自衛隊警務官(24)─陸軍憲兵から自衛隊警務官に(24) 仁川港内の戦闘

荒木肇さんの最新刊

日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想

「きわめて人間臭い、戦場の実相の一部が目の当たりに浮かぶような気がしました」(元自衛官)
「兵器装備というのは、予想戦場、兵士の知的水準、兵站補給、技術工業水準、その他もろもろの要素が絡み合って開発される・・・といった常識がとてもよく理解できました」(経済人)
日本の技術者はどんな兵器を開発し、兵士たちはどんな訓練を受け、戦ったのか?
先人への感謝と日本現代史に熱い思いを抱く、すべての人に捧げます。




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はじめに

 

 いよいよ宣言の解除がされそうです。しかし、もう以前には戻れないという見方が多いようです。仕事の仕方、通勤のこと、消費活動のこと、余暇の過ごし方など変わるのでしょうか。子供さんたちの学校生活も大きく様子が変わることでしょう。夏休みもひどく短くなりそうです。それでも個人的には性急な制度改革(9月学年始め)が行なわれることもなくなったようで安心しています。

 

旅順港夜襲

 

 からくも日本水雷艇の攻撃をかわしたコレーツはようやく入港した。すでに到着していた千代田、高千穂の横を通り、巡洋艦ワリヤーグの艦尾近くに投錨する。つづいて日本側の第4戦隊が入港し、ロシア軍艦を観察し、それが記録されている。ワリヤーグは前桁には洗濯物がひるがえり、煙突からは煙も出ていない。戦闘準備はされていないようだ。コレーツはといえば、すっかり意気が消沈しているように見えた。

 

 午後6時、陸軍は上陸の準備を始めた。当時の仁川港は沖合に船を泊め、艀(はしけ)を海岸と往復させる。陸軍の輸送船の上には、40人乗りの艀が用意されていた。その艀を次々と泛水(はんすい=浮かべること)する作業だけでも時間がかかる。

 

 その頃、旅順港東方の洋上では聯合艦隊の主力が終結していた。仁川港から西北、円島の南東約30カイリの地点である。北緯38度25分、東経122度40分、旅順港は東になる。ここから駆逐艦部隊だけが旅順港に夜襲をかける計画だった。

 

 旗艦三笠のマストに信号旗が揚がった。「駆逐隊は予定通り進撃せよ」。戦艦、巡洋艦部隊は、左16度に変針し、駆逐隊はその横を通過して北に向かう。各艦とも舷側に手空きの乗員が整列する登舷礼で別れを告げた。さらに旗艦からの信号、「一同の大成功を希望す」が出された。指揮官第1駆逐隊司令浅井大佐は、司令駆逐艦「白雲(しらくも)」から返信の信号旗で答えた。「確(たしか)に成功を期す。ご安心あれ」

 

 三笠の艦上からは期せずして「万歳!」の声があがり、各艦からも歓呼の声が続いた。駆逐隊の乗員も声を限りに歓呼に応えた。

 

「時に、海霧夕陽を鎖(とざ)し、海上波無くして航行頗(すこぶ)る平穏なり」と明治三十七八年海戦史にある。

 

日本海軍駆逐隊

 

 駆逐艦はこのころ、ひどく小型だった。もともとは「水雷艇」を駆逐する艦ということからついた名称が駆逐艦である。水雷艇というのは主に魚形水雷という自走式の兵器をもった。魚雷と略称するが、喫水線下に激突して爆発、破口を開けて、そこからの浸水で敵艦艇を沈めてしまうというものだった。排水量はおおよそ80トン前後で、全長も30メートル余り、ただし速力は当時としては20ノット(時速約37キロメートル)という高速である。

 

 大型艦からみれば小回りが利く。それを撃退するには小口径の艦砲や機関砲が有効だった。中口径や大口径の艦砲では、目標を追うことも難しかった。諸国は小口径の速射砲や、自動装?の機関砲などを対水雷艇用の武装として対抗した。

 

それでも勇敢な水雷艇乗組員は敵に接近し、魚(形水)雷を放った。世界的な偉功としては日清戦争(1894〜5年)での清帝国海軍威海衛軍港への日本水雷艇隊の夜襲があげられる(95年2月5日夜から6日未明にかけて)。

 

 しかし、いかにも小型である。そこで元々は水雷艇を駆逐する艦に魚雷を装備することになった。わが国でも1898(明治31)年から1900(明治33)年までに12隻の英国製駆逐艦が竣工した。英国のヤーロー社、ソーニクラフト社がそれぞれ6隻ずつを受注したが、その命名に特徴があった。

 

ヤーロー社製には漢字1字、ソ社製の艦には漢字2文字の名前が付けられた。「雷(いかずち)」、「電(いまづま)」、「曙(あけぼの)」、「漣(さざなみ)」、「朧(おぼろ)」、「霓(にじ)」がヤ社製。「叢雲(むらくも)」、「東雲(しののめ)」、夕霧(ゆうぎり)」、「不知火(しらぬい)」、「陽炎(かげろう)」、「薄雲(うすぐも)」がソーニクラフト社製だった。

 

詳しい方はお気づきだろうが、いまも海上自衛隊が踏襲している天候・気象・海象に関する優美な名前が付いている。もちろんすべて初代であり、二代目は大東亜戦中に勇戦力闘した由緒ある1等駆逐艦の名前ばかりである。

 

