陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで

陸軍砲兵史(34)

▼砲塔砲台とは

 せっかく注文したクルップ製38式野砲はとうとう戦争に間に合いませんでした。ロシア軍は砲身後座式の野砲をもっていたのに、わが国は砲車後座式だったのです。砲身を車の車軸に取りつけていただけなので、発射反動で砲 ...

陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで

陸軍砲兵史(31)

□はじめに

 日露戦争は「歩兵の戦い」でした。大陸などへ海を渡った野戦軍に属した人は約94万人、うち半数強(55%)が歩兵科の将校・下士・兵卒です。戦闘中の即死、あるいは負傷を理由として亡くなった方(戦闘死者とする)は全体 ...

陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで

陸軍砲兵史(22)

□はじめに

 さすが、7月はやたらに暑いと思ったら、過去の記録を塗り替える猛暑だったようです。連日の体温すら超えるような暑さにはほんとうに参りました。歩いて出かけることもままならず、一日、エアコンをかけております。

陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで

陸軍砲兵史(21)

□はじめに

 「そこから旅順港は見えるか?」、「見えまあす!」という映画の中の名場面がありました。有名な203高地が占領された後、第3軍司令部と前線の双眼鏡を構えた将校の会話です。

 旅順攻囲戦についてはあまり ...

陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで

陸軍砲兵史(19)

□はじめに

 猛暑の中、あるいは豪雨が続く中、みなさまいかがお過ごしでしょうか。3連休の初日、横須賀は薄曇りの空でした。軍艦三笠のすぐ隣のフェリー乗り場から自衛官OBの方々と猿島砲台に行ってまいりました。猿島は無人島で、い ...

陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで

陸軍砲兵史(15)

□はじめに

 1871(明治4)年のことでした。兵部大輔(ひょうぶたゆう)だった山縣有朋は兵部少輔川村純義と同西郷従道との連名で「軍備意見書」を出しました。

1)軍備は国内向けから外国向けに変える。2)徴兵制を ...

陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで

陸軍砲兵史(14)

□信管と弾の話

 砲弾には多くの種類がありました。今後も出てくるのでおおよその説明をいたします。榴弾、榴霰弾、破甲榴弾、堅鉄弾、徹甲弾、尖鋭弾、曳火榴弾、発煙弾、照明弾などなどとさまざまな砲弾があります。「甲」というのは装 ...

陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで

陸軍砲兵史(12)閉鎖機の工夫

□はじめに

 梅雨に入ったようです。5月中に宣言が出ると12年ぶりとかテレビでは言っています。また、激しい雨が予想されるとか。先日は久しぶりに富士山麓の御殿場市、駿河小山市にお邪魔して田植え前の美しい景色を楽しめました。梅 ...

陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで

陸軍砲兵史(11)陸軍兵学寮の雑談

□はじめに

珍談奇談だらけの異文化流入について、雑談風にご紹介したいと思います。とにかく列強に追いつくためには、その装備・兵器や用兵、さらには組織までも丸ごと導入しなくてはなりません。幕末以来、それぞれの大名家には軍隊があ ...

陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで

陸軍砲兵史(10) フランス、ドイツ混成時代

▼明治初めの建軍時代

 近代的な陸海軍をつくらねばならない。そのためには装備だ、人だとなるのはいまも少しも変わりません。1868(明治元)年8月には京都に兵学校(所)が開かれました。翌年9月から11月には大坂城内に移転しま ...