特別紹介 防衛省の秘蔵映像(24) カンボディアへ施設大隊の派遣─平成4年映像─

荒木肇さんの最新刊

自衛隊警務隊逮捕術

…警務隊長は語る。「我々警務官は平素の暮らしの中で規律違反や、犯罪への対応をしているが、今やその平素が有事に近い。…相手にする犯罪者、犯行形態は多様である。そうした事態に立ち向かえる意欲と能力を持った人材がこれからますます必要になる」〈本文より〉







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1992(平成4)年の映像紹介
https://www.youtube.com/watch?v=22fz6uxzW_w

 

はじめに

 

 防衛省は今年の3月、「女性職員活躍とワークライフバランス(WLB)推進のための取組み計画」を発表しました。令和3年度以降の実施目標が盛り込まれています。

 

 2030(令和12)年度を目途に、全部の自衛官の中の女性自衛官の割合を現在の7%から12%以上にするそうです。また、男性職員(防衛省職員です)の育児休業取得率も現在の約5%から25(令和7)年度までに30%に引き上げるように数値目標を揚げています。

 

 女性事務官等の採用に関しては、「防衛省専門職員」と「国家公務員採用職員」の全体の35%以上に設定するということです。女性自衛官(階級をもち、制服を着る)の割合を30(令和12)年度までに女性の割合を12%にするために、今年度以降の採用者のうち現在の16.1%から17%に引き上げるといいます。

 

 これは新採用隊員を約1万2000人とすると、これまでの1930人から2040人に増やすということですね。

 

 1992(平成4)年の映像には、いきなり妙齢の女性が「公務員です。週休2日制です。婦人自衛官です」と登場し、帽子をかぶって敬礼し、「平和を愛する人を待っています」と締めくくるシーンが現われます。前年には若い女性自衛官がころころ笑いながら上官に敬礼もせずにすれ違う様子がありました。女性にとって働きやすい場だと訴えたかったのでしょうか。

 

 この平成4年度は、陸海空それぞれに活躍する女性が出てきます。陸は看護官、空は基地の除雪作業で大型ローダーを動かす隊員、海は女性パイロット候補生でした。

 

 

国際連合平和維持活動への参加

 

 「国際平和協力法(略称)」が6月に野党の猛反対の中に成立しました。映像を見ても国会の野党議席には誰もおりません。テレビでは盛んに「戦争につながる」、「海外への派兵は9条を無視する暴挙だ」という声が流されました。中には「現地の人は日本軍に警戒心をもっている。絶対に危険だ」というマスコミ人もいたのです。

 

 指揮官は1954(昭和29)年生まれ、防衛大学校第21期卒業、当時は第4施設団本部におられました。指名されて、第1次派遣施設大隊の指揮官になったのです。その活躍や、褒貶(ほうへん・ほめたりけなしたりすること)は今でも各種出版物やネットで見ることができます。報道されたすべては「確かに自分であっても、決して自分ではない」と渡邊さんは語ってくれました。

 

 外務省の職員も、文民警察官も不幸にして殉職されます。しかし、自衛官たちは誰も襲われたり、危害を加えられたりしませんでした。黙々と橋を架け、道路を補修し、カンボディアの人たちと手を振り合う、そんな映像を見ることができます。

 

帰ってきた要塞砲兵―88式地対艦ミサイル連隊

 

 明治以来、砲兵は野山砲(やさんぽう)兵と重砲兵に分かれました。野砲も山砲も口径75ミリの砲弾を撃ちました。野砲は野戦砲のことで、馬で挽きます。山砲は分解して馬の背に載せたり、人がかついだりして山道も進むことができました。対して、10センチ以上の口径をもつ重砲は内地の軍港や海峡を守るために要塞に固定されていました。

 

 口径の大きな加農(カノン)や榴弾砲が野戦に出るようになったのは日露戦争からでした。その背景には、大口径の野戦砲が必要だという信念をもった児玉源太郎の主導があったそうです(長南政義『児玉源太郎』2019年、作品社)。

 

 そのため重砲兵も要塞砲兵と野戦砲兵に専門が分かれるようになりました。戦後の自衛隊には要塞がなかったために、敵勢力が着上陸する前に海上で叩くためには203ミリや155ミリの大口径加農(陸自ではGUNといいます)・榴弾砲を装備しました。

 

 

 陸上自衛隊が長射程の地対艦ミサイルを富士総合火力演習で公開したのは1988(昭和63)年のことでした。もともと航空自衛隊の80式ASM−1(空対艦ミサイル)を元にしたものです。フォークランド紛争で名をあげたフランス製エグゾセ・ミサイルや、アメリカ海軍や海自のハープーン対艦ミサイルより優れているといわれていました。

 

