陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(88)自衛隊砲兵史(33) 国家の尊厳とは

□ご挨拶

 いよいよ立冬も過ぎて、冬が近づいてきました。それにしても気温の乱高下があって、それへの適応に体力を使わされる日が多い気がします。

 先日は所用あって奈良を訪れさせていただきました。平城宮の朱雀門や大極殿の復元を見たかったのです。広大な敷地の中に立派な朱雀門と殿舎、さらに復元作業中の門がありました。1300年あまりの時を超えた景色でした。

 幸い天気に恵まれ、その夜は旧知の方々と久しぶりの懇親ができました。話題は過去、現在、未来へと盛り上がり、とても幸せな気持ちに包まれました。人との関係は何よりの財産だと実感させられた時間でした。

▼日本という国家の尊厳

今週も木元寛明元将補の著作『道北戦争1979』をもとに話を進めます。

 首相は「これ以上の犠牲は防がねばならない」という思いを、現地司令官である北方総監に伝えます。それに対して、総監は次のように答えました。ここは木元将補の書かれた通り引用します。

 「ソ連から一方的に侵略され、国土の一部を占領されたまま、相手の言いなりに戦争をやめると、日本という国家の尊厳がどこにありますか? ソ連軍の侵略に対してわが国は全力を挙げて対応していますか? 国力が尽きてもう戦争が遂行できないというまでやりましたか?(『道北戦争1979』光人社NF文庫、197ページ)」。

 首相は反論します。「しかし、これ以上戦争を続けると、さらに多くの地域がソ連に占領され、国民や自衛隊の犠牲も増えるのではないか?」

 総監は主張を続けます。

「戦争を続けると、当然、犠牲者は増えるでしょう。しかし、国土、国民、主権を守ることが最高指揮官としての総理の責任ではないでしょうか? 犠牲者が出ることを国民にきちんと話し、国民に協力を要請し、侵攻したソ連軍を追い落とすまで、最高指揮官たる総理が先頭に立って戦うべきではないでしょうか?」

 すると、首相は尋ねます。「自衛隊にこれ以上戦う余力はありますか?」そう聞かれて総監は答えました。「十分あります。これまで戦っているのは第2師団、第7師団、北部方面隊直轄部隊と航空自衛隊の一部だけですよ。陸海空自衛隊の大半はまだ動いていません」

 陸上幕僚監部や防衛部を通じて首相官邸には情報をあげてはいましたが、首相の頭の中では、何も整理されていないと総監は感じました。そこで、7月4日からの状況の推移を簡単に説明し、これまでは受け身の防勢作戦であり、これからは本格的な反撃に入ると強調します。

 すると、軍事に疎い首相は心配するのです。「自衛隊が本格的に動くと、ソ連との全面戦争になるのではないか?」と言います。しかし、全面戦争をソ連が考えているのなら当初からそうした動きに出るでしょう。ソ連の狙いは稚内港が欲しかったのです。軍隊を道北に侵攻させて、わが国を脅かせば稚内港は簡単に手に入ると思っていたのでしょう。そして、軍事に素人の首相や外相、官僚たちは策略に屈しようとしています。

 ここに「制限戦争」という政治と軍事の境界があいまいな現代戦争の特質を、政治家たちは少しも考えていないことが明らかになりました。軍事を学ぼうと思ったこともないのでしょう。平和は祈れば手に入れられる、何があっても話し合いで解決できる。命を守るためなら相手の理不尽さにも耐えるべきだ、何よりも自衛戦争さえ否定するなら軍事などは価値がないものであり、決しては触れてはいけないものと考えてきたのです。

現にいま、わたしたちの周りにも、国家の尊厳を守る覚悟のない、勉強もしていない国会議員がどれほど多いことか。ある論者に至っては、戦争になったら抵抗せずに降伏すればよいなどという能天気なことを語ります。

すでに中国は、台湾有事において、わが国を日干しにすると脅迫しています。つまり、台湾周辺を交戦海域とし、わが国のシーレーンを潰してみせるというのです。それに対して、自分はどう考えているかを与野党の議員達はしっかり発信しているでしょうか。