「雷」の要目をあげよう。排水量は345トン、長さ約67メートル、エンジンは蒸気レシプロ、出力は6000馬力、速力は31ノットだから時速約57キロメートル。快速である。兵装は直径45センチの魚雷発射管2門をもった。日清戦争時の水雷艇の魚雷の口径36センチの攻撃力の2倍に達した。炸薬量(爆破する火薬)は1.8倍の約90キログラムにもなった。

 

砲は6門、前後に各1門ずつの76ミリ、各舷側に2門の57ミリ砲を置いた。これらが敵の水雷艇攻撃用だった。また罐(かま)が4つあった。これから出る排煙をヤ社のものは直立した4本煙突であり、ソ社は2罐の排煙を2つにまとめて2本煙突だった。

 

また、駆逐艦長は多くが少佐であり、3〜4隻で「隊」を構成した。海軍ではこれを所轄というが、「軍艦」主に軽巡洋艦以上だが、軍艦は単艦で1所轄として人事、経理なども艦長が責任を負う。対して駆逐隊は、大佐である隊司令が所轄長になった。

 

この夜、第1、第2、第3駆逐隊は旅順に、第4、第5駆逐隊は大連に向かった。

 

仁川港内の通告

 

 9日朝、陸軍部隊の揚陸が完了した。瓜生司令官はロシア巡洋艦ワリヤーグ艦長に、次のような通告を送った。
「今や、日露両国間に交戦状態成立するを以て、本官はここに貴下に対し、1904年2月9日正午までに貴下の指揮下にある兵力を率い、仁川港を出港せられんことを請求す。もし、これに応ぜられざるに於ては、本官は同港内に於て、貴下に対し戦闘行為を採るの止むを得ざるにおよぶべし」

 

 同時に、港内に停泊するフランス、イタリア、アメリカの各国軍艦艦長に対して、この通告を通報する。ロシア軍艦が正午までに退去しない場合は、午後4時以降に港内に進入し攻撃するので、港内から退去して欲しいとも告示した。

 

 ここはのちの第2次世界大戦で、中立国ウルグアイのモンテビデオ事件を思い起こしてほしい。英国艦隊がドイツ戦艦グラーフ・シュペーを追いつめた。優勢な英国艦隊の砲撃で損傷を受けていたドイツ戦艦は中立国の港に逃げ込むしかなかった。

 

英国艦隊と政府は交戦国軍艦の保護制限を中立国ウルグアイに申し入れ、出港を強制させたのである。それを受けてドイツ艦長は無益な、結果の分かっている悲劇から乗員を救うために、港内で自沈することを選んだ。

 

 しかし、そうした中立国の権利や義務を規定した国際法規は、日露戦後の1907(明治40)年に合意された。したがって、仁川港のような事態には明確な規定がなかったのである。だから瓜生司令官も韓国当局には何の連絡もせずに、直にロシア艦長あてに通告文を渡したのだ。

 

割れる外国軍艦の反応

 

 興味深いのは列国の艦長たちの態度である。抗議文を届けてきたのは英国、仏国、伊国の3艦の艦長たちである。中立国内での交戦は国際法違反だというのだ。ではこれに参加しなかったアメリカ艦タルボットの艦長はどう考えたか。仁川港は中立国の領土であり、その中立を守るのは韓国政府の所管であり、第3国が交戦国に抗議する理由はないというのである。児島氏は、フランスの「パスカル」艦長による「互いに宣戦布告をしていない状況での不当な挑戦」という主張を、「露仏同盟」の存在することを顕示するためと解釈された。

 

 ワリヤーグの艦長は、午前9時すぎ、英国艦上での仏、伊両国艦長との会議で、依頼を行う。3カ国の軍艦に「中立国である清国領海線まで同行して欲しい」という内容である。
「冗談ではない」と3カ国の艦長は一斉に首を横に振った。交戦国の一方の軍艦を、中立国の軍艦が護衛するなど、他の交戦国(日本)への敵対行為となってしまうからである。成文化されたわけではなくとも、慣習上そうなっていたことが分かる。

 

 ワリヤーグ艦長はついに脱出を決意する。商船スンガリーには自沈の準備をさせた。午前11時30分、ワリヤーグと砲艦コレーツは錨を揚げた。イタリア巡洋艦エルバは艦上に軍楽隊を整列させ、ロシア国家を演奏し、乗員は「ウラァー!(万歳)」の声をあげて送った。英仏の両艦の乗員も甲板に多くが出て、帽子を振り、歓声をあげる。「勇気凛々(りんりん)死地に赴く諸勇士を祝した」とフランス艦の記録にあるという。

 

 ついに交戦!次回は再び仁川に帰るロシア艦の様子から書こう。

 

 

 

(以下次号)

 

 

(あらき・はじめ)

 

 

 

 

(令和二年(2020年)5月27日配信)

 



著者略歴

荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同大学院修士課程修了。 専攻は日本近代教育史。日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行なう。横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝状を受ける。 年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、講話を行なっている。

著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして軍隊をつくったのか─安全保障と技術の近代史』(出窓社)、『現代(いま)がわかる−学習版現代用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古い!─昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震災と自衛隊─自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気と軍隊『日本軍はこんな兵器で戦った−国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊警務隊逮捕術(近刊)』((並木書房)がある。


【防人の道NEXT】国民の理解が自衛隊を支える−荒木肇氏に聞く[桜H29/6/28]





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