陸軍工兵から施設科へ(2) 明治の初めはフランス式工兵

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自衛隊警務隊逮捕術

…警務隊長は語る。「我々警務官は平素の暮らしの中で規律違反や、犯罪への対応をしているが、今やその平素が有事に近い。…相手にする犯罪者、犯行形態は多様である。そうした事態に立ち向かえる意欲と能力を持った人材がこれからますます必要になる」〈本文より〉







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ご挨拶

 

 暦の上ではまだ中秋といいながら、11月下旬、12月中旬といった気温の表現が天気予報から流れてきます。コロナ禍も収まりきらないなか、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

 

 G様はじめ、全国の多くの方々、とりわけ陸上自衛隊施設科の皆さんから、温かいご声援をいただきました。ありがとうございます。今後とも、皆様に分かりやすい言葉で工兵、施設科について書いていくように心がけます。

 

 

廃藩置県と常備軍

 

 明治の初めに軍隊が建設されたとき、まず全国各地に鎮台が置かれた。外敵に備えるというより、内乱に備え、治安を守る組織として考えられたからである。廃藩置県(1871年4月)前の各藩ごとに存在した藩軍を解散させて、武器・兵器を収公し、壮兵といわれた志願兵の中から適格者を選び、改めて国家の軍人にしたのだった。

 

 

 この藩軍とは1870(明治3)年2月、常備兵として草高(くさだか)1万石について60名とされたものである。草高というのは実際の収入とは異なる。全土の生産力である農作物全部を米に換算したもので、江戸時代の「十万石」などという大名の格付けも同じだから注意しなくてはならない。加賀100万石も、仙台60万石も、藩領全土の生産高を米だけに換算したものであり、そのすべてが殿様の収入になったわけではない。

 

 つづいて、同年9月には現石(げんこく)1万石あたり60名とされた。五公五民(ごこうごみん)といわれたように、藩庁がすべてを取り上げたわけではない。ざっと見て、半分が藩のものと考えて、実収入を現石としたわけだ。そうであると、3万石などという小さな大名は現石では1万5000石。90人ほどの常備兵をもつことになった。

 

 これもまた簡単に考えてみる。およそ現石で養えるのは1石1人くらいである。つまり3万石なら封地の人口は士農工商全部で老若男女およそ3万人。この人口で1000人あたりでいえば3人にあたる。いま仮にわが自衛隊が25万人とみて、人口は1億3000万人とすれば、約0.2%である。当時の藩軍は約0.3%になるから、なかなかの負担であることが分かる。

 

 

 平時に常備軍をもつことは容易なことではない。支払う給料だけではなく、兵営の維持費、訓練にかかる費用、幹部の教育などに多くの金が必要である。だから、全国の旧大名(約260家といわれる)のうち、現石が1万石に満たない藩は常備兵を持たなくてもよいとされた。その数、およそ120余りに及んだという。

 

鎮台の始まり

 

 

 徴兵制度の施行によって、いわゆる平民(士族以外の人)も軍人にしたのはそれからである。鎮台はまず2つ置かれた。1871(明治4)年4月に東山道(とうさんどう)、西海道(さいかいどう)鎮台とそれぞれいわれた。

 

 前者は宮城県石巻(いしのまき)、福島県福島、岩手県盛岡に駐屯し、後者は福岡県小倉(こくら)、同博多(はかた)、大分県日田(ひた)に営所を開いた。すでに政府は1870年11月に各府藩県から1万石あたり5人の献上兵を出すこととしていたが、なかなかうまく行かなかった。そのため、この鎮台の主力はいずれも結局のところ佐賀藩、熊本藩などの出身兵力が中心になっていた。

 

 

 廃藩置県について歴史教科書でも触れられ、反抗する勢力への抑えとして、東京に集まる「御親兵」のことばかりが言われることが多い。しかし、実際にはこのように全国に展開されていた兵力があったのも事実である。

 

 

 廃藩直後の8月には鎮台は、大阪、東京、鎮西、東北の4つに増えた。翌年、1872(明治5)年2月には兵部省が、陸海軍2省に分離する。そうして増える兵力に充てるために本格的な徴兵が翌6年から始まることになる。

 

4つの鎮台と14の営所

 

 全国4つの鎮台には18個大隊の歩兵、約1万3000名と、砲兵、騎兵それに築造隊(のちに工兵)が約1000名の合計1万4000名がそろった。『陸軍沿革史』によると、4鎮台はそれぞれ分営(ぶんえい)を隷下に置いた。

 

 

