特別紹介 防衛省の秘蔵映像(22) ソ連の脅威の削除とイラク軍のクウェート侵攻─平成2年映像─

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自衛隊警務隊逮捕術

…警務隊長は語る。「我々警務官は平素の暮らしの中で規律違反や、犯罪への対応をしているが、今やその平素が有事に近い。…相手にする犯罪者、犯行形態は多様である。そうした事態に立ち向かえる意欲と能力を持った人材がこれからますます必要になる」〈本文より〉







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1990(平成2)年の映像紹介
https://www.youtube.com/watch?v=HBLBkDekfPI

 

 

はじめに

 

 平成2年の防衛白書の記述から「極東ソ連軍の脅威」がなくなりました。冷戦後の緊張緩和の対話の始まりの時代ともいわれます。しかし、防衛整備の計画はやめるわけにも行きません。陸上自衛隊は新しい戦車のデビューが間近に迫ります。90(キュウマル)式戦車です。

 

その戦車の開発に歩調を合わせて89式装甲戦闘車、87式自走高射機関砲、87式高射機関砲、87式対戦車誘導弾(中マット)、施設科器材でも91式戦車橋、92式浮橋(ふきょう)、92式地雷原処理車などが続々と完成します。他にも89式新小銃もこの時代ですね。

 

航空自衛隊はF-15イーグルの取得を着々と続け、築城(ついき)基地にもF-4から改編された戦闘機部隊が編成されました。地対空誘導弾ペトリオットも高射群に配備されます。

 

海上自衛隊では補給艦「ときわ」が就役しました。護衛艦「せんだい」も進水し、第3世代といわれる新型潜水艦「はるしお」が就役し、初めての音響測定艦「ひびき」も生まれます。

 

補給艦「ときわ」

 

 海上自衛隊は昭和32(1957)年の計画艦、「はまな(411)」をただ1隻の補給艦としてもっていました。ただし、艦種分類記号ではAO、つまり給油を主とする艦です。もちろん、糧食や真水の補給もできましたが、船型や構造は当時の小型タンカーに準じたものでした。基準排水量は2900トンでしかなく、機関はディーゼルで1軸推進(スクリューは1個)です。給油用のデリックは4基のはずでしたが、長い間2基しかついていませんでした。

 

 やっと大型のAOEが竣工したのは昭和54(1979)年のことです。「さがみ(421)」といいます。海自の命名基準が補給艦は「湖水」ですから、東海の浜名湖についで首都圏の相模湖から採られました。弾薬、糧食、修理部品などの補給も行なえます。排水量も5000トン、全長146メートルの堂々たる姿です。後甲板にはヘリコプターの発着甲板を備え、補給用ポストからはミサイル、弾薬、糧食を艦内の弾庫や、倉庫、冷蔵庫などから艦内移送装置やフォークリフトなどを使って相手艦に移します。給油は艦船用の燃料の他にジェット燃料のJP-5も可能です。

 

 つづいて、この平成2年には「ときわ」、第2代「はまな」が竣工します。もともと59年度計画で「とわだ(422)」が建造されました。62(1987)年竣工の「とわだ」は「さがみ」の拡大改良型でしょう。排水量は8100トンと増え、「ときわ(423)」と「はまな(424)」は8150トンです。全長は167メートル、速力も22ノットも出せます。

 

 こうして、海自は護衛艦隊の4つの護衛隊群にそれぞれ1隻の補給艦を随伴(ずいはん)できるようになりました。

 

音響測定艦「ひびき(AOS-5201)」と「はりま」

 

「海や湾」の名前という基準で生まれた艦名、「響灘」と「播磨灘」から付けられました。海中のあらゆる情報を収集する小水線面積双胴船型(SWATHといいます)で船体が2つになり、それをつなぐ上部構造物があるという珍しい艦容です。

 

 波浪による揺れを少なくし、復元性能の悪化を防ぎ、甲板面積を広く取れます。基準排水量は2850トン、全長は67メートル、幅は29.9メートルもあります。

 

 潜水艦の能力が向上し、その静粛性は大きく高まりました。海中の潜水艦を探すには、ソナー(音響測定儀)を使いますが、水温の違いや、水流、海底地形などがその正確さを大きく左右します。そこで日頃から多くのデータを集める必要があるのです。装備はアメリカ海軍のSARTASSというシステムを載せています。

 

 これは1.8キロメートル(つまり1海里)のケーブルの先に長さ5キロメートルのソーナー・アレイを結びつけ、時速3ノット(約5.6キロメートル)の低速で曳航する。数百キロメートル先の潜水艦の動きを追うことができます。

 

 ディーゼルエンジンを4基、交流電動機2基をもち、いわゆるディーゼル・エレクトリック推進で出力は3000馬力です。速力は11ノット(約20.4キロメートル)までだせて、ヘリの発着もできます。乗員は40名で、長期間の単独行動が普通で、居住性には大きな配慮をしているそうです。

 

第3世代の潜水艦「はるしお」

 

 平成2(1990)年11月30日に、潜水艦「はるしお(SS-583)」が竣工しました。海上自衛隊では、初めてティア・ドロップ・ハル(涙滴型)を採用した潜水艦を「うずしお」型といいました。昭和46(1971)年に竣工した「うずしお(SS-566)」はその始まりです。

 

よく知られているように、第2次世界大戦型の潜水艦は水上航行が主でしたから、その姿もそれにふさわしいものでした。

 

 

 国産初めての潜水艦は昭和31(1956)年計画の「おやしお(SS-511)」です。水中での高速発揮をねらった艦型でした。基準排水量は1130トン、速力は水中19ノット(約35キロメートル)、浮上しての水上速力は13ノット(約24キロメートル)でした。昭和37(1962)年に竣工します。