 映像には北千歳駐屯地で編成完結を行なう第1地対艦ミサイル連隊の様子が見えます。海岸線から100キロメートル以上も離れた山間部に隠れます。施設科の坑道掘削機はそのために開発されました。北海道の大雪山系に陣地を構えて、有効射程150キロメートル。日本海、オホーツク海、太平洋のどの正面でも射程に収めることができました。

 

 SSM−1(地対艦)ミサイルは本体が全長4メートル、これに発射時には1メートルの長さの個体ロケット・ブースターが付きます。ターボジェットで地上ぎりぎりの高度で山間部を巡航します。地形を縫うように海岸線まで飛び、ここからはアクティブ・レーダー・ホーミングに切り換えて目標を識別、追尾し、最後には突入寸前にポップ・アップ(急上昇)して命中します。

 

 この後、北部方面隊には第2(美唄)、第3地対艦ミサイル連隊(上富良野)が編成されてゆきます。

 

90式戦車もデビュー

 

 総合火力演習には90式戦車が初めてお目見えです。そのナレーションが「きゅうじゅっしきせんしゃです」と聞こえます。「え!キューマルじゃないの?」と驚く人もいますが、90を「きゅうまる」と呼ぶのは自衛隊部内での通称です。あくまでも制式名は「きゅうじっしき」もしくは「きゅうじゅっしき」になります。

 

 ちなみに名称は制式化された年の西洋年号で表します。明治・大正の頃は元号の年式をいいました。明治30年なら「さんじゅうねんしき」、大正14年なら「じゅうよねんしき」となったのです。昭和に入ると紀元年号を使い、97式は紀元2597年制式、つまり昭和12(西暦1937)年に制式化された兵器・装備になります。

 

 自衛隊は西暦を使うことにしました。62式機関銃は1962(昭和37)年、61式戦車はその前年でした。同じように74式戦車は1974年に制式化されました。

 

 この90式戦車はいわゆる戦後第3世代に属します。第1世代が61式、つづいて第2世代の74式、そうして90式です。戦車砲の口径も90ミリ、105ミリ、120ミリと増えて、車体重量も35トンから38トン、そうして50トンとなりました。同時にエンジンの馬力も順に570馬力、720馬力、90式は1500馬力ですから機動力がどんどん向上したことも分かります。

 

 90式は砲弾の自動装?装置をつけました。また焼尽式の薬莢を採用したため、装?手がいなくなったのです。戦車といえば狭い車内に撃ち殻の細長い薬莢がカラーンと落ちて、戦闘の合間にはそれを捨てていたような覚えがあります。戦車はそれまで61式、74式には乗員が4人いました。車長、砲手、操縦手、それに装?手です。戦車砲弾はラックに入ったり、砲塔のゴンドラの下部に格納されたりしていましたから、装?手が車長の指示で弾種を確かめて出していました。それが自動で砲尾に挿入されるので、省人化されたわけです。

 

 これは定員がなかなか充足されない戦車隊にとっては良いことのようですが、困ったこともありました。戦車は整備も調整も修理も乗員がまず行ないます。それまで4人でやっていたことを3人でやらなければならなくなりました。

 

また、若い乗員は装?手として経験を積み、資格を取って操縦手になったのです。その経験をもとに砲手になり、指揮官である車長になりました。装?手として学んだことは多かったといいます。

 

優れ物の高機動車

 

 73式小型トラック、わたしたちがジープと呼んでいた小型車輌があります。もともとは人員や弾薬を何でも運ぶ、そして106ミリ無反動砲や64式MATなども積みました。その他に人員輸送を主とする2トン積みの中型トラックがあります。

 

 

 これらを統合するような、アメリカ軍のハマー(あるいはハンヴィー)のような、普通科1個班(歩兵10人)が乗れる機動力のある車輛が要求されました。93年度予算で調達が始まりましたが、何年式という制式名はありません。

 

 プレスフレームに鋼板のボディで、ボンネットはグラスファイバー製です。後部のキャビンはキャンバス張りのソフトトップになります。サイズは全長4.91メートル、幅は広くて2.15メートル、高さは2.09メートル、重量は2.44トン。エンジンの排気量は約4リットル、インタークーラー・ターボチャージド・ディーゼルで150馬力です。フルタイムの4輪駆動、4輪操舵で旋回半径は6メートルと機動力が高く、タイヤも操縦席から空気圧を調整できます。フラットな道路では高く、不整地では低くすることで機動性を確保しています。

 

 操縦席、中央席、指揮官席と3人が乗れて、後方の兵員室は4人用のベンチシートが両側にあり8人が座れます。

 

 次回は大きな軍縮の波が、誰も気づかないうちに近づいてくる平成5年の映像です。

 

 

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(令和三年(2021年)7月21日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊『日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊警務隊逮捕術』((並木書房)がある。







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