特別紹介 防衛省の秘蔵映像(12) 和と国家の独立の確保 ─昭和55年映像─

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…警務隊長は語る。「我々警務官は平素の暮らしの中で規律違反や、犯罪への対応をしているが、今やその平素が有事に近い。…相手にする犯罪者、犯行形態は多様である。そうした事態に立ち向かえる意欲と能力を持った人材がこれからますます必要になる」〈本文より〉







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昭和55年映像の紹介
https://www.youtube.com/watch?v=_WI9udbLsOA

 

 

はじめに

 

「ゼンコー フウ?(Zenko Who?)」というタイトルがアメリカの新聞に出たそうです。大平正芳首相の急死のあと、鈴木善幸氏がおおかたの予想を裏切って、自衛隊の最高指揮官になりました。予想を裏切るというよりは、庶民の印象としては彗星のような内閣総理大臣の登場です。アメリカでは、ゼンコーというのは誰だ?という反響が巻き起こったといわれます。

 

 氏は1911(明治44)年に岩手県の漁村に生まれ、中学卒業後は農林省水産講習所を卒業されました。水産講習所は後に文部省東京水産大学、現在の東京海洋大学です。その後、一貫して水産業界の専門議員として活動します。政治的な解説はまた別のこととして、とにかく、一般にはあまり知られていない方だったので驚かれました。

 

 映像には、10月26日の朝霞訓練場で行なわれた創立記念観閲式で、3万4000人の観客、5500人の参加隊員の前で訓示を述べます。「平和・国家独立の確保のために防衛力の質的充実を目指そう」。こうした決意表明でした。

 

 

基盤的防衛力構想

 

 第4次防衛力整備計画は昭和51(1976)年度に終わりました。昭和33(1958)年度からそれまで、基本的には3年間もしくは5年間を対象とする整備計画を4次にわたって実行してきました。けれども、これらの考え方や理論は抽象的なものでした。主要装備の調達の基準はあったものの、では、必要とされる防衛力の具体的な規模もはっきりしたものではなかったのです。

 

 そこで4次防の後は、わが国が平時から保有すべき防衛力の水準を明らかにし、また防衛力の在り方についての指針を新しくする必要がありました。そこで昭和51(1976)年10月、「防衛計画の大綱」が閣議決定されます。

 

 防衛庁長官は言いました。「わが国の経済は高度経済成長から安定成長に移行している」という認識のもとにこの大綱はつくられることになりました。1973(昭和48)年の第4次中東戦争によるオイルショックによる影響で終わりを告げた経済成長、それは防衛費にも財政上の配慮が大きく必要になったのです。

 

 51年大綱は「基盤的防衛力構想」の考え方の下、決定されました。この構想は、70年代に広がったデタントを背景として策定されます。デタントとは、東西両陣営の緊張緩和を指す言葉です。ソ連とアメリカは話し合いを行なうようになりました。ヨーロッパでも対話が行なわれます、

 

 そこで、当局者たちは国際情勢の安定化の努力で、東西両陣営間の全面的軍事衝突が起きる可能性が少ないと考えました。わが国の周辺では米中ソの均衡的な関係、日米安保がわが国への本格的侵略を防いでいるという認識も共有されます。そこで以下のような「基盤的防衛力」が構想されました。

 

防衛上必要な各種機能の備え
後方支援態勢を含めて、組織及び配備において均衡のとれた態勢を保有
平時において十分な警戒態勢を取りえるようにする
限定的かつ小規模な侵略のような事態に有効に対処する
情勢が変化したら、ただちに新しい態勢に移行できるようにする

 

 このとき陸上自衛官定数は18万人(予備含む)、平時配備は12個師団と2個混成団(沖縄県と四国地方)、そして機動運用部隊として戦車団が改編され第7師団(北海道千歳)が機甲師団となり、他に8個高射特科群(地対空ミサイル部隊・ホーク装備)、特科団(砲兵旅団)、空挺団、教導団(静岡県小山町)、ヘリコプター団(千葉県木更津)がありました。

