陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(110)自衛隊砲兵史(56) 小説『道北戦争1979』の前後
□『自衛隊砲兵』発刊のご挨拶
ゴールデン・ウィークが始まりました。天候も安定し、長い連休に各地の行楽地も賑わうことでしょう。また、それを支えるお仕事に励まれる方も多いわけで、活気が溢れるニュースを見聞きすることも楽しみです。
さて、足かけ4年の仕事になりましたが、『自衛隊砲兵』を上梓させていただけることになりました。5月19日頃から書店に並び始め、Amazonなどネット通販の予約は始まっています。おかげさまで、知人の方々からは予約を確定したという連絡も多くいただいております。
元はといえば、日本砲兵史をまとめてみようという大それた企画でした。それが、2022(令和4)年2月24日に始まったロシア軍によるウクライナへの侵攻によって現状の砲兵戦を話題の中心にしたらどうかと考えるようになりました。
ところが、戦況報道の中心になったのは、対機甲兵器の携帯式ミサイルの活躍でした。軍事専門家や評論家、新聞記者などはたちまち戦車不要論をいい、いわゆるドローン(無人航空機)による攻撃とその戦果を華々しく報道しました。まるで、火砲や装甲車、戦車などは無用の長物、無駄な金食い虫だったことの証明のように語りました。
しかし、注意深く報道を見続けていくと、ロシア軍もウクライナ軍も、どちらも砲弾不足に陥っていること、火砲の増強に手を尽くしていることなどが報じられます。ついにはロシア軍も北朝鮮から155ミリ砲弾を買い付けているということも明らかになりました。
□『自衛隊砲兵』の内容
全体は3部構成になっています。第1部では、砲兵とは何か、陸自砲兵部隊はどのような戦い方をするのか、どのような装備で、現場の砲兵の仕事とはどのようなことかを解説しました。陸自富士学校特科部(砲兵学校)、同特科教導隊の全面的な協力をいただき、イラストや写真を多く載せました。イラストは高名な石原ヒロユキ氏(元化学防護隊長・1等陸佐)が担当してくださいました。
第2部では、現用の火砲、FH70や99式自走榴弾砲、19式装輪自走榴弾砲、12式地対艦ミサイルを現場の隊員の皆さんの声とともに紹介しました。また、現在では退役した特科装備、火砲やレーダー、通信機器なども調べました。
第3部は野戦特科の歴史の一部をふり返ります。陸上自衛隊発足以来の装備、教育、訓練の変遷などについて解説しました。富士学校特科部編の『日本砲兵史』(原書房・1980年)の記述を参考にしています。元富士学校長陸将、井上武氏にもお世話をかけ、陸自野戦砲兵部隊の将来展望についても紙数を費やしました。
軍事技術に詳しい方々ばかりではなく、砲兵について関心のある方には基本知識とともに、軍事技術の進歩の現状についても理解でき、満足していただけると期待しています。
『自衛隊砲兵─火力戦闘の主役、野戦特科部隊』
荒木肇(著)
発行:並木書房
発売日 :2025/5/16
単行本(ソフトカバー):A5判256ページ
寸法:21 x 15 x 1.4 cm
定価:2420円
※予約受付中!
▼対戦車ミサイルの開発
木元将補の『道北戦争1979』の前後には、新しい装備が次々と開発されていました。水際でソ連軍戦車や、上陸用舟艇を迎え撃つためのミサイルが通称「重マット」といわれた新しい世代の誘導弾です。師団にあった師団長直轄の対戦車隊が装備し、それまでの有線誘導の64式マットより威力の大きいものでした。
対戦車ミサイルの元祖といえば、フランスで1956年に制式化されたSS10です。これは第2次大戦でドイツ軍の戦車に蹂躙された経験からきたものでしょう。陸戦の王者といわれる戦車を射止めるには命中精度と破壊能力の2つが要求されます。戦車の速度はなかなかに速く、現在でも総合火力演習などでその機動を見ると、あんなに速いのかと驚く方が多くおられます。
「戦車には戦車を」と言われてきました。確かに動く相手を求めて、自分が射撃に最適な位置に移動し、射撃し、たとえ撃ち返されても被害を受けないというのは戦車ならではです。この戦車砲以外の対戦車火砲は「待ち伏せ」による射撃ですが、戦車が射程に入ってこない限りは対戦車射撃になりません。
しかも対戦車射撃は直接射撃(眼で見て撃つ)ですから、低伸弾道のガン(加農)が向いています。第2次大戦では高初速で、発射速度が高い対戦車砲(わが国では速射砲)や高射砲がそれに充てられていました。ドイツ軍による88ミリ高射砲の水平射撃は連合軍戦車にとっては大きな脅威でした。
