特別紹介 防衛省の秘蔵映像(26) ルワンダ派遣と阪神・淡路大震災(1)─平成6年映像─

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自衛隊警務隊逮捕術

…警務隊長は語る。「我々警務官は平素の暮らしの中で規律違反や、犯罪への対応をしているが、今やその平素が有事に近い。…相手にする犯罪者、犯行形態は多様である。そうした事態に立ち向かえる意欲と能力を持った人材がこれからますます必要になる」〈本文より〉







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 1994(平成6)年の映像紹介
https://www.youtube.com/watch?v=WQTZQU1VOC4

 

 

はじめに

 

 そろそろ30年の昔になってきました。一世代です。まだ当事者の方々がいっぱいおられる時代です。科学的な、冷静な歴史の領域にはならないでしょう。

 

 ルワンダ難民支援の派遣部隊長、神本光伸(かみもと・みつのぶ)1等陸佐(当時)やその部下におられて、実際に現地で活動した方々からも直にお話をいただいたこともあります(1994年9月に派遣)。

 

また、阪神・淡路大震災(1995年1月)で現場の救援の最高指揮官だった中部方面総監松島悠佐(まつしま・ゆうすけ)陸将からも直にお教えを受けました。

 

 この平成6年は、連立政権の首班は当時の社会党党首村山富市(むらやま・とみいち)氏でした。わたしは決して「後出しジャンケン」は好きではありません。過去のことを語り合う時に、今だからこそ言えることは実際に多いのです。いや、すべてだと言ってもいいでしょう。絶対に負けない位置に立つ、結果を知っている側が当事者に下す批判は、後出しのジャンケンのようなものです。

 

 この年7月、村山首相は「自衛隊が合憲であり、日米同盟による安全保障は堅持する」と施政方針演説を出しました。わたしなどは、ああ何十年にもわたり、実務に就くこともなく政権与党の批判だけをしてきた人たちも、さすがに現実を突きつけられて腰が抜けたんだなと思ったものです。

 

 それでも、村山首相の阪神・淡路大震災での政権の不手際をつかれた質問に、「なにぶん、初めてのことじゃったから」という弁明は許せるものではありませんでした。

 

 

地震が起きた

 

 平成7(1995)年1月17日、午前5時46分。巨大地震が起きました。中部方面総監官舎は地震で崩れた阪急電車伊丹(いたみ)駅から北へ2キロのところにあります。中部方面総監松島陸将は寝巻のまま、官舎の庭に飛びだしました。昭和の初めに建てられた官舎はいまにも崩れそうでした。

 

 電話も不通、6時20分ごろ、防衛課長が部下の私有車で駆けつけてきました。発生当時、総監部の作戦室で運用当直についていたのはT2佐とN3佐でした。自衛隊の部隊にはどこでも、休日・夜間を問うことなく部隊ごとに当直が置かれています。

 

中でもこの運用当直は、通常の当直以外に陸上幕僚監部、方面総監部、師団司令部には、非常時の司令部活動が速やかにできるように置かれているものです。

 

 方面総監部運用当直の長はY防衛部長です。地震発生と同時に動き始めたのは、この運用当直の人たちでした。情報収集・連絡確保のツールは防衛マイクロ回線です。隊員たちも続々と官舎や自宅から集まってきました。

 

6時10分には陸上幕僚監部運用当直に第一報を送ります。Y防衛部長は総監官舎に電話をしますが、つながらない。そこで防衛課長にただちに官舎に行かせるようにしたのです。総監部内には情報所、指揮所が開設されました。6時30分、総監の命令のもと中部方面隊全部隊は非常勤務態勢に入りました。

 

近傍災害派遣態勢

 

 第3師団長の官舎は総監官舎から500メートルほど離れたところにありました。第3師団は兵庫県を含む近畿2府4県の警備責任をもっています。師団長は総監と同じく被害を受けましたが、幸い6時ころに司令部に電話がつながりました。総監部と同じように司令部内は片付けられ、司令部勤務員も6時ころから続々と登庁してきます。

 

 師団第3部長、師団の運用、つまり作戦を担当する幕僚です。管内の被害状況をつかむために県庁や県警本部と連絡を取ろうとします。県庁との間には防災無線がありましたが、それが通じません。NTTも通じません。

 

 6時35分、伊丹警察署から連絡が入ります。阪急伊丹駅が倒壊し、派出所が潰れて警察官が埋まってしまったというのです。そこで伊丹に駐屯する第36普通科連隊に近傍災害派遣として対応することにします。

 

 第36普通科連隊は歩兵です。重装備はありませんが、隊員はすでに出動準備を整えていました。6時42分、偵察班が出ます。およそ3キロ離れた阪急伊丹駅に急行しました。

 

 6時50分、2台の偵察オートバイが現場に到着します。警察官は瓦礫の中に埋まっていました。人手と土工具が必要と偵察員は判断し、無線で状況を連隊本部に報告します。K連隊長はただちに第1中隊長に出動を命じました。シャベル、斧、ジャッキ、ロープ等をトラックなどに積んで7時35分、中隊長以下42名が現場に向かいます。1名の警察官は殉職されていましたが、もう1名の方は救助されました。これが自衛隊の人命救助の第1号になりました。

 

人命救助優先だ!

