陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(85)自衛隊砲兵史(31) 巧妙なソ連外交──停戦交渉の呼びかけ

□総選挙終わる

 ただいま月曜日の朝です。ほぼ結果が出ました。まったく予想通りと言うべきか、自由民主党は大幅に議席を減らし、公明党も驚きの結果です。野田元首相が率いる立憲民主党が大躍進、国民民主党も4倍の増加となりました。この結果、これからしばらく内外に大きな波紋が起きるでしょう。

石破さんが「善人」だからだめだったのだという論評に、なるほどとも思いました。政治家はほどほどに「悪人」でなければならない、そういった論旨でした。確かに、彼なりの義理や人情の重視があるのでしょう。ただし、言うことはすぐに変えるし、一貫性もないという石破首相はどのように舵取りができるのでしょうか。この後のさまざまな出来事が心配でもあり、興味も持っています。

▼陸自新戦力到着

今週も元自衛官・木元寛明氏の著作『道北戦争1979』をもとに話を進めます。

 陸上に太い兵站線を築くことは大変です。しかも複雑な地形をもつわが国のこと、それを利用した妨害に悩まされます。7月12日頃がソ連軍の衝力のピークになると予想されました。新たな戦力を道北地区に上陸させるか、補充人員、装備品類、補給品などで侵攻部隊を早急に再編成することがソ連軍にとっては必須です。

 ソ連軍は、稚内、天塩、オホーツク海の3方向から外線的に戦力を集中して、音威子府(おといねっぷ)周辺を奪取するのが目標でした。これを分進合撃(ぶんしん・ごうげき)といいます。分かれて進撃することで相手に十分な対応を取らせず、目標地点で合流し、決戦を強いる作戦です。

 ところが、陸自第2師団の抵抗や、地理の不案内、機械化部隊の戦力発揮には適さない地形、兵站支援の困難などで目標の達成は難しくなってきました。ノシャップ岬に拠点を占領する第26普連は健在です。ソ連艦船の稚内港の使用を妨害し、侵攻部隊への兵站支援に大きな影響を与えています。ソ連空軍機の空襲にも反撃し、携帯地対空ミサイルで敵機を数機撃墜しました。

 一方、幌延地区では激戦が続いています。

 恵庭から鉄道で第1戦車群の74式戦車74輌が道北にやってきました。群はただちに第2師団に配属されます。これまでの戦闘で第7戦車大隊の1個中隊、第2戦車大隊の2個中隊はすでに全車輌が破壊されていました。それだけに第1戦車群の戦闘加入は大歓迎されます。

 作戦司令官(北部方面総監)は攻勢に移ろうとしました。第7師団主力、戦車団(第2戦車群、第3戦車群、102装甲輸送隊)は名寄(なよろ)・士別(しべつ)地区に集結し、14日以降には新たな作戦を発起できます。内地から北転中の第8師団、富士教導団は道央・道東から上陸し、17日頃には戦力発揮の態勢がとれます。

▼シビリアンと戦争

 日ソ両軍の戦力集中競争は7月12日頃に両軍の戦力が拮抗し、以降は日本側に優勢が移ります。この状況は、東京のシビリアンにはどう映るでしょうか。軍事的な知識も経験もない政治家や官僚諸氏には、道北全体が占領されるような態勢に見えたかも知れません。

 ソ連はこれまでの軍事的成果をアピールして、稚内港の租借などを行ない、政治的な成果を得ようとするでしょう。わが政府は事態の主導権を取り戻して、非難の高まるシビリアンコントロールの喪失という状況を脱したいと焦っています。対して、第一線部隊は奇襲を受けての当初の防戦作戦から、「ソ連兵を海に追い落とす」ともいうべく攻勢作戦を展開し、侵攻部隊を撃破する意欲が十分でした。

 これ以上、侵攻は望めない、そう判断したソ連、そこは巧妙です。13日早朝の国連がスポンサーになっているテレビ番組で、ソ連の外務次官が両軍を引き離し停戦交渉を始めようと呼びかけます。そろそろソ連軍の衝力が涸渇し、自衛隊の戦力がますます増強されそうなタイミングです。したたかで虫のよい提案をしてきました。

 実は、この日の前の12日夜には、在日ソ連大使と陸軍大佐の駐在武官が、都内にある外務省公館で、わが外務大臣、外務事務次官、欧州局長、ロシア課長と密かに会合を持ちました。ソ連側からの申し入れで、和平について提案したいという意向でした。麻布狸穴(まみあな)にあるソ連大使館は警視庁機動隊によって守られていましたが、暮夜になって警視庁の護衛車輌に守られて大使館を出ます。

 公館に着くと、用意された部屋でソ連大使は武官に地図を出し、日本側高官に見せるように言いました。外務省の日本人に軍事的な知識や見識がないことを見越しているのです。そうした知識や情報をもつ防衛庁の関係者は招かれていません。

 示されたのは75万分の1の「北海道地方図」です。そこにはソ連軍の進出状況が標示されていました。それを見ると、ソ連軍は佐久~天北峠~咲来峠まで進出し、音威子府を間もなく奪取してしまうように描かれています。

 ソ連大使はわが外務大臣を恫喝しました。ソ連軍は近日中に大攻勢をかけて、名寄から士別へ進撃し、旭川も陥れて、上川平野を占領する予定であると言うのです。しかも、そうなれば北海道の住民にも大きな被害が出ると述べました。

 軍事の素人には、兵站線の重要性や戦術のことも分かりません。何より、戦闘がどのように行なわれているのかなど想像もつきません。政治家も外務省の役人も、軍事には素人であると自覚するなら、専門家である防衛庁の陸上幕僚監部防衛部長や運用課長を同席させるべきでした。

 次回は、巧みなソ連の外交に振り回される政府、官僚たちの動きです。

(つづく)

荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。自衛隊家族会副会長。著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか-安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『東日本大震災と自衛隊—自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器で戦った』『自衛隊警務隊逮捕術』(並木書房)がある。