陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(86)自衛隊砲兵史(32) ソ連大使の恫喝

□船舶工兵の再来か

 「にほんばれ」というフネの名前を聞かれましたか。新聞にも載っていました。陸上自衛隊が自衛隊海上輸送群という名前の部隊を新編します。それを構成する「小型級船舶」の名前です。広島県尾道市で進水した様子の写真を見ると、船首には両側に大きく開きそうな扉があります。そのサイドには番号(4151)が記入されています。海上自衛隊の輸送(揚陸)艦のように、そこから車輌などを出せるのでしょうか。

 台湾や尖閣諸島での有事に備え、主に沖縄本島から石垣島や宮古島のような、比較的大きな離島に部隊や車輌、物資を迅速に運ぶ役割を担うそうです(産経新聞・10月30日)。今回のフネは全長80メートル、輸送能力は数百トンとのことで、来年の3月には今回の小型級と、より大きい中型級の2隻と防衛大臣直轄部隊として新編されるとのこと。

 さて、昔の日本陸軍にも船舶工兵という名称の陸軍兵種がありました。独自の揚陸用船舶をもち、戦闘艇も開発し、陸軍機を海上輸送し、輸送用の潜水艦まで陸軍が保有したのです。徴用した御用船とも異なる、陸軍の「船舶」でした。それもこれも、当時の海軍には陸軍の上陸作戦や兵站輸送を支援するゆとりがなかったことからです。

 今回も陸自の輸送科隊員たちが海自の学校で運用や航海術を学んでいました。それにしても「にほんばれ」とは何とも不思議な名称です。友人のユーモリストの自衛官OBからは2番艦は「あっぱれ」、3番艦は「がんばれ」じゃないのかという言葉があり、周囲の大きな笑いを取りました。

 部外者の、事情を詳しく知らない人間のたわごとですが、船尾には日章旗を立てるのでしょう。伝統の「丸」ではなく、どなたがどういう意図で、どんな経緯で平仮名「にほんばれ」という「船名」を付けたのでしょうか、不思議です。

▼ソ連大使の恫喝

今週も木元寛明元陸将補の著作『道北戦争1979』をもとに話を進めます。

 「旭川も風前の灯(ともしび)だ」というソ連大使の恫喝に、軍事に疎い外務大臣も、外務省官僚の人々もすっかり度肝を抜かれてしまいます。もともと外務省は自衛官には冷たい組織でした。おそらく大東亜戦争前の陸海軍省のやり方に腹を立てていたのでしょう。戦前の陸海軍は、それこそ軍事については外務省に相談することもなく、独自の武官電報を使って本国と情報のやり取りをしていました。いわゆる統帥権に関わることだから、文官の外務省人にくちばしを挟むことなど許さなかったのです。

 おかげで、自衛隊が発足し、国際関係の必要から「駐在武官」を設けることになっても、外務省の序列の中に現役自衛官を組み込むようにしました。多くが1佐(大佐)の陸海空自衛官は外務省に出向し、「防衛駐在官」という1等書記官の身分を与えられます。アタッシェ(駐在武官)は世界中どこの国でも重んじられ、1等書記官より高い地位にありますが、わが外務省は意図的に自衛官に低い処遇を与えているのです。

 さて、ソ連大使と武官からの話、しかも停戦すれば軍隊を撤収し、占領地をすぐに返還するというウソを信じてしまいます。それどころかそのためには何か特別な条件はあるのかなどと、相手の手に乗る態度を見せてしまいました。大使は言います。宗谷海峡の自由航行の権利が欲しい、また稚内周辺を一時的に租借させるのが条件になる。しかも、善隣友好条約を結ぼうと言うのです。

 租借は期限を切ってのことかと反問する外務大臣、次官に、大使は当然のことだと胸を張りました。停戦すれば、上陸した侵攻軍が大損害を出すことを避けられます。そうしたことも分からない大臣も次官も、官僚たちもすっかり良い話に乗ってしまいました。欧州局長もロシア課長も軍事的知識がないために、すっかり騙されてしまいます。

 しかも外務大臣は与党の大物で、これを機会に政府内で主導権を握るようにしたいと思ったのです。すぐに大使に具体的な停戦日時を聞いてしまいます。大使はしめたと思いました。2日間の余裕をもって15日の午前零時を指定しました。

▼政治は軍事に優先するか

 ソ連武官も喜びます。これ以上の損害を出さずに済むし、戦果を最大限に活用できると内心ではほくそ笑んでいます。しかし、同時に心配もしていました。日本の政府、官僚たちは、現に戦っている軍隊(自衛隊)に停戦を強制できるかということです。大使も同じでした。政府が軍を完全にコントロールできるかどうか、そこに今回の成果がかかっています。

 その点に関しては、わが国の政治家は楽天家と言っていいでしょう。シビリアン・コントロールという不思議な呪文を唱えていて、総理大臣が最高指揮官であるから、停戦命令もすぐに出せる、そうすれば自衛隊は直ちに「撃ち方やめ」となると思い込んでいます。

 あきれた記憶があります。過去の民主党政権で、当時の菅総理は「なってみて初めて総理が自衛隊の最高指揮官だったことを初めて知った」と記者たちに語りました。あれほど自衛隊の存在に反対しながら、自分が政権を握って初めてその最高指揮官が自分だったことに気付いたというのです。

 停戦協定それ自体は国家間の外交案件になりますが、停戦するかどうかは正確に自他の現状をつかみ、作戦司令官(北方総監)の同意を得ることが基本となります。もし、頭越しに命令を下すなら、司令官を納得させるだけの客観的な理由を明示できなくてはなりません。

 13日の午後には、ソ連の外務大臣が宣伝戦・思想戦の一環として諸外国のマスコミを集めて、「日本側から停戦の申し入れがあった」と発表します。同時に、国際連合でもソ連軍が優勢なので、日本側が折れてきたと偏った情報を提供しました。また、停戦を監視する部隊の編成を始めるという「噂」も流します。

 次回はいよいよ政府の迷走の様子を木元将補は描かれます。

(つづく)

荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。自衛隊家族会副会長。著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか-安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『東日本大震災と自衛隊—自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器で戦った』『自衛隊警務隊逮捕術』(並木書房)がある。