陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(最終回)自衛隊砲兵史(62) 即応性・機動性
□ご挨拶
先週に引き続き、アマゾンでも店頭でも『自衛隊砲兵』の人気が続き、たいへん嬉しく思っています。多くのOB、現役の隊員の皆さんからも「真の姿を描いてくれた」「一般の方にも特科とは砲兵のことだという理解が進んだ」「自分は普通科だが、たいへん勉強になった」などの喜んでいただいている声が伝わってきます。
これもすべてはご協力をいただいた陸上自衛隊野戦特科、陸幕広報室、富士学校特科部、同特科教導隊ほかの皆さま、それに版元のお力の賜物です。あらためてお礼を申し上げます。
さて、今回で「自衛隊砲兵史」のシリーズを終わりにします。今回は「即応性」「機動性」の重視が具体的には、どのような形になっているのかをお知らせしたいと思います。
▼師団・旅団のタイプ
戦力近代化とは、機能の充実化と大きな関わりがありました。1995(平成7)年の「07大綱」と「08中期防」は新体制の幕開けになったのです。
前にも記したように、機甲師団である第7師団は別にして、機能的にはほぼ同一だった師団・旅団について、編成や装備によって「沿岸配備型」「政経中枢型」「戦略機動型」と区分しました。これらの用語は平成13年版「防衛白書」から記述が登場します。
その後、「16大綱」から、「総合近代化師団・旅団」と「即応近代化師団・旅団」に区分して「政経中枢タイプ」「機甲タイプ」「離島タイプ」として位置づけました。
この総合近代化師団・旅団は、多様な事態への対応から始まり、将来的な本格的侵攻事態への対処までも行なうものです。一方、即応近代化師団・旅団は、多様な事態に迅速かつ効果的に対応し得るようにしました。具体的には戦車や火砲などの重装備を効率化して即応性・機動性を重視する編制になります。即応とは「直ちに」という意味ですから、重装備はすぐに行動は難しいという意味です。
そうして「25大綱」からは、地域配備師団・旅団と機動運用師団・旅団となりました。
▼各方面隊の変容
札幌に総監部を置く北部方面隊は4個師団体制から2個師団・2個旅団になりました。第5師団(帯広)と第11師団(札幌)が旅団になります。中部方面隊(総監部伊丹)は3個師団・1個混成団から2個師団・2個旅団へ、西部方面隊(総監部熊本)は2個師団・1個混成団から2個師団・1個旅団に姿を変えました。
中部方面隊の第10師団に注目しましょう。同師団は名古屋市守山に総監部を置きますが、地理的にはわが国のほぼ中央に位置することから、「戦略機動師団」とされました。普通科(歩兵)、特科(砲兵)、戦車部隊などが増強され、定員も7000人から8700人に強化されます。
また西方の第4師団(福岡)は「沿岸配備型師団」として、軽装甲機動車や96式多目的誘導弾などの新装備も優先的に配当されました。東方の第1師団(東京都)や中方の第3師団(千僧)も従来の野戦型から「政経中枢師団」と変えられます。
その結果、特科連隊の規模も4個大隊から、3個ないし4個射撃中隊の特科隊に縮小しました。たしかに予想される戦場が市街地であるなら、長射程の榴弾砲は不要です。
戦車大隊も3個中隊から2個中隊に削減します。これまた、市街地戦闘では戦車も使いにくいということです。合わせて師団対戦車隊を廃止しました。対戦車ミサイルなども政経中枢の戦場では、これまた不要でしょう。そのかわり普通科連隊では、これまでの4個普通科中隊を同5個に増強するなどを行ないます。
▼「25大綱」の西方・南西シフト
中国の透明性を欠いた軍備拡大、東アジア地域における海空域での活動が活発になっています。さらには北朝鮮による核兵器やミサイル開発の継続、しばしば行なう挑発行為は国際的なパワーバランスの変化を示すものでしょう。
「25大綱」からは、戦略機動力が大切にされています。全国の部隊を幅広い手段で、短時間で、長距離を移動させる機動運用能力の向上です。
以前は「北方機動演習」として、本州以南の部隊を北海道に展開して、道内の演習場で訓練を毎年、行なっていました。近頃では、それが反対に北海道の部隊を九州に移動させる「転地演習」が行なわれています。
移動手段も、長距離機動では自衛隊固有の輸送力だけではなく、鉄道や民間船舶なども利用されます。民間資金活用による自衛隊専用のチャーター船の運用も拡充されているところです。
▼25大綱の統合機動防衛力
さまざまな戦力リソースを組み合わせて緊急事態に即応する態勢の整備を目指します。たとえば南西諸島地域で有事が発生した場合です。まずは、航空機のCH47(輸送用大型ヘリ)やV22オスプレイなどの空中機動で、先遣部隊を緊急展開させます。次いで、事態の推移に応じて、部隊を中規模に、つづいて大規模にしていきます。これらを滑らかに行なうためには、陸海空自衛隊の統合運用が欠かせません。
これを実現するためにもさまざまな施策が必要です。「機動師団(旅団)」への改編でした。戦車大隊や中隊を廃止し、特科連隊(あるいは隊)をなくします。その代わり、複数の隷下の普通科連隊のうち1個を基幹にして、16式機動戦闘車を装備する機動戦闘車隊(旅団では中隊)、120ミリ迫撃砲RTを装備した火力支援中隊などからなる「即応機動連隊」、略称「そっきれん」が新編されました。
2018(平成30)年には西方の第8師団(北熊本)、四国香川県の第14旅団(善通寺)、翌19年には東北方の第6師団(神町)、北方の第11旅団(札幌)が機動師団・旅団となります。22年には北方の第2師団(旭川)、翌23年には同じく第5旅団(帯広)で、それぞれ1個普通科連隊が即応機動連隊に生まれ変わりました。
第一線の機動戦闘力の向上に寄与するための重要な組織も新編されています。それは2018年、陸上自衛隊富士学校に新設された「諸職種協同センター」です。機動戦闘力の発展拡大に欠かせない諸職種(兵科)連携のノウハウを研究開発し、その普及を図ることを主要任務としています。
過去の砲兵から現在の自衛隊特科につながる長い物語を終わります。
次回のテーマは「空中挺進」とするつもりです。
(陸軍砲兵史 おわり)
荒木肇(あらきはじめ)
1951(昭和26)年、東京生まれ。横浜国立大学大学院教育学修士課程を修了。専攻は日本近代教育制度史、日露戦後から昭和戦前期までの学校教育と軍隊教育制度を追究している。陸上自衛隊との関わりが深く、陸自衛生科の協力を得て「脚気と軍隊」、武器科も同じく「日本軍はこんな兵器で戦った」を、警務科とともに「自衛隊警務隊逮捕術」を上梓した(いずれも並木書房刊)。陸軍将校と陸自退職幹部の親睦・研修団体「陸修偕行会」機関誌「偕行」にも軍事史に関する記事を連載している。(公益社団法人)自衛隊家族会の理事・副会長も務め、隊員と家族をつなぐ活動、隊員募集に関わる広報にも協力する。近著に『自衛隊砲兵─火力戦闘の主役、野戦特科部隊』。