陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(89) 自衛隊砲兵史(35) 反撃
□ご挨拶
ロシアによるウクライナ侵攻から、ほぼ1000日になります。背景も含め、複雑すぎる状況、さまざまな立場に立った解説もありますが、戦争そのものを調べ、考える機会にもなっているのも確かです。新しい兵器が使われて、その効果の検証もあり、それでも伝統的な火砲や戦車も使われています。
自分で判断する、これが何より正しいのですが、それ以前の情報の質がどうなのか、少しも分からないというのが実際ではないでしょうか。いよいよ1979年の戦いが変わってきます。
今週も木元寛明元将補の著作『道北戦争1979』をもとに話を進めます。
▼総監罷免と文民統制
首相は、北方総監に戦闘をいつまで続けるかを尋ねます。当然、侵攻したソ連軍が降服するか、無条件で完全撤退を約束するかまでであると総監は答えました。ソ連の言うとおり、現状で停戦することには反対と言明します。すると、首相は切り札を口にしました。停戦に反対するなら総監を罷免し、停戦に同意する者を新たに総監に任命すると言うのです。
まったくこのあたりのやり取りはリアルな描写だと思います。
総監は言い放ちました。どうぞ、そうしてください、ただしソ連に有利な条件で停戦するということを国民に、あなたが説明できるかどうかです。その自信があるなら戦闘司令官たる自分を罷免するがいい。ただし、その場合、わたしは総理の命令を無視して、戦闘を継続します。最高指揮官たるあなたが、ソ連側に立って行動するなら、抗命といわれようがクーデターといわれようが、わたしは侵攻したソ連軍を徹底的に攻撃します。
総監の爆弾発言を聞いて、首相は思わず戦前の軍部による政治支配を思い出しました。すぐにシビリアン・コントロールを持ち出します。ところが、総監は日本政府に真のシビリアン・コントロールがあるかと反論しました。自衛隊最高指揮官として、ミリタリーを満足させられるリーダーシップがあなたにあるのかと言うのです。
まったく総監の言うことは正論です。シビリアン・コントロールの形態や意味は、欧米各国でもその歴史を背負って多様なものになります。わが国のように、自衛隊、国家の武力を統制することだけがそれだと考えている政治家や国民は、実は世界的には珍しいのです。武官の人事のみならず、作戦や部隊移動に至るまで、背広組が権限を持っているなどという状況は、実に敗戦後の自虐趣味に陥った結果でしかありません。
政府の決定に従うのがシビリアン・コントロールだろうと首相は言います。ここが問題なのです。政府の決定が正しければという条件が付くと総監は答えます。いかなる犠牲を払っても国家の尊厳を守るという意思がある者だけが総理大臣となるべきですというのが総監の本音でした。現場を見ろ、最前線の実情を掴め、ソ連の脅しに乗るな、国民に苦しい中で共に闘い抜こうと呼びかけるのはあなたの仕事なのだと言うのです。
▼13日の夕方、作戦司令部にて
停戦交渉に有利な状況をつくり出す、そのためにも全般作戦計画を1日、前倒しにするよう総監は決心した。
第3期は、7師団及び戦車団の一部でオホーツク海正面(天北峠・咲来峠)から突出し、鬼志別演習場付近を奪回する。朝鮮戦争のスレッジ&ハンマー作戦を参考にして、幌別付近でソ連侵攻部隊を阻止・拘束(スレッジ)し、オホーツク海正面に突進する部隊をハンマーとする。
続く第4期はスレッジ&ハンマー作戦が完成した後に、内地から北転してきた師団等の総力を挙げて最終決戦を行ない、国土を完全に回復する。侵攻したソ連軍が、無条件で国外に撤退することに同意すれば、最終決戦を行なわない場合がある。中途半端な政治的な妥協は拒否して、あくまで国土・主権の完全回復を目指す。
第3期の作戦発起は15日の予定だったが、総監は第7師団と戦車団の集結が完了している現状と政治状況を考慮して、14日早朝から反撃を開始することになりました。名寄駐屯地に司令部を置いた第7師団長に総監は直接指示を与えます。戦車団の第3戦車群と102装甲輸送隊を第7師団に配属する命令はすでに出してありました。
第3期の狙いは2つありました。1つ目は浜頓別・枝幸地区の解放です。この正面に侵攻したソ連軍増強自動車化狙撃連隊は、すでに攻勢に出る戦力は失っていました。第7師団の攻撃は容易に成功するでしょう。しかし、住民に被害が直接及ぶような戦闘は極力避けて、ソ連軍部隊を海上へ、もしくは地上経由で宗谷岬方面に押しだすようにします。
解放したあとは戦場掃除を行なわねばなりません。戦死者の収容、装備の回収、交通網の回復などを速やかに行なって、民生の安定を図ることが重要です。警備隊区をもつ第2師団、なかんずく第25連隊に地区警備を命じて、方面隊直轄の施設部隊、衛生部隊等を派遣して警備隊を支援します。
2つ目のねらいは、鬼志別演習場付近に進出して、日本海正面に侵攻した敵を包囲、または分断する態勢をつくることです。浜頓別・枝幸方面の解放後に、装甲車化した普通科連隊、戦車群、自走砲連隊など第7師団の特性を生かしてオホーツク海沿いに北上し、鬼志別演習場付近に一気に進出させることになります。
この際には空自の戦闘機によるエア・カバーによって、地上部隊の安全を確保します。このことは北方総監から空自総隊司令官に申し入れ済みで、総隊司令官は全面的な協力を行なう約束ができていました。
オホーツク海正面の攻勢を容易にするために、幌別戦線に74式戦車74輌で構成される第2戦車群を投入することにもなります。同時に占領されている利尻島、礼文島の飛行場を空自の戦闘機によって爆撃し、状況次第で第1空挺団を両島に降下させて侵攻軍のヘリコプター支援基地を壊滅させます。
次回はいよいよ攻撃発起の準備ができた自衛隊の様子です。
(つづく)
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。自衛隊家族会副会長。著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか-安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『東日本大震災と自衛隊—自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器で戦った』『自衛隊警務隊逮捕術』(並木書房)がある。