陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(108)自衛隊砲兵史(54) 73式装甲車
□74戦車に随伴できる装甲車
61戦車には60式装甲車が随伴しました。新型の74戦車が登場すれば、当然、それと行動を共にできる装甲車が必要です。73式装甲車は、74式戦車の開発と並行して1967(昭和42)年度から70年度にかけて開発されました。
機動性では60式装甲車を大きく超えなくてはなりません。また、当時の11人の1個分隊を全員乗せられなくてはならないのです。このため60式装甲車と比べると73式装甲車には大きな特徴がありました。
まず、73式装甲車は、防弾鋼鈑が軽合金装甲に変えられます。これは車体が大型化したのに重量の軽減を実現できました。全備重量は13.3トンです。これを4気筒空冷ディーゼル300馬力で動かします。つまりトン当たり22.6馬力となりました。74戦車は38トンの車体を720馬力で動かす、トン当たり18.9馬力です。それと比べてもずいぶん野外活動でも、その軽快さが増したというべきでしょう。
60式装甲車はトン当たり18.6馬力。73は重量が60の11.8トンから13.3トンに増えてもエンジンが強力になった分、機動性は大きく増しました。車体も全長では5.8メートル、車幅が2.8メートルと、それぞれ80センチ、40センチと大きくなったのに全高は2.4メートルから20センチも低い2.2メートルです。対機甲戦闘ばかりではなく、敵歩兵の対戦車兵器に対抗するにも高さが低いほど目標になりにくいのです。
▼周囲を射撃できる銃眼
水密化構造のために浮航性があります。NBC防護機能がつきました。また60式装甲車と比べると、73式装甲車は室内空間が70%も増えたために居住性が向上して、後部の観音開きのドアに2個、両側に4個の銃眼があります。乗員は視界は限られているものの、視察と射撃ができるようになりました。
乗員は後部兵員室に8人、前部には2人、その後ろに車長とエンジンルーム横通路に機関銃手が乗ります。武装はやはりキャリバー50(12.7ミリ)重機関銃と、前方に7.62ミリ機銃があります。重機は体を出さなくても車内からリモート・コントロールできるようになっています。
エンジンは目立たないことですが、74式戦車のそれとファミリー化されていて、これが取得の容易さにつながり、エンジンやトランスミッション系統はユニット化されています。そのために整備が容易になりました。
内地で見られにくかったのは、まず北海道の第7師団から配備が始められたからです。また、秘話もあります。当初、この装甲車は20ミリ機関砲を載せた「装甲戦闘車」にしようとした計画もありました。ところが、この砲塔と機関砲の値段だけで1億2000万円もすることが分かり、この企ては流れてしまいます。
▼7師団の虎の子89FV
観閲式などで、この砲塔をもちクローラーを響かせて走る装甲戦闘車は、しばしば戦車と間違われます。回転する砲塔と無限軌道、まさに戦車そのものです。しかし、よく見ると後部にはハッチがあり、車体には銃眼があります。この89式装甲(歩兵)戦闘車はその本来の略称MICVのIが示すようにインファントリー(歩兵)の装備なのです。ただし、自衛隊ではファイティング・ビハイクルと呼んでいます。89FVというのが略称です。
北海道の第11普通科連隊(第7師団で1個だけの普通科連隊)だけが装備し、本州では静岡県滝が原駐屯地の普通科教導連隊でしか見られません。普通科教導連隊はその名称通り、富士学校で教育にあたる任務をもち、陸自普通科の装備はみな持っているためです。
1980年代(昭和50年代後半)には対戦車ミサイル戦闘もできる歩兵戦闘車が各国で開発される様になりました。口径20ミリから35ミリの大口径自動火器をもち、敵の対戦車ミサイル陣地やMICVを制圧することを目的としました。
アメリカ陸軍のM2ブラッドレーは25ミリ、ソ連のBMP11は30ミリの自動カノンを装備しています。陸自の89FVはスイス・エリコン社のKDE35ミリ機関砲を採用しました。
この砲は87式自走高射機関砲(第7師団の第7高射特科連隊が装備しています)やL90高射機関砲と同じもので、発射速度を落としたものです。撃ちだされるAPDS-T弾なら初速は1385メートル/秒というもので、距離1000メートルなら60°の角度では40ミリの装甲板を撃ち抜きます。また砲塔の左右には79式対舟艇対戦車ミサイル(通称重マット)を載せています。
こうした装備を北海道に置くということは、木元将補の『道北戦争1979』にあるような事態が起きるであろうということからです。乗員は車内から外を射撃できます。ただし、問題はその価格でした。当時、74式戦車が3億8000万円、73式装甲車は1億3000万円、そうして89FVは5億8000万円だったといわれます。主力戦車より高価な世界最強の歩兵戦闘車でした。
全備重量は26.5トン、エンジン出力は600馬力です。つまりトン当たり約21馬力という戦車同様、最高速度も70キロ/時というもので、戦車兵の中には「こりゃ、戦車だよ」と言ったくらいでした。
(つづく)
荒木肇(あらきはじめ)
1951(昭和26)年、東京生まれ。横浜国立大学大学院教育学修士課程を修了。専攻は日本近代教育制度史、日露戦後から昭和戦前期までの学校教育と軍隊教育制度を追究している。陸上自衛隊との関わりが深く、陸自衛生科の協力を得て「脚気と軍隊」、武器科も同じく「日本軍はこんな兵器で戦った」を、警務科とともに「自衛隊警務隊逮捕術」を上梓した(いずれも並木書房刊)。陸軍将校と陸自退職幹部の親睦・研修団体「陸修偕行会」機関誌「偕行」にも軍事史に関する記事を連載している。(公益社団法人)自衛隊家族会の理事・副会長も務め、隊員と家族をつなぐ活動、隊員募集に関わる広報にも協力する。