 東京鎮台は第1分営を新潟、同2を長野県上田、同3を愛知県名古屋に、大阪鎮台は第1分営を福井県小浜、同2を愛媛県高松に、鎮西(ちんぜい)鎮台は小倉(当初は熊本)に本営があり、第1分営は広島、同2は鹿児島、東北鎮台は石巻(当分仙台)が本営、第1分営は青森にそれぞれ置いた。

 

 

 ところがこれはほとんどが歩兵である。暴動や小競り合いには歩兵だけで対処できたからだろう。

 

 1873(明治6)年1月には6個鎮台が整備された。本営は旧幕府時代の大きな城に置かれた。東京、仙台、名古屋、大阪、広島と熊本である。のちに師団になったときには、この番号順に師団名となった。仙台の第2師団、熊本の第6師団などである。鎮台所在地を含む営所の数は全国で14ヶ所だった。

 

 

 このとき、初めて編制表に工兵の名称が出てくる。当時の歩兵の編制は1個小隊60名であり、2個で1個中隊、大隊は10個小隊だから、本部員を除けば600人が1個大隊になった。

 

 

 横道にそれるが、歩兵の聯隊番号も、その後の歴史からみて興味深い。東京は3個聯隊、第1から3まで。第1聯隊は小田原、静岡、甲府に分営をもつ。同2聯隊は千葉県佐倉に本営と千葉県木更津、茨城県水戸、栃木県宇都宮に分営があった。同3聯隊は新潟に本営があり、新潟県高田と群馬県高崎に分駐した。気がつかれた方がおられるだろう。後の分営でも分かるが、旧幕府時代には比較的大きな城郭があったところだ。

 

 仙台は歩兵第4聯隊(福島、岩手県水沢、福島県会津若松)と同5聯隊(盛岡、秋田、山形)の2個。名古屋は第6(豊橋、岐阜、長野県松本)と石川県金沢の同7聯隊(石川県七尾、福井県福井)である。( )の中は分営の置かれた町である。

 

 大阪はやはり人口が多いから3個聯隊になった。大阪、兵庫、和歌山、西京を担任する歩兵第8聯隊、三重県津と福井県敦賀(つるが)を担任するのが第9聯隊、兵庫県姫路に本営があり、分営として鳥取、岡山、兵庫県豊岡をもつのが歩兵第10聯隊である。広島は島根県松江、島根県浜田、山口県山口には第11聯隊、香川県丸亀には同12聯隊、これが徳島、高知、愛媛県宇和島、高知県須崎浦に展開していた。

 

 

 熊本鎮台である。いくつかの士族反乱で名前を売った九州、この部隊配置も興味深い。大分県千歳、宮崎県飫肥(おび)、鹿児島、琉球(りゅうきゅう・後の沖縄県)を歩兵第13聯隊が担任した。福岡、長崎、對馬(つしま)は福岡県小倉に本営を置く歩兵第14聯隊である。1個歩兵聯隊は3個大隊だった。

 

 工兵は10個小隊があった。騎兵と砲兵は1個大隊といっても中隊はなく、2個小隊で240名が定員だった。歩兵が14個聯隊(42個大隊)、騎兵は3個大隊、砲兵は18個小隊、輜重は6隊(1隊の定員が60名)、これに工兵10個小隊で総兵力は3万1680名とある。

 

 

フランス式工兵の始まり

 

 1872(明治5)年のこと、静岡藩軍の士官養成のための沼津兵学校が閉鎖された。このときの生徒が66名、選ばれて上京し、教導団の工兵第1大隊に編入された。もともと、フランスは工兵と砲兵が重視され、幕末以来、徳川家はフランスから教官団を招き、フランス語の教科書を基にしていたからである。

 

 

 当初、工兵隊という名称もなく、大阪兵学寮の時代には大阪造築隊と呼ばれていた。これが5年には、4個小隊で編成された大隊に昇格した。1個小隊の兵員は40名である。ここに沼津兵学寮の生徒たちは吸収されたのだった。ただし、彼らは教導団の大隊に編入されたので、実戦部隊としての工兵大隊ではなかった。

 

 

 1873(明治6)年には、それぞれの鎮台に1個小隊の工兵を置くことになった。当初は東京鎮台のみに2個小隊、240名を配置できた。当時の任務は野戦築城と架橋だった。

 

 次回は明治7年の制度改変にもふれつつ、明治初期の算数、数学、物理学などの教育について調べてみよう。

 

 

 

 

 

 

(以下次号)

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(令和二年(2020年)10月21日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊『日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊警務隊逮捕術』((並木書房)がある。







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