 

 

 戦車は約790輌、装甲車同640輌、自走火砲同80門、作戦航空機330機(うちヘリコプターが320機)でした(4次防完成期)。

 

海自と空自は

 

 海自は対潜水艦作戦に重点をかけた編制でした。自衛艦隊の基幹は4個の護衛隊群でした。護衛艦(DD)は数隻で護衛隊を構成します。昔の海軍なら駆逐隊といわれました。隊は司令(1佐)が率い、人事・補給・教育訓練では独立性をもつ「所轄」でもあります。この護衛隊が集まると、護衛隊群となり司令は海将補です。護衛隊群は4個集まって護衛艦隊になりました。

 

 同じように、潜水艦は数隻で潜水隊を構成し6個隊でした(16隻)。掃海隊群も2個。陸上に展開する対潜哨戒機部隊も16個隊、作戦用航空機220機です。

 

 他に各地方隊所属の艦艇もありました。地方隊はわが国各地に総監部を置いています。青森県大湊(おおみなと)、神奈川県横須賀、広島県呉、京都府舞鶴、長崎県佐世保が所在地です。護衛艦隊所属の艦艇も合わせて約60隻がありました。

 

 空自の基幹部隊は航空警戒管制部隊が28個群、警戒飛行部隊1個、要撃戦闘機部隊10個隊、支援戦闘機部隊3個、航空偵察部隊1個、輸送航空部隊3個、作戦用航空機約430機でした。そして防空の要、高空防空用地対空誘導弾部隊(ナイキ・J)6個群がありました。

 

デタントの後は?

 

 80年代が始まります。海上自衛隊の映像には、なんと戦前歌謡「太平洋行進曲」が流れています。『海の民なら、男なら〜』で始まる勇壮なマーチです。そして、ソ連太平洋海軍に配備された航空巡洋艦ミンスクが哨戒機から撮影された姿を見せます。ソ連は第2次世界大戦では航空母艦が運用できず、戦後、対潜水艦航空巡洋艦というべき対潜水艦ヘリコプター搭載の軍艦を持ちました。

 

 

 その第2世代というべき、攻撃機も搭載した新しい航空巡洋艦が就役します。1975(昭和50)年には北欧州にはキエフ、そして太平洋には78年就役のミンスクが登場しました。これは本格的航空母艦の象徴というべき、斜め(艦首尾線に4.5度の角度)に飛行甲板が突き出たアングルドデッキを持っています。

 

 基準排水量は3万トン余り、全長273メートル、幅は約50メートル、蒸気タービン推進で32.5ノット(約60キロ)という高速を出しました。カタパルト(加速射出装置)もなく、スキージャンプ(離艦しやすくする傾斜)もない形ですが、垂直離着陸性能をもつYak38攻撃機の運用には十分なものでした。他にも特徴があり、艦対艦ミサイルを搭載し、対潜水艦、対水上打撃力ももつ有力な軍艦です。

 

 実は、キエフもミンスクも現在は中国が持っています。もっともどちらも本来の軍艦ではなく、テーマパークの展示物とホテルになっているそうです。

 

紛争だらけの80年

 

 1月にはソ連のアフガニスタン侵攻(79年12月)に対してアメリカのカーター大統領が、対ソ連穀物輸出削減などの経済措置をとりました。この頃、ソ連は共産党による指導・統制の失敗によって農産物生産が激減していました。

 

 同じく1月イランでは大統領選挙の結果、バニーサドルがイラン・イスラム共和国の初代大統領になり、4月にテヘランのアメリカ大使館が占拠されます。人質とされた大使館員はのちに米特殊部隊の救出作戦の失敗で多くの犠牲者を出しました。

 

 

 隣国の韓国でも光州市で民主化を求める反政府デモが激化して、戒厳軍と市民が衝突します。8月にチョン・ドゥファン(全斗煥)氏が大統領になりました。9月はイラク空軍がイランの空軍基地や空港を爆撃し、イラ・イラ戦争とマスコミが名付けた戦争が始まります。

 

