陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(93) 自衛隊砲兵史(39) 74式戦車の解説
□戦車の射撃
いよいよ仮想戦記の最大の見せ場である戦車隊の突入です。どのように企画された装備が、どのようにして戦場で生かされるのか、まさに開発者も、製造者も、用兵者もその存在そのものをかけた戦い、しかも貴重な人命を預けた ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(82)自衛隊砲兵史(28) ソ連軍枝幸に上陸
□総選挙が決まる
ほうら始まった・・・まあ、わたしは特に石破さん嫌いではありません。一度、会合で話をしたこともあり、そのときの対応は礼儀正しく、腰も低く、決して尊大な姿勢を見せるような人ではありませんでした。
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(72)自衛隊砲兵史(18) ソ連軍侵攻す
□ご挨拶
東北の方々のご災厄に心からお見舞い申し上げます。新幹線も復旧、運転再開までかなりの日数がかかるようです。道路も、橋も、インフラの損壊が大きいようで、この夏のお暮らしを思うと、心が痛みます。どうか御身大切に。
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(69) 自衛隊砲兵史(15) 70年代の装備(1)
□ソ連崩壊後に登場した装備の数々
話があちこち飛んで恐縮ですが、今日は陸自の自走榴弾砲について語っておきましょう。それは、先日耳にしたのですが、ある駐屯地の記念日で「戦車だ。戦車だ」という声が観客からあがったといいます。 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(68)自衛隊砲兵史(14) 冷戦の終焉
□胸ポケットの地図
大事な友人がいます。もう付き合いも25年にもなります。ある連隊のベテラン幹部でした。初めて知り合った頃、彼が若い陸曹で北海道にいたことを聞きました。
「僕らね、戦闘服のポケットに、いつも地 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(56)自衛隊砲兵史(2)
□新たな「軍隊」への眼差し
予備隊への応募者は日を追うごとに増えました。採用試験も順調で、身体検査と面接のみで学科試験はなかったと体験者の話が残っています。応募者の総数は38万2000人、採用予定は7万5000人、そうし ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(54)最後の量産された火砲
□はじめに
陸自の西方への備えは着々と進んでいます。第7地対艦ミサイル連隊が編成完結を迎えました。装備する12式地対艦ミサイルは、1991(平成3)年から保有された88式地対艦ミサイルの後継です。射程は「百数十キロメート ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(49)機械化兵団解散
▼機械化兵団の初陣
1937(昭和12)年7月7日、盧溝橋で日中両軍が衝突します。11日には関東軍に、独立混成第1旅団主力ほかの部隊を北支那駐屯軍に増援するように参謀本部から指示が下りました。旅団は酒井鎬次少将(8月2日 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(47)世界大戦後の火砲の進歩
□はじめに
火砲はより大型化します。射程の増大をねらったのです。大型化と同時に自動車牽引も考えられますが、10センチ榴弾砲以下の師団野砲では輓馬牽引が依然として主流でした。その重量は前車(弾薬車)も含んで最大2トンという ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(46)世界大戦後の反省
□総力戦研究の時代
世界大戦(当時は次の戦争も予想できませんでした、だから第1次とか第2次という言い方はありませんでした)が軍事世界に及ぼした影響は大きなものでした。
日本陸軍は、あまりに大規模な戦争、新兵器 ...