▼首相の迷い

 これは外相から、外務省から入ってきた話と違うと首相は思いました。たしか自衛隊は負けているばかりで、ソ連軍はいよいよ大攻勢を考えているのではないでしょうか。外相や外務省の人たちは、ソ連大使や武官たちにそうした情報を渡され、素人の悲しさからそれを鵜呑みにしてしまったのです。

 総監は指摘します。そうした情報はソ連側からのものではないか。首相は何とかそれを否定しますが、総監は情勢判断と方面隊の攻勢意図を説明します。

 ソ連の地上軍は、ほぼ3個師団が侵攻していました。その兵站支援は膨大なものになります。ソ連本土から長距離の海上補給が必要です。そのため稚内港が大きな価値を持っています。ところが、稚内港を見下ろすノシャップ岬は26連隊が確保を続け、港内への砲撃を行なっていました。大攻勢どころか、弾薬も十分に補給されず、ソ連軍の攻撃力は低下の一途をたどっています。

 首相はようやく実態の一部を理解し、それでもソ連軍の増援があり、ノシャップ岬を制圧するのではないかと疑いを見せます。

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陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(88)

自衛隊砲兵史(33) 国家の尊厳とは

荒木 肇

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□ご挨拶

 いよいよ立冬も過ぎて、冬が近づいてきました。それにしても気温の乱高下があって、それへの適応に体力を使わされる日が多い気がします。

 先日は所用あって奈良を訪れさせていただきました。平城宮の朱雀門や大極殿の復元を見たかったのです。広大な敷地の中に立派な朱雀門と殿舎、さらに復元作業中の門がありました。1300年あまりの時を超えた景色でした。

 幸い天気に恵まれ、その夜は旧知の方々と久しぶりの懇親ができました。話題は過去、現在、未来へと盛り上がり、とても幸せな気持ちに包まれました。人との関係は何よりの財産だと実感させられた時間でした。

▼日本という国家の尊厳

今週も木元寛明元将補の著作『道北戦争1979』をもとに話を進めます。

 首相は「これ以上の犠牲は防がねばならない」という思いを、現地司令官である北方総監に伝えます。それに対して、総監は次のように答えました。ここは木元将補の書かれた通り引用します。

 「ソ連から一方的に侵略され、国土の一部を占領されたまま、相手の言いなりに戦争をやめると、日本という国家の尊厳がどこにありますか? ソ連軍の侵略に対してわが国は全力を挙げて対応していますか? 国力が尽きてもう戦争が遂行できないというまでやりましたか?(『道北戦争1979』光人社NF文庫、197ページ)」。

 首相は反論します。「しかし、これ以上戦争を続けると、さらに多くの地域がソ連に占領され、国民や自衛隊の犠牲も増えるのではないか?」

 総監は主張を続けます。


「戦争を続けると、当然、犠牲者は増えるでしょう。しかし、国土、国民、主権を守ることが最高指揮官としての総理の責任ではないでしょうか? 犠牲者が出ることを国民にきちんと話し、国民に協力を要請し、侵攻したソ連軍を追い落とすまで、最高指揮官たる総理が先頭に立って戦うべきではないでしょうか?」

 すると、首相は尋ねます。「自衛隊にこれ以上戦う余力はありますか?」そう聞かれて総監は答えました。「十分あります。これまで戦っているのは第2師団、第7師団、北部方面隊直轄部隊と航空自衛隊の一部だけですよ。陸海空自衛隊の大半はまだ動いていません」

 陸上幕僚監部や防衛部を通じて首相官邸には情報をあげてはいましたが、首相の頭の中では、何も整理されていないと総監は感じました。そこで、7月4日からの状況の推移を簡単に説明し、これまでは受け身の防勢作戦であり、これからは本格的な反撃に入ると強調します。