 

 つづいてのタイプは小型になりました。「はやしお(521)」、「わかしお(522)」といいます。主に水上艦による対潜水艦行動訓練の標的艦として企画されました。排水量も750トンで、水中では14ノット(約26キロメートル)を出し、全長は59メートルです。同じように35年度計画艦として「なつしお(523)」、「ふゆしお(524)」が生まれます。

 

 そうして第1次防衛力整備計画(1次防)の最後の年、35(1960)年度艦です。排水量1600トン、全長88メートル、水中速力18ノット(約33キロメートル)を発揮し、魚雷発射管6門(対艦船用)、短魚雷発射管2門(対潜水艦用)を備えた「おおしお(561)」が1965(昭和40)年に竣工します。ただし、まだ水上航行能力も大事にしていたといわれます。

 

 第1世代最後の艦が「あさしお」型でした。38(1963)年度計画艦で4隻が建造されます。懐かしいので艦名をあげましょう。「あさしお(562)」、「はるしお(563)」、「みちしお(564)」、「あらしお(565)」です。昭和41(1966)年から毎年1隻ずつが就役して、海の護りに就きました。

 

ついに涙滴型潜水艦「うずしお」が登場

 

 昭和46(1971)年度から7隻が生まれます。それまでと異なって、スクリューが1軸となり、水中速力も20ノット(約37キロ)になりました。船型が変わっただけではなく、NS46高張力鋼の開発・採用、溶接精度や技術の確立、操縦装置の自動化、潜航深度の向上など、大きな変化がありました。排水量も1850トン、乗員も80名というものです。最終建造艦は1978(昭和53)年に竣工した「やえしお(572)」でした。

 

 これ以後、50(1975)年度計画艦「ゆうしお(573)型が10隻も整備されました。「うずしお」型の性能向上型であり、船殻材料にもNS80鋼が採用され、5番艦「なだしお(577)」から対水上艦攻撃用のハープーン・ミサイルの発射ができるようになります。この「ゆうしお」型は安全潜航深度が「うずしお」の300メートルから、450メートルになったといわれます。

 

「はるしお(583)」の画期性

 

 涙敵型の第3世代「はるしお」の登場です。水中行動能力、索敵・攻撃能力の向上がさらに図られます。当時では、非核動力の「通常型動力潜水艦」としては世界最大でした。排水量は2450トン、全長77メートル、幅10メートル、深さ10.5メートル、喫水7.7メートルにもなりました。

 

新開発のNS110高張力鋼が一部に採用され、89式魚雷、ハープーンも装備と「ゆうしお」の拡大改良型です。国産の曳航型ソーナーであるS-TASSももち、通信能力も高まっています。それはVLF(超長波)受信装置を載せたことです。水面下30メートルでも受信ができるようになりました。

 

そのうえ、艦内で生まれる騒音をできるだけ低くする、そういった工夫もされています。艦内の機器の防音や振動を軽減する対策も十分にされました。これは「ゆうしお」でも徹底されていましたが、さらに改良され、艦体を細かい空気の泡で包むというマスカ―装置も標準です。

 

人事上の改革

 

「曹候補士(そうこうほし)」という制度がとられます。これまで18歳以上の人が公募に応じて試験に合格すれば2士として採用されました。任期は一般的には陸士は2年(一部では3年)、海空士は3年です。これを任期制隊員といいました。一部の人が陸士長に昇任後に「陸・海・空曹」への試験に合格し、定年まで勤務できる曹の階級に進んだのです。

 

 ところが好景気になれば、世界中どこでも同じです。志願兵は少なくなります。自衛隊も事情は同じ。待遇面の向上は予算の制約もあって難しい。そこで、入隊してすぐに定年まで勤められる立場にして、階級面でも優遇しようとなりました。1975(昭和50)年にできたのが「一般曹候補学生」という制度でした。陸自では「曹学」、海空自では「曹候」と略称され、入隊2年後には全員が3曹となりました。

 

 3曹になれば(18歳で採用されれば20歳で)、実務4年で部内幹部候補生を受験でき、最短なら26、7歳で3等陸海空尉になります。わたしの知人にもこうしたコースを歩んだ幹部がけっこういて、「ああ、わたしは曹学4期です」という3佐もおりました。受験のきっかけも志望した国立大学に落ちたとか、私学に行くのはちょっと経済的に厳しかったという話も多く、優秀な人材も多かったと思います。

 

 服装も配慮され、陸と空は両襟に桜章をつけ、一般隊員とは区別ができました。海自では旧海軍の予科練習生のような七つボタンの短ジャケットの制服だったことを覚えています。もちろん、セーラー服ではないので帽子は下士官型でした。

 

 しかし、昭和の終わり頃には下士官志願者が少なくなり、「一般曹候補士」という制度が考えられました。略称は「補士」です。ひじの階級章の上に桜を一個つけました。これは曹学とは異なり、全員が2年後に下士官となるわけではなく、一般の任期制隊員といっしょに陸海空曹候補生の試験を受けなくてはなりませんでした。ただし、採用枠が一般隊員より大きかったので合格率は高かったといいます。

 

 現在は、曹学も補士も廃止され、統一された「曹候補生」と改められています。しかも年齢は最高で33歳にもなっています。少子化、自衛隊の魅力の低下のおかげで募集対象者を広げる必要があるからですね。自衛隊の魅力の低下などと言うと怒られるかもしれませんが、現在の憲法下では処遇も、退官後の保障も、さらには名誉も期待できず、とても普通の方にはお勧めしにくいところです。わたしの家族には自衛官がおりますが、すごいですねとは言われますが、ではうちの子もとはならないのが実態です。

 

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(令和三年(2021年)7月7日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊『日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊警務隊逮捕術』((並木書房)がある。







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