防衛大学校第24期生の卒業式

 

 映像には、わが国の第1次イラク復興支援の指揮官になる番匠幸一郎学生が卒業する姿が映っています。番匠1佐は陸上要員として育ち、学生隊学生長も務めた優秀な学生でした。本科24期生として卒業、2004(平成16)年1月から、イラクに派遣された支援群の指揮官です。同期生には航空科出身の磯部晃一、野戦特科同の松尾幸弘、施設科同の田邉揮司良、需品科同櫻木正朋、普通科の武内誠一各陸将がいます。

 

 私事ながら、上に挙げた皆さんは、わたしにとって大切なお友達です。もちろん、他にも24期生は思い出が多い方々でもあります。ちなみに、高知県選出の中谷元衆議院議員も同期生です。まさか、四半世紀後には各地で陸自の最前線で、指揮官、幕僚として活躍されるとは当時、思ってもおられなかったことでしょう。臨席されているのは大平正芳首相です。

 

 防衛医科大学校の第1期生も同時に卒業しています。もともと戦前の陸軍には軍医学校がありました。しかし、そこは医師免許をもった軍医たちに軍陣医学を教育するところでした。戦後の自衛隊は、やはり自前の医師を養成する学校がなく、大学医学部を卒業した医師を採用していたのです。

 

 

 ところが、なかなか陸海空自衛隊に奉職してくれる医師が見つかりません。ようやく大学校を造ることができました。卒業式には日本医師会長武見太郎氏が祝辞を述べています。氏もまた慶応大学医学部を卒業し、陸軍軍医中尉になられた経験がありました。「新しい文化を注入していただきたい」と言われていました。

 

総合火力演習の203ミリ榴弾砲

 

 永年、陸自重砲の立役者だった203ミリ自走榴弾砲の前身、牽引式203ミリ榴弾砲M2の射撃が見られます。重量14トン、全長10メートルといった陸上自衛隊最大の火砲が実弾を撃ちます。砲身長が5100ミリもあり、昔の要塞砲、攻城砲にあたります。

 

 弾着の様子を見ると発煙するHC発煙弾だそうです。他にも加害効果をねらった黄燐火薬をいれたWP発煙弾もありました。映像で観られるのは弾底から白煙を出すHCでした。

 

 

 この砲の所属は、富士教導団特科教導隊の重砲中隊です。教導団は陸自の富士学校の教育支援にあたる部隊で、普通科教導連隊(歩兵)、特科(砲兵)、機甲科(戦車・偵察)の各教導隊を隷下に持っています。このうち、特科教導隊は1佐が指揮する部隊で、軽砲(105ミリ)、中砲(155ミリ)、重砲(203ミリ)の各中隊がありました。陸自の特科幹部(砲兵将校)の教育を支援するので、陸自の装備、すべてがあります。

 

戦力の向上

 

 邀撃(ようげき・自衛隊では要撃、あるいは迎撃という言葉を使います)任務に就くF4EJ戦闘機は空対空誘導弾を積むようになりました。もちろん、20ミリのバルカン砲には実弾を装填していましたが、この年からミサイルを積むようになります。

 

 

 また護衛艦の発射機に、実用頭部をつけた魚雷、「実装魚雷」を装填する様子が映っています。航空自衛隊の大湊に展開する第42警戒群に3次元レーダーが配備されました。3次元レーダーとは飛行体の距離、高度、方向を見ることができます。青函海峡の防空の精度がさらに高まりました。

 

 注目すべきは、3月に長崎県対馬に警備隊が置かれたことです。それまで対馬には第41普通科聯隊第4中隊が派遣されていました。緊張感が高まる中で、対馬を守る兵力は警備隊に格上げされ戦力も高まります。

 

 福岡県築城基地には第18航空団第6飛行隊が新しく装備されたF1戦闘機をもって展開しました。

 

 このようにデタントから緊張対処へと自衛隊は変化してゆきます。 

 

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(令和三年(2021年)4月21日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊『日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊警務隊逮捕術』((並木書房)がある。







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