陣地に違いない。敵機は見当たらなかった。降下場はどんどん近づいてきた。樹木がまばらに生えているところを輸送機操縦員の筒井中尉が示した。草なのか、樹木なのか、意外に背丈が高いように見える。突如、前方に高射砲弾が炸裂した。輸送機戦隊長新原少佐はブザーのスイッチを押した。降下!ブーっとブザーが鳴った。
(つづく)
荒木肇(あらきはじめ)
1951(昭和26)年、東京生まれ。横浜国立大学大学院教育学修士課程を修了。専攻は日本近代教育制度史、日露戦後から昭和戦前期までの学校教育と軍隊教育制度を追究している。陸上自衛隊との関わりが深く、陸自衛生科の協力を得て「脚気と軍隊」、武器科も同じく「日本軍はこんな兵器で戦った」を、警務科とともに「自衛隊警務隊逮捕術」を上梓した(いずれも並木書房)。陸軍将校と陸自退職幹部の親睦・研修団体「陸修偕行会」機関誌「偕行」にも軍事史に関する記事を連載している。(公益社団法人)自衛隊家族会の理事・副会長も務め、隊員と家族をつなぐ活動、隊員募集に関わる広報にも協力する。近著『自衛隊砲兵─火力戦闘の主役、野戦特科部隊』(並木書房)。