 すると、軍事に疎い首相は心配するのです。「自衛隊が本格的に動くと、ソ連との全面戦争になるのではないか?」と言います。しかし、全面戦争をソ連が考えているのなら当初からそうした動きに出るでしょう。ソ連の狙いは稚内港が欲しかったのです。軍隊を道北に侵攻させて、わが国を脅かせば稚内港は簡単に手に入ると思っていたのでしょう。そして、軍事に素人の首相や外相、官僚たちは策略に屈しようとしています。

 ここに「制限戦争」という政治と軍事の境界があいまいな現代戦争の特質を、政治家たちは少しも考えていないことが明らかになりました。軍事を学ぼうと思ったこともないのでしょう。平和は祈れば手に入れられる、何があっても話し合いで解決できる。命を守るためなら相手の理不尽さにも耐えるべきだ、何よりも自衛戦争さえ否定するなら軍事などは価値がないものであり、決しては触れてはいけないものと考えてきたのです。

現にいま、わたしたちの周りにも、国家の尊厳を守る覚悟のない、勉強もしていない国会議員がどれほど多いことか。ある論者に至っては、戦争になったら抵抗せずに降伏すればよいなどという能天気なことを語ります。

すでに中国は、台湾有事において、わが国を日干しにすると脅迫しています。つまり、台湾周辺を交戦海域とし、わが国のシーレーンを潰してみせるというのです。それに対して、自分はどう考えているかを与野党の議員達はしっかり発信しているでしょうか。

▼首相の迷い

 これは外相から、外務省から入ってきた話と違うと首相は思いました。たしか自衛隊は負けているばかりで、ソ連軍はいよいよ大攻勢を考えているのではないでしょうか。外相や外務省の人たちは、ソ連大使や武官たちにそうした情報を渡され、素人の悲しさからそれを鵜呑みにしてしまったのです。

 総監は指摘します。そうした情報はソ連側からのものではないか。首相は何とかそれを否定しますが、総監は情勢判断と方面隊の攻勢意図を説明します。

 ソ連の地上軍は、ほぼ3個師団が侵攻していました。その兵站支援は膨大なものになります。ソ連本土から長距離の海上補給が必要です。そのため稚内港が大きな価値を持っています。ところが、稚内港を見下ろすノシャップ岬は26連隊が確保を続け、港内への砲撃を行なっていました。大攻勢どころか、弾薬も十分に補給されず、ソ連軍の攻撃力は低下の一途をたどっています。

 首相はようやく実態の一部を理解し、それでもソ連軍の増援があり、ノシャップ岬を制圧するのではないかと疑いを見せます。

 そこで総監はさらに進言しました。その場合は、海上自衛隊、航空自衛隊の全力を投入して新たなソ連軍の侵攻を叩くべきだと言うのです。なぜならソ連の制限戦争の範囲は北海道北部でしょうが、わが国の制限戦争はソ連本土には手を出さないということです。そうなると、日本国内には聖域がありません。

 現在の政策では、ようやく海外の敵基地への攻撃能力が入手できるようになりました。もっとも、憲法9条を信仰のように守りたい方々にとっては、それも帝国主義的侵攻の準備に映るようです。日本に手を出したら痛い目に遭う、合理的に考えたらとても武力侵攻は無理だと相手に思わせることが抑止力の構成になるのですが。 

 総監は最高指揮官たる首相に強いリーダーシップの発揮を希望します。

(つづく)

荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。自衛隊家族会副会長。著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか-安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『東日本大震災と自衛隊—自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器で戦った』『自衛隊警務隊逮捕術』(並木書房)がある。

 現在の政策では、ようやく海外の敵基地への攻撃能力が入手できるようになりました。もっとも、憲法9条を信仰のように守りたい方々にとっては、それも帝国主義的侵攻の準備に映るようです。日本に手を出したら痛い目に遭う、合理的に考えたらとても武力侵攻は無理だと相手に思わせることが抑止力の構成になるのですが。 

 総監は最高指揮官たる首相に強いリーダーシップの発揮を希望します。(つづく)