▼第1世代から第2世代に
SS10の有効射程は400~1500メートルです。その初速は66メートル/秒で、最大速度は85メートル/秒でした。1958年に開発されたSS11は、それが有効射程500~2000メートルに伸び、初速も85メートル/秒、最大速度も190メートル/秒となりました。もっとも10はジープに車載し、11は戦闘車両に搭載ということで、ミサイル重量と発射機、照準装置の重量の合計は10が167キログラム、11は210キロとなっています。
続いて1961年には有効射程がやはり2000メートルのエンダックが開発されました。これもジープに搭載された歩兵が使う対戦車ミサイルです。英国も同じ頃にビジラント(63年制式)、西ドイツは60年にコブラを装備し、ソ連は64年にサガ―を制式化しました。このサガ―は有効射程3000メートル、最大速度は120メートル/秒でした。
これらはいずれも、眼鏡で目視し続ける照準手が操縦桿(ジョイスティック)で命中まで操作し続ける必要がありました。ミサイルからは細いラインが延びます。欠点は操作員が発見されると銃砲撃を受けてしまいます。命中まで、敵からは安全な場所で操縦する必要があったのです。
▼第2世代の対戦車ミサイル
フランスではSS10が制式化されておよそ18年後の1974年に第2世代のミランが登場します。前世代のミサイルが目視・手動誘導だったのに、新世代はIR半自動誘導となりました。照準手が照準装置内の眼鏡で、目標を照準しさえすれば、照準装置の赤外線探知機が飛行中のミサイル尾部の赤外光源を自動追尾して、観目線(かんもくせん・照準線)との偏位角を検出します。それをゼロにするために送信機と誘導ワイヤを通じて操舵信号をミサイルへ送りました。
ミランは最大有効射程2000メートル、最大速度200メートル/秒、ミサイル重量7キログラム、発射機重量5キログラム、照準装置16キログラムと、まさに歩兵が容易に携行できるものでした。米国も73年にはドラゴン、トウというミサイルが採用されます。トウ・ミサイルは戦闘車両やヘリコプターに搭載される3750メートルという長射程を誇りました。
▼重マット(79式対舟艇・対戦車ミサイル)
わが国も第1世代の64式マットの後継を開発します。川崎重工業では研究開発に約10年をかけました。64年度から74年度にかけての、手動から半自動への克服はたいへんな苦労でした。システムは発射機1型、2型、照準架、照準器、通信器で構成されます。ミサイルの本体は全長157センチ、胴体直径は15センチ、重量は33キログラム、コンテナに収められていて、総重量は42キロです。トウ・ミサイルより重くなったのは、目標が戦車だけではなく、小型の上陸用舟艇まで想定したからです。
対戦車用とだけ考えれば、弾頭はHEATだけで済みますが、対舟艇となるとHE弾も使えねばなりません。1発の命中弾で、撃沈もしくは大破とするには炸薬量を増やすことになります。結果として総重量は大きなものになりました。
64と比べて大きな改善となったのは、射手と発射機(ランチャー)が50メートルほど離すことができるようになったことです。射手の位置の秘匿が容易になります。発射はブースターで加速され、フィン(翼)が展張して、サスティナーで飛翔が続けられます。秒速200メートルのミサイルの制御は、ミサイル後部のキセノン・ランプから出るIRビームをセンサーが捕捉し、照準線に合致するようワイヤを通じて行われました。また対舟艇用には近接信管も併用されて、対人、対戦車破壊も可能になっています。
次はいよいよ2.5世代といわれた87式対戦車誘導弾を解説します。
(つづく)
荒木肇(あらきはじめ)
1951(昭和26)年、東京生まれ。横浜国立大学大学院教育学修士課程を修了。専攻は日本近代教育制度史、日露戦後から昭和戦前期までの学校教育と軍隊教育制度を追究している。陸上自衛隊との関わりが深く、陸自衛生科の協力を得て「脚気と軍隊」、武器科も同じく「日本軍はこんな兵器で戦った」を、警務科とともに「自衛隊警務隊逮捕術」を上梓した(いずれも並木書房刊)。陸軍将校と陸自退職幹部の親睦・研修団体「陸修偕行会」機関誌「偕行」にも軍事史に関する記事を連載している。(公益社団法人)自衛隊家族会の理事・副会長も務め、隊員と家族をつなぐ活動、隊員募集に関わる広報にも協力する。近著として『自衛隊砲兵─火力戦闘の主役、野戦特科部隊』を予定。