 

 西宮市民から救助の要請が届きます。市民病院が倒壊し・・・ともいう。しかし、西宮は駐屯地の伊丹市に隣接する10キロも離れたところです。駐屯地の近傍で災害が発生したら直ちに対応できます。県知事からの災害派遣要請がなくても連隊長は部下に出動を命じることができるのです。

 

 問題は、近傍の被害状況でした。10キロも離れた他市に出かけて、その間に、伊丹市内で緊急事態が起きていたら大変です。しかし、人命救助が何より先だと連隊長は決心し、8時30分に重迫撃砲中隊60人が西宮に出動します。この中隊は移動中に土砂崩れの現場があり、市民30数名が生き埋めになっているとの情報を得ました。

 

 11時25分、連隊長は第2中隊と対戦車中隊を土砂崩れ現場に送ります。この日、ここまでで、西宮市に206名が出動し、6人を救出し、29体の遺体を収容しました。昼頃には芦屋市からも被害通報が出ます。連隊長の決心は正しく、「近傍」とはいえない地域までも県知事の要請もないままに出動し、人命救助に励んだのです。

 

都市直下型地震ではみな被災者

 

 自治体も警察も消防も被害者でした。神戸市の災害・警備を担当するのは、姫路市にあった第3特科(砲兵)連隊です。神戸には海上自衛隊の阪神基地隊という掃海艇をもった180人ほどの部隊がいるだけです。陸上自衛隊の実動部隊は神戸市にはおりません。

 

 

 姫路駐屯地は震度4でしたが、連隊は相応計画にのっとって6時50分、飛行勤務態勢に移行しました。神戸の被害状況、移動経路の状況を把握しなくてはなりません。ところが、県の防災課に連絡が取れません。防災無線も県庁との間で通じないのです。当然、NTTも役に立ちません。

 

 7時30分に県庁との連絡班を出しますが、道路の渋滞がひどく、到着は午後になる始末でした。8時10分にようやく県庁の防災係長と電話が通じます。被害状況を知りたいという警備幹部の問い合わせに係長は分からないをくり返すばかりでした。まるで『藪の中』のような話ですが、後になって係長は「いずれ災害派遣をお願いすることになります」と言ったと証言するが、警備幹部N3尉は聞いていないといいます。自衛官はこうしたときには大変慎重です。しかもN3尉は通話の責任者です。おそらく係長は動転していたこともあり、災害派遣のことなど言わなかったのでしょう。

 

パトカーの先導で進む

 

 姫路から神戸までは約50キロ。ふつうなら1時間あまりで着く道のりですが、神戸に向かう多くの車で道がふさがれ、見通しがつきません。H特科連隊長はパトカーの先導が必要と考えて姫路警察署に派遣を依頼します。パトカー1台が駆けつけますが、連隊の車輌が約50台、それを見て警察官はさらに1台のパトカーの増派を本署に要請しました。

 

 自衛隊は災害派遣に出動しても、警察のように交通規制をする権限がありません。そこでパトカーの先導が必要になります。連隊は9時には出動準備を完了し、待機していましたが県知事の災害派遣要請とパトカーがまだ来ません。

 

 県庁との電話はまた不通になり、10時ころにつながります。連隊の警備幹部は「この電話で災害派遣要請と考えていいでしょうか」と確認します。それに対して、県の防災係長は「よろしく」と答え、10時14分、長田署と兵庫署のパトカーが到着します。部隊はようやく出発します。

 

自治体も市民も自衛隊を知らなかった

 

 松島総監は言われました。「自治体との協同や被災された方々への生活救援活動を通じて、自治体も市民も自衛隊のことをあまり知らないことをあらためて知りました」

 

 自衛隊の活動はうまくいって当たり前。少しのミスでも批判、非難が大きな声で報道されるのはいつものことです。この阪神・淡路の大震災でも、地震が起きた当初から「自衛隊が出遅れた」という自衛隊叩きの報道がありました。わたしなどはテレビのニュースキャスターがしたり顔で語る「だから自衛隊はだめだ」などという非難を聞きながら、いやむしろ当事者の自治体は批判されないのかと不思議でした。

 

 でもよく考えてみれば、多くの自治体職員は組合を作っており、放送界にも組合はあります。その組合はたいていが反権力、反自衛隊の政治運動を行なっており、組合同士がミスを指摘し合うことはないのです。現在の地方公務員の方々の組合はどうか知りませんが。

 

 松島総監はご自分の著書の中で、「大震災に限らず、国の非常事態には自衛隊の活躍が期待されるし、また当然それが自衛隊の任務でもあり、出来る限りの努力をしなければならないが、だからこそ、自衛隊の実情、特にその能力と限界をよく理解してもらわなければならない」(『阪神大震災自衛隊かく戦えり』時事通信社・1996年・あとがき)と書かれています。

 

 映像の中には多くのリアルな活動ぶりが紹介されています。

 

 次回は、映像の中の、ルワンダ難民救援活動についてお知らせします。

 

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(令和三年(2021年)8月4日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊『日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊警務隊逮捕術』((並木書房)がある。







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