陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(54)最後の量産された火砲
□はじめに
陸自の西方への備えは着々と進んでいます。第7地対艦ミサイル連隊が編成完結を迎えました。装備する12式地対艦ミサイルは、1991(平成3)年から保有された88式地対艦ミサイルの後継です。射程は「百数十キロメート ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(51)4年式15糎榴弾砲
▼大正時代の野戦重砲
陸軍の15糎榴弾砲は、日露戦争後に到着したクルップ社に発注した38式15榴から歴史が始まります。いわゆる「サンパチ式火砲群」の一つです。しかし、いくつかの設計上の失敗があり、陸軍は大正時代に4年式15 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(50)91式10糎榴弾砲
▼世界大戦後の火力優先
幕末、明治維新から陸軍建軍期、砲兵は「フランス砲兵」とからかわれました。そうしてまた第1次世界大戦後には、「第2次フランス砲兵」といわれたようです。
世界大戦後、フランス陸軍は野砲の ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(48) 90式野砲論争と機動砲兵
▼射程か機動力か?
自動車産業が発展を続けた第1次世界大戦後のことです。わが国でもささやかながら火砲の牽引にも内燃機関を使った牽引用の車輌を開発しようとします。理由はまず、6頭だての輓馬牽引では前車(弾薬車)も含んだ砲車 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(47)世界大戦後の火砲の進歩
□はじめに
火砲はより大型化します。射程の増大をねらったのです。大型化と同時に自動車牽引も考えられますが、10センチ榴弾砲以下の師団野砲では輓馬牽引が依然として主流でした。その重量は前車(弾薬車)も含んで最大2トンという ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(20) 28珊榴弾砲の実像
□はじめに
28珊榴弾砲といえば、わが国で最も多く生産された要塞砲です。その雄姿はいまも画像に残り、あるいは戦争映画でも見ることができます。弾丸重量は217キログラムもあり、砲床の上で回転し、360度の射界を誇りました。 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(15)東京湾防衛の要塞(3)
□はじめに
1871(明治4)年のことでした。兵部大輔(ひょうぶたゆう)だった山縣有朋は兵部少輔川村純義と同西郷従道との連名で「軍備意見書」を出しました。
1)軍備は国内向けから外国向けに変える。2)徴兵制を ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(13)東京湾防衛の要塞(1)
幕末の日本はアヘン戦争の情報により大砲の開発を禁止され、防備も不十分で黒船に直面。幕府が鉄製のソリッド弾を持たず、航洋能力を持つ鉄甲艦は1859年に登場した。
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(8) 幕末維新の時代の砲弾
この記事は、幕末の日本でボンベンという砲弾が導入された背景や、フランス軍事顧問団によるナポレオン砲の国産化、そして長崎通詞である高島秋帆の「西洋式火術」が高島流砲術の形成に影響を与えたことについて述べている。幕府は大砲製作に必要な水流 ...
陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(2)幕末日本の砲
砲兵の歴史と現代技術、火砲の閉鎖機構について触れられており、ナポレオンの野砲による戦場制圧力の向上や、高野長英による日本への野砲紹介についても触れられています。