陸軍砲兵史-明治建軍から自衛隊砲兵まで(79) 自衛隊砲兵史(25) 文民統制とは?

□本格的仮想戦記の描く当時の日本

 木元寛明元陸将補はこの11日間の、つまり1979(昭和54)年7月4日のソ連軍着上陸から始まり、同15日午前零時に終わる「戦争」について書かれました。その動機は前年の5月から8月に週刊誌に連載された記事が元になったそうです。その当時は市ヶ谷にあった幹部学校指揮幕僚課程(CGSC)の学生であられました。

 以下は「あとがき」に書かれた内容をまとめています。週刊誌の記事では第2師団の作戦計画にはリアリティがあったということです。木元3佐は学生の課程を終えると、1979年の7月に上富良野(かみふらの)駐屯地に赴任します。「ソ連軍の北海道侵攻はあり得る」という緊張感で着任された3佐は週刊誌の記事や、当時多く描かれた小説に次のような疑問を抱かれたそうです。

 まず、ソ連軍はほんとうに描かれたように強いのか。国内では自衛隊だけで戦うのは出来ないのではないか、そして、かなりの売り上げをとった架空戦記にあるように、政治がトップダウンで停戦を決めた場合、現地軍はそれに自動的に従うのだろうかということだったそうです。つまり日本的な文民統制は、リアルな戦争という有事には機能しないのではないかということになります。

▼ソ連地上軍は強かったのか?

 当時のソ連軍は中部ヨーロッパで対峙するNATO(北太平洋条約)軍を対象として編成・装備・運用を定めていました。木元氏はソ連軍自動車化狙撃師団と陸自の第2師団を比較してソ連軍の戦力が圧倒的優位にあるとされています。それは編制表を見てみれば一目瞭然です。しかし、戦争になったら自衛隊は完膚なきまでに叩かれて終わりという当時の架空戦記に疑問を呈示されます。

 もし、ソ連の地上軍が欧州大陸で戦ったら、その兵站線は保証されるでしょう。戦域軍→方面軍→軍→師団といった後方連絡線の充実が予想されます。ところが、そのソ連軍がわが国に侵攻する場合、海上兵站線を維持し、端末の補給基地としての港湾が必要となるでしょう。自動車化狙撃師団が自前の兵器・人員・兵站物資で戦えるのは1週間から10日間ほどに過ぎないということです。

 わが国の地形も戦況に影響します。欧州の大平原では得意の機動戦を展開できるソ連軍も、複雑な地形を特徴とするわが国では機動戦は望むべくもありません。いくら強力な編成・装備があろうとも、兵站がスムースに機能しなければ「身の丈に合わない」戦闘を強いられることは明らかです。

▼文民統制の問題

 本質的な懸念があったと木元氏は言います。戦争状態になったとき、現場で直接作戦し、血まみれの戦場で戦う部隊・指揮官を、政治(シビリアン)が本当にコントロールできるのでしょうか。

 フィクションの世界では、政府が作戦司令官の同意が無しに一方的にソ連と停戦協定を結びます。総理大臣は直ちに即時停戦を命令し、防衛庁長官以下シビリアンがそれに服従し、現地部隊に停戦を命じました。

 けれど、政治家がポリティコ・ミリタリー(政治軍事学)を学ばず、平時の政治感覚で事態に向かうと、政局だのなんだと言うことではなく、作戦部隊指揮官による「抗命」も起きるかもしれません。

 ここはいまの自民党総裁選もわたしが話題にさせていただきます。防衛大臣も経験したある候補は、自衛隊の中に災害派遣部隊を常設すると言われました。この方、実態がおわかりなのでしょうか? 予備自衛官を活用するなどと・・・妄言を語られますが、防衛大臣という指揮官だったのに、実態を見えているのに見ていないか、あるいは意図的なかく乱なのか分かりません。

 予備自衛官とは、部隊が出動した後に招集され後方を担う、年間5日間しか訓練をされない方々です。即応予備自衛官の方々だって、企業に協力金が支払われ、年間30日の訓練を受けるというレベルのはずですが、招集されてコア部隊の定員化を図る制度でしょう。まさに政治軍事学どころか、常識的な軍事制度にも疎い方ではないかと思います。

▼鉄の女サッチャーの決断

 1981(昭和56)年のフォークランド紛争を覚えておられますか。アルゼンチン軍のフォークランド諸島への侵攻に対して、英国のサッチャー政権は見事な戦争指導を見せてくれました。すでに歴史の分野に入るので敢えて申し上げますが、あれはどうみてもアルゼンチンの一方的な、乱暴な実力行使でした。英国はただちに戦時内閣を立ちあげて、「非常時対処計画(しかも準備が十分になされていた)に基づき、政軍が一体となって終始主動的に行動しました。領土・国民(定住していた民間人と守備隊)・主権の保全という「国家の尊厳」を守り抜きます。

 「話し合いをしろ」、「戦争反対」、「平和は大切だ」、そうした雑音などを一切切り捨てて、サッチャーは防衛のための戦争を指導しました。出撃する英国艦隊、「二度と還らぬ」という決意を示す錨鎖の切断、軍楽隊による「ハーツ オブ オーク」の演奏、歓呼する国民とそれに応える登舷礼の乗員たち・・・今も記憶に残ります。

 アルゼンチンの巡洋艦が英国潜水艦に撃沈されました。海兵隊によるアルゼンチン軍陣地への銃剣突撃、アルゼンチン軍のフランス製空対艦ミサイルが英国駆逐艦に命中し大火災を起こし、これまでの上部構造のアルミ製が見直されたこと、救助された艦長のインタビュー、救援ヘリに乗り込み撃墜され救助された王族の話題、などなどがいまも網膜に焼き付いているほどです。

 こうまでもして国土や国民、主権を守るのが政治だろうと思います。(つづく)

荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。自衛隊家族会副会長。著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか-安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『東日本大震災と自衛隊—自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器で戦った』『自衛隊警務隊逮捕術』(並木書房)がある。